〜社長に騙されて赤字美容室を400万(税抜き)で買わされた31歳美容師の珍道記〜
「社長、、お話しがあるんですが、、」
「なに?」
「僕、妻と娘(一歳)を抱えて今の給料では今住んでいる月18,000円の市営住宅の家賃すら払えません、、今月末で辞めさせてください。」
「はぁ?ふざけんな!じゃあお前が店ごと買い取れよ。」
「もちろん、美容室業界の繁忙期が終わった1月にな。」
これが僕が約8年前、寒さが本格的になる前の11月に当時キャバクラや、ガールズバー、飲食店を五店舗ほど経営していた敏腕半グレ社長から言い渡され、不本意に美容室経営の道に足を踏み入れる結果になった言葉である。
はじめまして。日本の九州最南端の県で小さな美容室を経営して7年目のSOLAと言います。今年で39になるピチピチのアラフォーです。
堅苦しい文章や言葉は苦手なのでつらつらと綴ります。乱文駄文失礼。
僕は昔から不満だった。自分が飛び込んだこの世界が。
美容業界が。
自分がまだ中学生だった当時、木村拓哉ことキムタクが足の不自由な常盤貴子(役柄で)と美容師しながらの車椅子の彼女とステキなカリスマ美容師ライフを送ると言うドラマがあった。
この美容師という仕事を知って、まだ童貞で絶賛シャイボーイだった自分には、
なんとまぁキラキラした仕事が世の中にはあるんだと雷に打たれた。
こんなイケてる仕事しながら沢山の女の子にチヤホヤされて、お金や休みも売れっ子になればきっと良いんだろうなぁ、、
なんて、
あんな色付きグラサンでおしゃれな格好でバイクになんか乗って通勤しちゃって、、
綺麗で可愛い女性の同僚や先輩後輩、オシャレでイケてるお兄さん達と働いてお客さん等に黄色い声でキャーキャー言われて、ヘアショーで賞なんて取っちゃって、、
こんなイケてる仕事なんてあるんだ、、
自分が美容師目指したきっかけなんてそんなもん。
当時青春パンクバンドやら、メロコア(早い速度のうるさいロック)今の人にわかりやすく伝えると、、
に死ぬほどハマってて、 Hi-STANDARDと言うインディーズバンドに憧れすぎてと言うかもう好きすぎて、上京してそのバンドのローディー(興行に出る運転手)にしてもらえるまで事務所の入り口に座り込みしよう!と息巻いてた17才の自分。
にしてみれば、これだ!これしかない!!
やっと見つけた!
当時の僕はカリスマ美容師になる事が自分の天命かのように取り憑かれた。
なんて短絡的な思考回路なんだ。
美容師としての自分は東京や、大阪、名古屋といった大都市に上京すらしなかった。
それだからなのか、誰に何を言われたわけでもないのに勝手になんか一生負い目を感じてる。
音楽とか好きなジャンルの遊びに関してはどこまでもやる気出せるのに。
今の39歳の精神の自分からすれば、まず都会に出て高い志で美容師を目指す!!
みたいな感じすらなかった人間は、美容師としては優秀な人間だとはあまり思えない。
まぁ、当時はあまりにも情報が少なかった。
もちろん田舎に残って美容師になる人がすべからく駄目なわけでもない。
けど、その程度の熱意しかないのは個人的には間違いないと思う。
「県内上位4校以下の人間は人間じゃない。美容師なんて人間じゃない。昼のホストだろ。死ね。」
と代々高校の教諭をしていたゴリゴリの公務員家系の父親をなんとしても見返したくて
当時クラスメイトのたまたま美容師になりたいよね!と意気投合していた友達と街を周り、
「お金なんて要らないので、ここで働かせてください!」
と13件美容室を回った。
「君たち高校生でしょ?うちは、なんかめんどくさいトラブルに巻き込まれたくないから無理かな、、」
当然だ。
漫画でも見過ぎだろ!と言うノリの高校生の男の子が2人土日の忙しい時間にアポ無しで乗り込んでくるのだから。しかも(不審者ファッション)
ほとんどの店の反応ががこんな感じだった。
現実こんな厳しいんだ、、ドラマみたいには行かないんだ、、、
と諦めかけた最後あたりで、どこぞの小さな個人店のオーナーさんがあそこならスタッフ人数抱えてるしうちの県の割には規模感あるし、行ってみたら?と紹介されて行った店。
当時私の住む県では目指せ東京出店!!と息巻いていて県内で1、2を争う勢いで破竹の勢いで出店攻勢を5、6店舗かけていて自前でヘアショーなんかも手掛けていた。
あまりにピンポイントすぎる情報でわかる人は少なすぎると思うが、当時田舎の本屋に並んでたSTREET JACKなる自分の最大級のオシャレバイブル。
メジャーな今でも続くオサレ雑誌、SMARTじゃないのがポイントだ。
窪塚洋介や、塚本高史、成宮寛貴などの自分世代ド直球のおしゃれイケメン達のファッションが網羅されていた。
ポストイットなどで好みのコーディネイトに付箋を貼りまくって、表紙が擦り切れるまで読んだ。
そこで得た知識を総動員して導いた最高にオシャレな格好。
オレンジのタイダイ柄のTシャツ(火傷した人がグルグルに包帯で巻いて血漿による汁が染み出したような柄)にTMレボリューション西川貴教もビックリの超膝上ニー水色のホットパンツ。
ムスコがはみ出てしまいそうなほどに、、(急な下ネタ失礼)
そしてそのホットパンツのお尻に雑誌の付録?(もちろんストリートジャック)に入っていたメッシュ地の迷彩柄のスカーフを(浜崎あゆみ)の影響?を垂らすと言う恐ろしいエキセントリックな古着コーデ、、
スケーターの兄ちゃんのようなハイソックスに汚いPROKEDS'のスニーカーともう顔面蒼白ものの勝負服で臨み、
「ここで働かせてください!!お金とかいらないんで!!!」
俺が九州1のオシャレキッズの頂点や!!と言わんばかりの態度でアピールて臨んだ。
その甲斐あってか?
「わかりました。明日からよろしくお願い致します。(笑)」
当時はなぜ笑っていたのかはわからなかったが、そこの店長に話が通ってしまった。
そこから約半年。
17歳でその店に入職した僕らに半年間本当に給料はビタ一文出なかった。。
半年である。信じられます?令和6年の今なら確実に違法である笑
確かに本当に戦力にならなかったと思う。
当時の自分達がさせてもらえることと言えば
床はわき、先輩スタッフの弁当買い。
釣り銭の両替。雑用品の買い出し、
便所掃除、タオル洗濯、畳み、シャンプー台の磨き。床磨き。
良くて先輩のカップ持ちやパーマのワインドのヘルプ。
挨拶や笑顔なんてのはノリでなんとかなると思っていたが、土日いきなり1日10時間越えの生まれて初めての立ち仕事は本当に地獄だった。
夜はふくらはぎのこむら返りに苦しめられ、母の教えで枕の位置を上下逆にして足を高く上げて寝た。
褒められることは少なくとにかく大声で叱られた。お客さんのカラーを塗っている綺麗な先輩女性に笑顔でお客さんの頭の後ろで気づかれないようにヒールの踵で足をぐりぐり踏んづけられて激痛に耐えた記憶もある。
今思えば自分が本当に何もできてなかったんだろう。
キツさや空腹感が出てくると笑顔をなくなり、返事はひきつった。
しゃーない。
まだ美容学校にも通ってないドラマに憧れて美容業界に飛び込んだただの子供かったのだから。
基本九州の美容室の休みは月曜日。平日は学校終わりの夕方16〜夜21時まで。
〜忙しい土日は通しで正社員の先輩たちと同じ9〜21時の約12時間。
美容室がやっと休みになる月曜日の朝は僕ら高校生は学校の全体朝礼。
しんどかった。本当にしんどかった。。
親に「俺は本気だから!」
と息巻いてしまっていた以上弱音は見せたくなかった。
そしてそこの最初に入社した店は軍隊式の
「はい!かしこまりました!喜んでさせて頂きます!よろしくお願い致します!」と言った言葉が合言葉の典型的な古き良き?スパルタ店。
先輩スタッフからの暴力もフツーにあった。昔よく流行った宗教みたいな会社。
数ヶ月が経ち、順調に辞めていきたくなってすっかりやる気も消えかけていた僕達に当時のその会社の社長から
「お前達、今時の子供にしてはエエ根性しとるやないの。明日から時給出そか。」
それから晴れて高校と美容室下働きの二足のわらじを履く生活が始まった。
生まれて初めて親からもらう小遣い以外の人からもらう給料。
時給が当時600円で土日祝日通しの月8日出勤の¥38,400-
忘れもしない。
これが毎月手渡しで事務員さんのいる事務所まで一人一人変わりばんこに取りに受け取りに行くスタイル。
そこで名物専務なるおじさんに「喜べ!!お前達は入職したら幹部候補生だからな!」と言われ全然喜べなかった。
自分がなりたかったのは会社に良いように使われる犬美容師じゃない。
キムタクになりたかったのだ!
キラキラしたカリスマに!!
それから約二年、頑張った。自分なりにはよく頑張った。
その手前もあってか20歳の頃には入社試験など顔パスで就職した。
美容室でのアルバイトをしながら18で県内の美容学校に入り、持ち前のプライドの高さで、周りの友達や仲間に対して、
「お前らとは出来が違うんだよ。俺は田舎県とは言え県内トップクラスの人気店に高校の時点から入り、社員までエスカレーターなんだよ。」
と内心かなり見下していた。
しかしこの気持ちが自分を苦しめた。
友達が部活や彼女とのデートや覚えたてのセックスに勤しんでいた頃残りの高校生活を全部仕事にぶち込んだ。
「就職しちゃったあとは本当に免許なんて取りに行く時間作れないから行っときなさい!」と厳しくも優しい女性のパートスタイリストのお姉さんに言われ、会社から許可をもらい
18歳のクリスマスイブに自動車学校に入学した。
その日、黒色の他校の制服の色白な、なんだかとても目が合う女の子にコロっと惚れて恋してしまった。
この彼女の話はまた別の記事で書こう。内容が濃すぎてあり過ぎる。
結論から言うとその娘とは7年間付き合った。
そして人生初の結婚もした。
そして1ヶ月で離婚した。その子との子供はいなかった。
2章に続く。
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