隠された記憶 / ミヒャエル・ハネケ ー ミヒャエル・ハネケについて
ジュリエット・ビノシュは「これが夫婦の信頼なの⁉」と夫(ダニエル・オートゥール)に叫ぶ。彼女は、自身があるはずだと確信するものの欠落に打ちのめされる。夫はその彼女に「頭を冷やしたらどうだ」と言い放つ。私はこの彼女の演技に感動した。ハネケの映画の中に、あの無残な、涙が全く湧いてこない人間を撮るハネケの映画の中に、人間に対する確信をみたように感じた。
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私はこれでハネケの作品は4本観たことになる。最も出来栄えがよかったのは「城」であろう。しかしながら、ハネケの映画に関しては、「城」を最良とする尺度をもってして測ってよいのだろうか。
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私はハネケが映画監督と言えるのかどうか、疑念をもっている。
私は、「映画」というものそれ自体の生む魅力が存在すると思う。設定や時代の背景などを考慮に入れずとも在り得る、その映画それ自体の放つ魅力という意味だ。例えば、「拳銃魔」という映画は社会批判をかなり盛り込んでいるように思うが、それとは別に ー この言い方もこれはこれで語弊があるのだが ー 燦然と輝く魅力がある。ゴダールにしろブニュエルにしろ、はたまたレイやロージーの映画にしろ、それらの内には社会批判のみにはとても収まり得ない、社会批判という文脈を持ちだすことすら間違いに感じられるほどの抗いがたい強烈な魅力がある。眼前の映画がこのような魅力を持っているのか、そしてそれはどれほどの魅力なのかという、場所や時代を問わず適用可能な映画に対する一つの評価軸をここに設けることが出来ると思う。
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この物差しを片手にハネケの映画に立ち返ると、観客は動揺せざるを得ないだろう。この魅力を生む映画的触感を、彼が道具としてしか扱っていないように感じられ、またこの魅力を限界まで圧殺することによって彼がその触感を獲得しているように思えてならないからだ。
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