二人の天皇が試みた討幕蜂起の結果 隠岐に残る悲喜交々と由良比女神社
トップ写真 後醍醐天皇が隠岐へ流された時の御所跡
旅先での移動手段は事前に予約が大切
前回は隠岐の中の島、海士町にある、
隠岐神社と後鳥羽上皇火葬塚について
書きました。
次なる目的地は西の島エリア。
船の本数が限られているため、
中の島での滞在は数時間。
船にて西の島の港である別府港へ入港。
港には観光協会他、
都会から来ている観光ボランティアさん。
多くいて、他の島と比べると、
一番観光に力を入れている印象。
効率よく西ノ島を巡るため、
まずは交通手段の確保。
島に2社ほどあるレンタカー会社。
空車の確認すると、
なんと、貸し出せる車は一台も無い。
予約をしてない私が悪い。
のですが、いきなり予定が狂ってしまいます。
仕方なく、タクシー会社を当たってみる。
しかし、この日は空いてる車は無い。
島後に戻るフェリーの時間。
考えると、じっとしている暇もない。
かと言って、歩きで回る選択肢もない。
港へ戻り、観光協会さんが貸し出している
レンタサイクルを借りよう。
たしか、電動アシスト自転車があったはず。
そう思い、観光協会さんへ。
運よく、
最後の一台残っていた電動アシスト自転車。
借りることができました。
電動自転車にて由良比女神社へ
別府港から最初の目的地。
由良比女神社へ。
起伏のある山道を進んで行きます。
日常は自動車移動の私。
自転車に乗るのも何十年ぶり。
アップダウンの道が多いと聞いていたので、
体力が心配でしたが、
今どきの電動アシスト自転車。
すごいですね。
なんとか、由良比女神社へ到着。
美しい海の横に立つ神社です。
延喜式内社で名神大社という格式高き神社。
御祀神は由良比女命(ゆらひめのみこと)
またまた、隠岐固有の名前です。
ただ、調べてみると、
由良比女命は須世理比売のこと。
そんな説も出てきました。
須世理比売とは素戔嗚尊の娘。
大国主と良い仲になり、
父、素戔嗚の元から、
大国主と共に逃げ出します。
いわば、日本初、駆け落ちをした神様。
プレイボーイでモテモテであった大国主。
須世理比売は大国主の正妻と言われてます。
神社の由緒によると、
須世理比売が芋桶に乗って海を渡っている時、
手を海に浸していると、
イカがその手に嚙みついた。
申し訳なく思ったイカ。
一年に一度、大量のイカを引き連れて、
由良比女神社の前にある浜へやって来る。
そんな伝承が書かれてました。
神社は立派で歴史ある神社。
なのですが、
地方の神社によくある現象。
管理の人の手が行き届かない。
境内は雑草が目立っていました。
それ以外は、
女性の神様独特。
優しい気を感じることができます。
神様に引き留められるトラブル発生
無事に参拝を済ませ、
次の目的地へ向かおうと自転車にまたがり、
しばらくペダルを漕いでいたのですが、
どうも自転車の調子がおかしい。
電気が入らない。
何度かネットで故障対策情報を取って、
対策するも故障は改善せず。
戻るにしても、今来た山道。
電動アシスト無しでは戻れない。
仕方ないので、
観光協会さんへ連絡。
しようとしたのですが、
電話番号がどこにも書いてない。
ネット検索してようやく電話番号を調べて連絡。
自動車で迎えに来てもらいました。
須世理比売様。
私を引き留めておきたかったのか?(笑)
なんとも光栄な出来事でした。
たまにあるのですが、
以前、伊邪那美神社へお参りした時、
拝殿にてお参りして帰ろうとしたら、
突然の豪雨。
しばらく、引き留められてしまうことに。
女性の神様の神社で起きます。
私もまんざらではありません。(笑)
とはいえ、この時点で予定は大幅に狂いました。
迎えに来てもらった車に自転車を積み込み、
一旦、港へ戻ることに。
「車中にて、こんな故障、よくあるのですか?」
質問してみたら、
「いえ、初めてです。」
との回答でした。
私は、やはり強運の持ち主のようです。
鳥居があれば行ってみた結果
港へ戻り、
船の時間まで中途半端な時間を残し、
どうしようか?
思案していると、
前方に鳥居発見。
鳥居があれば、行ってみる。
神社マニアの習性。
観光協会で、
「そこの自転車貸して!」
と、半ば強引に自転車強奪。(笑)
(故障の経緯があり、返金も無かったので)
鳥居の場所へ行ってみると、
そこは黒木神社という神社。
詳しい方にはピンとくる神社。
なんと、後醍醐天皇の御在所跡でした。
後醍醐天皇とは、
何度となく鎌倉幕府討幕を試み、
幾度も失敗。
その間、隠岐へ流されたにも関わらず、
命がけの脱出に成功。
足利尊氏と共に、遂に鎌倉幕府を討幕。
その後もいろいろありましたが、
一度や二度の失敗で、
ましてや隠岐に流されても。
決して夢を諦めなかった。
最強プラス思考の天皇であった。
そんな後醍醐天皇が隠岐にて暮らした場所。
西ノ島にある黒木神社だそうです。
隠岐に流された二人の天皇
海のほとりの小高い山の上。
そこに立つ拝殿。
後醍醐天皇は隠岐に流刑となってから。
この地から遠く都に思いを馳せていた。
そして、いつか都に戻る。
そう強く決めていたのでしょう。
脱出に成功した後醍醐天皇。
一方、前回書いた後鳥羽天皇。
同じく鎌倉幕府に弓を弾き、
同じように隠岐へ流された二人の天皇。
結果は18年間隠岐から脱出できず。
最後を迎えた後鳥羽天皇。
幕府の監視が緩くなっていたとはいえ、
隠岐を脱出して、
鎌倉幕府討幕に成功した後醍醐天皇。
ここ隠岐には、日本の歴史の中のリアル。
生きていました。
天皇や上皇がいらっしゃる場所。
その地を都と言うならば、
ここ隠岐の島。
二度、都であったと言える場所。
今日はこの辺で。
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