コンセプトアルバムは何処へ。
このエッセイを書いたのが約20年前。まだサブスクも無く音楽配信が目新しかった時だった。
その時はまだCDというソフトに対する不満だったのだが、2024年の今はそのCDが絶滅の危機に瀕している。
サブスク世代にコンセプトアルバムが響くのかどうかわからないが、聞き手に委ねられている音楽の聴き方は、演者の気持ちがどれだけ通じるのだろうか。
2024年4月
アナログ盤からCDへ、そして音楽配信、i-PODなど・・・。ソフトもハードの進化によりどんどん形を変えていくので、たった30年前の「シングル志向からアルバム志向への変遷」などといった音楽文化はもう風化した思い出となり、時代は高速で変化してしまう。
例えば、46分10曲のアナログ盤が技術の進化で74分ぎりぎりまで収録するCDへと替わったことは、作り手も聞き手も音楽への接し方が変化したに違いない。僕はアナログ盤愛好家なので、音楽を集中して聴くことが出来る時間が46分で切れてしまう。体内時計がそうなってしまったのだ。だから現在制作されているCDをまるまる1枚、一気に聞くことができない。途中で飽きてしまうのだ。
それに加えて「日本盤にのみボーナストラック付」なんて宣伝文句があったとしても全然ありがたくなく、アルバムとして曲を聴くという行為から離れてしまうことになる。ボーナスはあくまでもおまけなのだ。作り手だってアルバム制作時にボーナストラックを考えているのだろうか・・・。
販売サイドの思惑がプンプン臭うので、ピュアな作り手の気持ちが曲がって伝わるのでないか、とも考えてしまう。作り手がボーナストラック前提で制作しているのであれば、アホらしいモンキービジネスだ。だから、良い音楽が必ず売れるというわけではなく、セールスプロモーション次第でいかようにも評価がくだされることについて、聞き手は真剣に考える必要があるのではないか。とにかく、僕の中で“アルバム”が“アルバム”として成立しなくなってきているのだ。
例えばアナログ盤のA面からB面にひっくり返すあの瞬間もアルバムを楽しむ空間だと思う。早くB面が聴きたい時や今日はA面だけでいいやと思う時などその時の自分の「気持ち」が反映される。が、CDだとこうはいかない。ダーッと1曲目からエンディングまで走りきってしまう。山や谷はあるだろうが、ブツ切れのイメージというか、個々が独立しているというか・・・。だらだらと惰性で聴いてしまい、集中力が途切れるのは僕だけだろうか。せっかくの音楽が、BGMと化してしまうのだ。
そんなことだから、最近の音楽を聴いているとコンセプトアルバムが少なくなってきているような気がする。
コンセプトアルバムとは、1曲目から最後の曲までしっかり聴かないと作り手の意図が伝わらない、というアルバムだ。物語を音楽で聴くようなアルバム。それが最近は、制作できなくなってきているのではないか。考えてもみて欲しい。映画でもないのに、約80分(CD)も音楽のみをじっと聴き続けるなんて、相当な集中力が必要だ。
だから作り手もアルバム制作にしっかり意味を持たせ、聞き手が聞きやすい時間で作ってほしいものだ。ただダラダラと出来上がった曲を収録するのはいかがなものか・・・。
ビートルズ『SGT・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』(1967)、サディスティック・ミカ・バンド『黒船』(1974)、クィーン『オペラ座の夜』(1975)、デビッド・ボウイ『ジギー・スターダスト』(1972)・・・。
音楽に引き込まれ、時を忘れるという瞬間がある。コンセプトアルバムはそれを体験させてくれる。ベスト盤でもライヴ盤でもない1つの物語を読むような感覚で音楽を聴く。現在の15曲入りのCDではそれは困難だろう。74分じゃ大河ドラマだよ。
あるテーマを持ってアルバム制作はあるだろうが、そのアルバムとコンセプトアルバムは若干違う気がする。
先に述べたが、ストーリー性というかなんというか。
映画のサントラに近いものか…。
最近、コンセプトアルバムってあるんだろうか。
2005年1月14日(金)
花形