SALONEはイタリアと日本を繋ぐプラットフォームでありたい
「リストランテ」というヨーロッパの文化
リストランテ(ristorante)とは、フランス語のレストラン(restaurant)のイタリア語で、いわゆる高級飲食店に分類されます。しかし「高級」というと、金額の高さだけを基準にしてしまいがちですが、それだけではリストランテを説明することはできません。
「日本の割烹や懐石の料理店を例にするとわかりやすいと思います」というのは、SALONEグループの統括料理長の樋口敬洋です。
割烹や懐石の料理店では、居酒屋や食堂の定番、肉じゃがやサバの味噌煮のような家庭料理は出てくることはほとんどありません。そのかわり季節の食材のエッセンスを抽出して器のなかに表現した蕪蒸しや、料理人の技術を集約させたお造りのような料理が出てきます。
「それと同じでイタリアのリストランテでも、日本でも知られるアランチーニやカルボナーラといった郷土料理がそのまま出てくることはありませんでした。そういった郷土料理を提供しているのは、日本の食堂や居酒屋のような業態である『トラットリア』や『オステリア』といった業態、日本でいえば食堂や居酒屋のようなお店でした。そしてA5黒毛和牛を使ったアランチーニや烏骨鶏の卵と黒豚のパンチェッタのカルボナーラというように、単に高級食材に置き換えただけでもリストランテの料理にはならないということも、イタリアのリストランテの料理を見て感じたことでもあります」(樋口)
さらに現地のレストランガイドでは、リストランテも伝統的な料理「クチーナ トラディショナーレ(Cucina Tradizionale)」と、創造的な料理「クチーナ クレアティーヴァ(Cucina Creativa)」の2種類に明確に分類されていました。
そしてSALONEグループが伝えようとしているのは、後者のクレアティーヴァの料理。それではなぜSALONEは、「イタリアの時差のないリストランテ」、とくにクチーナ クレアティーヴァにこだわるのか、不思議に感じるかもしれません。そこには、今からおよそ20年前、樋口のイタリアでの修業時代の経験が関係しています。
クレアティーヴァを志す料理人たちのプラットフォームに
「シチリアでは、海沿いのリストランテ『bye bye blues(バイバイブルース)』に1年、羊飼いが毎日店の前を通るような山の中のリストランテ『al Fogher(アル フォゲール)』で2年間働きました。日本では、イタリア人のシェフのお店で働いて、イタリア帰りのシェフの本もたくさん読んでからイタリアに渡っていたんですが、どちらの店の料理も僕の知っているイタリア料理は提供されていませんでした」と、樋口は、シチリアでの3年間を振り返ります。
古典的な料理を紐解きながら、現代風にアレンジした料理には、確固たるシェフのアイデンティティが反映され、オリジナリティが溢れでていました。日本にまったく伝わっていなかったクチーナ クレアティーヴァを理解するために、地元の食文化を深く知ろうと、シチリアの本屋だけでは足りず、古本屋も通いつめたといいます。
当時イタリアの飲食店には、たくさんの日本人が働いていました。星付きレストランには、100%といっていいほど日本人がいましたし、多いところでは10人もいることもあったといいます。
なかには、労働ビザをもって5年以上働き、三つ星でスーシェフを務める人や、イタリア全州で働いたことがあるという人もいました。しかし、日本にほとんどなかったリストランテの文化に刺激を受けながらも、多くの日本人料理人たちは「日本では、地方料理を主体にした店を出す」と口を揃えていました。理由は「日本に帰ってもクレアティーヴァは日本人には、イタリア料理っぽく見えないから受け入れられないから」からでした。
さらに、かりにクレアティーヴァのリストランテを開こうと決心して帰国しても、開業に向けてお金を貯めるのに5年から10年はかかります。その時には、イタリアで得た知識や経験はすでに古くなっています。
これだけの日本人たちがイタリアで働き、名店と呼ばれる厨房を支える存在にもなっているのだから、インプットしてきたことを、帰国してすぐに発揮できるプラットホームがあったら面白いのではないか――。そんなことを樋口はぼんやりと考えていたといいます。
そうしたプラットホーム的リストランテの着想を、SALONEグループの代表である平高行が中心となって開いたグループ最初のリストランテ「SALONE2007」で実現させることになります。
以降、東京や大阪に支店を展開していきながらSALONEは、多店舗展開ではなく、イタリアから帰国してきた料理人たちの情熱と感動を思い切り表現できるプラットホームであり続けたいと考え続けています。
そして15年の間に、沢山のイタリア帰りのシェフがSALONEでアウトプットして卒業して独立して、オリジナルのクレアティーヴァ(創造性)を発信しています。
さらに調理師専門学校を卒業した若い料理人が、イタリアで学ぶ前の土台作りとしてSALONEで3年から5年勤務して、イタリアに飛び立ち、今なおヨーロッパで活躍し続けている料理人も生まれてきています。
イタリアと日本を繋ぐ料理人のプラットフォーム。それをSALONEとして目指して行きたいと考えています。
料理人のアイデンティティが感じられるか
創造的な料理というと、まるで絵画のように華やかな色彩で、コンテンポラリーな盛り付けを想像するかもしれません。SALONEでは、クレアティーヴァを平は、「イタリア人の感覚の創作料理=郷土料理(食文化)を理解してそのうえで創作する」と解釈しています。
日本にもお味噌汁に入れても良い具材はたくさんありますが、ブロッコリーや牛乳は入れませんよね。日本人なら誰でもわかるルールを、イタリア現地で体で覚えてきました。イタリアに住むおばあちゃんたちが食べてもおいしいと言ってもらえる創作料理でありたい。そんな考えをSALONEは大切にしてます。
「伝統的にイタリアにはライチはありませんでしたが、2010年ぐらいからライチとエビを組み合わせた料理など、リストランテでライチが使われるようになりました。生姜も以前は、生姜パウダーしかありませんでしたが、2010年にはスーパーに生の生姜が並ぶようになり、2016年にはホームセンターで生姜のプランターが販売されるようにもなりました。リストランテのクレアティーヴァで使われる料理は、時代とともに変わっているようです」と平も、ここ10年のイタリアの変化を感じています。
また、イタリアで活躍するシェフたちの行動範囲も変わってきているといい、たとえば、シチリア出身でシチリアで二つ星レストランを獲得したシェフは、フランスに移って一つ星を取ってしまいました。その後地元シチリアにもどり、レストランを作り、シチリアの食材でシチリア料理をフランス料理の技法で作っていました。軽い仕上がりなのにこれぞシチリア料理という力強さもある唯一無二の料理という印象を受けたといいます。
たとえば、ナポリのリストランテのシェフは、北イタリアのピエモンテ出身でナポリ料理を北イタリアの技法で作っています。スペインや北欧で最新のガストロノミーを学んだシェフが地元エミリア・ロマーニャに帰って地元の料理を最新の技法で表現するようなことも起こっています。
「人の往来の変化も起きているなかで、今、イタリアのクチーナ クレアティーヴァで重要視されているのは、料理人のアイデンティティが感じられるかどうかということにもなってきています。このようにイタリアのクチーナクレアティーヴァなリストランテでは、常にアウトプットに変化があると感じます」(平)
そうなると、SALONEが考える「イタリアの時差のないリストランテ」についてのストライクゾーンもどんどん変わっていきます。私たちはその変化を楽しみながら「イタリアでやっていればOK」という思いで、いつも最新の情報をキャッチして最新のイタリアの動向を知りたいと思っています。
byebyeblues TOKYOでリストランテを
そのまま日本にもってくる
SALONEグループは、イタリアから帰ってきたばかりの料理人の起用や、スタッフの研修など人材の往来をもって「イタリアの時差のないリストランテ」を伝えることをテーマにしてきました。しかし2020年1月に起こった、パンデミックによってその往来が一時的に途絶えることになります。
それは、イタリア料理やイタリアが大好きなサーロネグループのお客様にとっても同じで、イタリアは遠く離れた場所になってしまったことでもあります。
コロナ禍で「イタリアの今」をお客様にどう伝えていけばよいのか。もともとイタリアンの料理人でもある代表の平を中心に考え続けたなかで、SALONEグループが出した答えは、「イタリアのリストランテそのものをもってこよう」ということでした。
そして、シチリア・パレルモのリストランテで、10年にわたりミシュランガイドで一つ星を撮り続けた「bye bye blues」と業務提携を結び、2022年11月24日(木)に日本初出店の「byebyeblues TOKYO」をオープンさせます。シチリアではじめてのミシュラン女性シェフとして広く知られる、パトリッツィア ディ ベネデット氏のクチーナ クレアティーヴァを、日本人のフィルターを通すことなくそのまま再現しようとしています。
「2022年8月には、SALONEグループのプロジェクトメンバーとともにイタリアに渡り、パレルモのbye bye bluesで、パトリツィアの料理を1週間食べつづけてきました。そのときに『これは日本では絶対に食べられない、リストランテの味だ』と直感ました。この料理を変えずに、そのまま東京で出したら、お客様はきっとよろこんでいただけるはずだと。そしてそれは、30年以上料理に真摯に向き合い続けているパトリツィアの料理に対する敬意でもあると思っています」(平)
コロナ渦で遠く離れてしまったイタリアとの距離を一気に近づけ、日本に居るのにシチリアのリストランテにいるかのような、そんな旅行者の気持ちをお客様に感じていただける店であると同時に、ふたたび動き出そうとしている世界に対して、SALONEが目指す「イタリアと時差のないリストランテ」の新しい挑戦でもあるのです。