倭 大倭 大和 日本
解釈のちがい
古代史研究の世界では、多くの比定地論があり、
有名なところでは邪馬台国がどこにあったのか?
卑弥呼はどこに眠っているのか?
未だに日本国民が腑に落ちる結論は出ていない。
それぞれの学者さんは自説の根拠の材料として、
多くの人が同じ文献に目を通していると思う。同じ物を読んでいるのに、全くもって結論が変わってくる。まか不思議。
例えば、魏志倭人伝に書かれている卑弥呼が住む女王国までの距離。
帯方郡から(平壌あたり)1万2千里。道順にしても細かく書かれている。なのに、学者さんによって、全く違う場所に到達する。
一言で言えば解釈の違いから。
倭と大倭は同じではない
国名についても、この解釈の違いが史実に大きなズレを生んでいる。
日本の国名の一般論。
倭(やまと)→大倭(おおやまと)→大和(やまと)→日本(ひのもと)→日本(にっぽん)。
そんな順に日本の名前が変遷したと思い込んでいた。
しかし阿波説によると、全く違うらしい。
そもそも倭と大倭は別の場所。今でいうなら別の都市。
倭は阿波。阿波と言っても徳島全域ではなく徳島の中の一部の地域。
(ややこしいね)
大倭は奈良。たとえが違うかもしれないけど、今でいうと、倭が東京。大和は大阪みたいな感じかな。
しれ~と、すごいこと書いてるでしょ。(笑)
元々は委国(いこく、阿波)。漢字が変わって倭国(いこく→わこく、阿波)。次に音が変わって倭国(やまとこく、阿波)。大倭(おおやまと、奈良)に遷都したことで大和国(やまと)となったと。
分かります?ややこしくてすみません。
貴重な式内社 倭大国魂神社
この説の根拠の一例。
大和坐大国魂神社という式内社が奈良にある。
倭大国魂神社という式内社は徳島にしかない。
大国魂神社というのは全国に8社あるが、倭の文字が頭に付く神社は徳島にしかないそうだ。阿波には倭大国敷神社という式内社もある。
倭が阿波のこと。大倭が奈良(畿内)だとすると、
古事記の国生みに、四国が伊(委)予の二名島。畿内が大倭豊秋津島と記載されてることが腑に落ちる。
倭と大倭。これまで同じ日本の呼び名と解釈していた。そもそも阿波と奈良で違う場所であったのだ。
この説に当てはめると、割り切れなかった疑問がすっと理解できることが増えると思うのは私だけ。(笑)
もっと詳しく知りたい。おまえの説明わかりにくい。(笑)
そんな方は以前ご紹介した『邪馬壹国は阿波から始まる(やまと研究会)』をお読みください。本当に分かりやすく、しかも簡潔に古事記のストーリーと阿波に残る史跡をつなげて書いてくれてます。徹底現地調査と文献調査をもとに書かれてるので、説得力がすごい。
邪馬台国は存在しない
ついでに大切なことも書いておくと、
そもそも邪馬台国というものは存在しない。邪馬壹国(やまとこく)を漢字まちがいで邪馬台国としたもんだから、シンプルな話をややこしくしてしまった。やまと研究会さんは主張されてます。
これも腑に落ちました。
今日は古事記に興味ない方にとっては、ややこしい話にしてしまったかもしれませんね。伝える力、磨きますね。
今日、ご紹介した式内社、倭大国魂神社は、私が計画している宿泊施設たつかみの宮(仮称)から一般道を使い車で15分くらい。
近くには全国で一社しかないイザナミの冠の
つく式内社、伊邪那美神社もあります(なぜか2社)。イザナミの塚と比定される社も。他、凄い史跡神社がありすぎて一度に紹介できないので、おいおい書いていきますね。
早く知りたい方は本読んでお勉強してくださいね。
本日も最後までお読みくださり、ありがとうございます。
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