風の時代 伊勢外宮風祭宮と同じ神様をお祀りする式内社 天都賀佐比古神社
TOP写真 徳島県美馬市 式内社 天都賀佐比古神社
もはや古事記は近代史となった
日本の古代史に限らず、
世界各地の古代史を掘れば、
どこまで行っても答えが見つからない
迷宮へと迷い込む。
かくいう私もそうで、
まずは趣味の神社巡りから、
日本のルーツに興味を抱き、
古事記の世界に辿り着く。
そして、
古事記に書かれている神話の世界。
果たして、その舞台はどこなんだろう?
通説地と呼ばれる場所。
あるにはあるが、
根拠となる確証はなく、
古事記に書かれている地名。
現在の地名に置き換えて解釈された場所。
多いのではないか。
多くの日本人は、
別にそれが間違っていようが、
大して興味がないものだから、
先人が決めた通説地に疑いすら持たず。
いつしか、それが国民の常識に。
歴史とはこうやって作られる。
そんな風に思います。
と、同時に、
最近は古事記以前の世界へ迷い込み、
天孫族が統治する前の日本列島。
各地の文明の高さに驚きの日々。
古事記の時代が、
なぜか近代と錯覚してしまうほど、
頭の中がぐちゃぐちゃになっています。(笑)
伊勢外宮風宮
混乱した情報と時代背景。
時間をかけて整理するとして、
今日は久しぶりに古事記、
日本書記の中のお話。
関連する神社をご紹介。
以前、伊勢の記事を書いた時、
伊勢外宮の風宮の神様について書きました。
風を司る御祭神は級長津彦命
(しなつひこのみこと)。
級長戸辺命(しなとべのみこと)
二柱の神様が一対でお祀りされています。
これに関しては諸説ありますが、
今回はスルー。
風宮の名の通り、
風の神様。
元々は、稲穂等が自然の被害なく、
豊かに実ることを祈願した神様。
でしたが、
元寇にて神風を吹かせた神として、
一気に人気に火が付いた。
今で言うとバズったとでも言うのでしょうか。
そこから軍神としてのお顔も加えられ。
そして今は風の時代ということで、
再び脚光を浴びているのだとか。
インターネットの時代、
情報を素早く運ぶ神様としての役割。
求められているそうです。
神様の世界も、
変わりゆく世の中への対応。
求められているのでしょうか。
神様の世界も大変な世界です。
式内社 天都賀佐比古神社
私の中では、古事記の世界。
阿波で起きた実話を元に書かれている。
のではないか?
そう思っていて、
これまでも書いて来たとおり、
現在、三重県伊勢市にある神宮。
その元の元に当たるのも、
阿波、徳島ではないかと考えています。
今回、久々にご紹介する阿波の神社。
天都賀佐比古神社(アマツカサヒコジンジャ)。
徳島県美馬市に鎮座する式内社。
お祀りする神様は、
伊勢風宮の神様と同じ。
風の神様を二柱をお祀りしています。
伊勢風宮は置いといて、
この二柱をお祀りする有名神社。
奈良にある龍田大社でありますが、
ここ天都賀佐比古神社の創建。
龍田大社創建の約1世紀も前。
かなりの古社であります。
昔、神社の前を馬に乗ったまま通ると、
暴風が吹き、馬もろとも吹き飛ばし。
前を流れる吉野川。
帆を立てたまま西上すると、
船は風で飛ばされた。
そんな伝承が残っています。
そんな災難を避けるため。
ここ天都賀佐比古神社の御神体。
北向きに鎮座されてるとか。
古い神札には、
日本唯一北向き鎮座と記されており、
風の神としての威厳が残った神社です。
基本、神社は南か東向きに建てられる。
北向きに建つ神社。
日本唯一としたら、
それだけでも大変珍しい神社です。
ただ、吉野川流域の古社の多く。
氾濫や戦乱により移転しており、
天都賀佐比古神社も例外ではありません。
が、元の社には
古墳が数基存在していたそうです。
倭姫が出発した笠縫邑は阿波?
他、神社の社名について。
風の神とは関係がない名前。
天都賀佐比古(あまつかさひこ)。
とは、傘の神様の名前。
そんな説があります。
傘づくり集団を率いた神様。
その論拠には、
神社がある美馬市は昔、
和傘づくりの一大産地であったとか。
元伊勢のお話。
崇神天皇の御代。
宮中の神様の霊力が強すぎるため、
天照大御神と大国魂神。
宮中から宮の外へ出すことになります。
大国魂神は子孫である大田田根子に祀らせ。
天照大御神をお祀りする地探し。
豊鍬入姫命の後を継いだ
11代天皇の娘である倭姫。
奈良の笠縫邑を出発。
各地を回って、ようやく最後。
伊勢の五十鈴川沿いに納まった。
通説ではそうなっています。
記録に残る笠縫邑。
傘を作っていた集団が住んだ地。
そう解釈すると、
天都賀佐比古神社の周辺も、
傘づくり集団が住んだ土地なのです。
何を言おうとしているか?
通説では奈良と決まっている笠縫邑。
実は徳島県であったのではないか。
ということです。
崇神天皇の御代 都はどこだったのか
欠史と呼ばれる天皇の後、
実際に存在したと言われる十代崇神天皇。
御間城入彦五十瓊殖天皇
(みまきいりびこいにえのすめらみこと) 。
というお名前です。
現在の市の名前、美馬市。
古くからみまの地名は存在しています。
崇神天皇のお名前。
みまきいりびこから、
地名が生まれたと仮定すると、
古くは奈良にあったとされる都。
崇神天皇の御代。
実は現、徳島県美馬市にあったのでは?
そう思えてしまうのです。
ここ天都賀佐比古神社の近く。
大田田根子に祀らせた大国魂神。
唯一、倭を冠に置く式内社。
倭大国魂神社が鎮座しているのです。
倭と付く大国魂神社は奈良にはありません。
また、美馬市周辺には、
これも全国で一社しかない式内社である
伊邪那美神社があります。
他、
国生みで誕生した神々を祀る式内社も多数。
既に常識化してしまった
古事記に書かれる物語の場所。
それはそれで良しとして、
徳島には、
古事記の物語を裏付ける式内社他、古社。
並びに大量の古墳や遺跡。
他、伝承が存在しています。
少しでも、通説地に疑問が浮かぶ皆様。
ものは試し、
是非、徳島を巡ってみてはいかがでしょうか。
かなり深く楽しめると同時に、
目から鱗の大発見。
見つかるかもしれませんよ。
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