「車が家になる日」
車中生活32日目――。
いつものように、静かな夜が訪れた。昨日は久々に早く寝た。20時には目を閉じていた気がする。おかげで今日はスッキリと目覚め、午前中から現場で仕事に励むことができた。昼からは見積もりに奔走する一日だった。疲れたけれど、充実感が心の中に広がる。
仕事があること、その仕事を通じて誰かに感謝されること。
それがどれだけ尊いことか、今の自分にはよくわかる。お客様に「ありがとう」と言われた瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなる。この一言のために頑張っていると言っても過言ではない。
だけど、同時に思うことがある。
僕は、人に認められたい、すごいと思われたい――そんな欲が強い人間だ。それが自分を突き動かす原動力になっている反面、時には重荷にもなる。褒められないと気持ちが落ち込み、何もかもが嫌になる。まるで自分の価値を誰かの言葉に依存しているような感覚だ。
他人と自分を比べてしまうのも悪い癖だ。
「あの人の方が仕事ができる」「僕なんてダメな人間だ」――そんな風に考えてしまう時、心がずしりと沈む。けれど、この車中生活を始めてから、少しずつその感覚が薄れてきた。
「ここは家じゃない」
そんな冷静な言葉が、自分を少しだけ解放してくれるような気がする。
車中生活がくれる気づき
今日も仕事を終え、いつもの道の駅に戻る。カーテンを閉め、ランタンの優しい灯りを灯す。スーパーで買ってきた弁当を広げ、一人の時間を楽しむ。この時間が、少しずつ僕にとって「日常」になってきている。
昨夜のことを思い出す。
寝袋の中で、ふと「ここ、家だったっけ?」と思った瞬間があった。あの感覚は不思議だった。ワゴンRの中という現実を忘れ、まるで自宅にいるような感覚に陥ったのだ。我に返り「ああ、ここは車か」と気づいたとき、少しおかしくなって笑ってしまった。でも、その後ふと考えた。
「もしかして、僕はこの車を“家”だと本気で思い始めているのかもしれない」
それは決して悪いことではない。むしろ心が環境に順応している証拠だ。狭くても、寒くても、車が僕を守ってくれている。今の僕にとって、車は間違いなく「家」だ。そして、その家の中で感じる静けさや、孤独の中の安心感が、日々の疲れを癒してくれる。
自由と制約の狭間で
車中生活を「ホームレス」と表現する人もいるけれど、僕にとっては違う。確かに、家という固定された場所はないけれど、その分だけ自由がある。僕がいる場所が家であり、僕が動けばその家も一緒に移動する。それが、車中生活の魅力でもある。
ただ、この生活を始めてから、欲や執着が少しずつ薄れていくのを感じる。人に認められたい、褒められたいという感情も以前ほど強くなくなった。必要なのは、他人の評価ではなく、自分がどう感じるか。車の中で静かに過ごす時間が、そう気づかせてくれる。
車が家になるということ
夜、車の中で思う。
僕がこの車を家だと思えるようになったのは、きっと僕自身が変わり始めている証拠だろう。以前は他人の目や評価ばかりを気にしていた僕が、今はこの狭い空間に安心感を見出している。そしてそのことに、ほんの少し誇りを感じている自分がいる。
明日も、また仕事が待っている。だけど今は、ただランタンの光に包まれながら、今日一日の疲れを癒そうと思う。この車中生活を始めたからこそ見えた世界、感じた心の変化。それが今の僕を支えている。
最後に、この記事を読んでくださった皆さんにお願いがあります。もしこの生活に共感いただけたら、どうか応援してください。皆さんの応援が、僕にとって何よりの励みになります。