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気づきや学びを繰り返し生きること。
皆様こんばんは。kaorukoです。
いつもは20年くらい前から書き溜めたエッセイなどの原稿を見つけて、それはかなり枚数があって、気づきを書いていたことを思い出し、陽の目を見ることがなかったものをここで書いてます。
今日は「気づき」と、「学び」を繰り返し今の私があるということを、書きたいと思います。
私は今年還暦を迎えました。
俗にいう「機能不全家族」の中で育って、ただひとり心の拠り所だった母を10代で亡くし、それから家を出て故郷から遠く離れひとりで生きてきました。
中卒で知らない土地で働きながら、いろんな体験をしてきました。
「性暴力」「DV」といったことも経験して、
男性不信から人間不信になりました。
でも助けてくれる人はその時々現れて、なんとか生きております。
若い時は健康だったし、とにかく働かないとお金を得ないことには生けてはいけませんから、
必死で働きました。
正社員の中でも常に上のポジションまで上り詰め、年上の人からは可愛がられ、年下の人には下の名前で呼ばれ慕ってもらい、人には恵まれました。
きっと天国の母やご先祖様で守られたと思います。(変な宗教に入ってる訳ではありません)
ただ人に迷惑はかけないようにとは、自分にいつも言い聞かせていました。
決して平坦な道ではなかったですが、命を無駄にするようなこともいっぱいしてきました。
ただ私に足りなかったのは、健常者として生きてきたがゆえ、「生活保護」「精神障がい者」
このような状況にいる方々を理解しょうとはしなかったこと。
私は自分が「生活保護」を受ける立場になることとか、「精神障がい者」と呼ばれるようになるとは夢にも思ってなかったし、その言葉さえ聞いたことはありませんでした。
その立場になって、初めてその人たちの生きづらさを知ることになるんです。
「救われた人は救う人になる」
いつも通勤電車で見る広告の言葉です。
18年余り、「鬱」「パニック障がい」「不安障がい」「人が怖い」と闘いながら、
「生活保護」「精神障がい者二級」に苦しみながらも、私は再就職を諦めなかった。
「言葉の力」「書く力」の強さで、私は今ここにいます。
生活保護にまだ助けてもらいながら、
就労継続支援A型に再就職をし、毎日苦手だと思ってたパソコンの仕事をさせてもらってます。
この一年間怒涛の一年間でした。
病気の特性の強い男性たちの中で、泣いたり笑ったりを繰り返しながら続けています。
この一年には、子どもの時から続けている「戦争反対」を書くことで訴え続け、障がいの方々を誘って、皆さんと千羽鶴を折るプロジェクトを立ち上げ、広島と長崎に寄贈しました。
そして学ぶことは元々好きなので、政治や憲法を勉強し、あるまだ小さな政党ですが、「正しいこと、国民のための政治をやろうとしている政党のボランティアやsnsでの発信を続け、
まだ批判は多いけど議席を増やすことに力を注げたという経験(まだこれは続けていきます)
とかが大きな学びとなりました。
どこの政党かはあえて言わないけれど、「能登復興」のため国会で声を上げ続けた、障がい者に陽の目を見せてくれた私の中では、あの人こそ「総理大臣」だ!と、思っております。
まだ、仕事に行くのも
勇気を注入しないと崩れそうですが、
持ち前の「メイク・マジック」と、好きな洋服を着ることで、テンション上がて通勤できてます。
当たり前に出来てたことが出来なくなる、というのが「鬱」の特徴的な症状ですが、出来なかったことが一つづつできるようになってることに気づきました。
1番大きなことは、料理が再びできるようになったこと。
キッチンが息を吹き返し、手作りのお弁当を仕事に持って行ってます。
少し遅れて「気づき」ってわかるものなんです。
今まで経験したこと、出会った人たち、
良い、悪いは関係なく、自分に学びをくれた、そう思って全てのことに感謝しています。
ざっくりと吐き出させてもらいました。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
私は今とても幸せです。
kaoruko_days
2024.11.3