マルクス・レーニン・吉本隆明―吉本生誕・レーニン没後百年―
「現在」ということを、かつてマルクスが記述し、マルクス主義が矮小化して続編をやった社会の段階を通過したあとの時期と、わたしなどが規定したとき、その時期のまったく未知とおもわれる部分は「現在」の核心をつくっていることになる。(吉本隆明「ハイ・イメージ論Ⅲ」あとがき)
現代における「矮小化」と吉本隆明の思想的挑戦
吉本隆明は『ハイ・イメージ論Ⅲ』のあとがきにおいて、マルクス主義の歴史的展開に関する独自の洞察を提示した。彼によれば、「現在」とは、かつてマルクスが描いた社会構造の理論と、その後のマルクス主義の実践がもたらした「矮小化」の帰結を背景として形作られる。ここで「矮小化」とは、マルクス主義の理論が歴史的実践を通じて変容し、その枠組みが固定化される過程を指す。吉本は、この固定化を超える可能性として「余白」という概念を提起し、それを未知の可能性を孕む領域と捉えた。
この視点の重要性は、既存のイデオロギーや制度の限界を批判し、新たな思想的・実践的可能性を模索する点にある。しかし、いくつかの課題が残されている。第一に、「矮小化」という概念の基準が明確でない点が挙げられる。例えば、レーニンの実践に対する評価は、経済計画の不備への批判と、労働者階級の自主性を重視した理想主義という二重性を孕んでいる。この曖昧さは、吉本の議論の中核をなす「余白」の性質そのものを反映しているといえよう。
さらに、吉本の批判的視座は、現代の消費資本主義や知識人と労働者階級の分断を捉える際にも応用可能である。しかし、この視座が抽象的な批判に留まり、具体的な実践へと繋がっていない点には限界がある。現代における「余白」をどのように活用し、新たな社会的実践を生み出すのかという問いは、依然として未解決である。
レーニン思想の再評価とその現代的意義
レーニンは、マルクス主義を基盤としつつも、その実践を通じて独自の方向性を追求した。その核心には、労働者階級の自主性を重視する思想があった。彼は「労働者自身が経済生活を組織するべきだ」と主張し、上意下達的な変革ではなく、下からの経験に基づく社会構築を目指した。このアプローチは、現代のボトムアップ型の社会運動に通じる可能性を示している。
しかし、レーニンの実践には限界もあった。具体的な政策計画の不足や、共産主義社会の実現手段についての曖昧な説明は、後の共産主義国の混乱を招いた一因ともなりうる。また、彼が批判したロシアの伝統的共同体(ミール)の価値は、現代において地域社会の再評価という観点から新たな意義を持つかもしれない。
21世紀の複雑な社会構造において、マルクスやレーニンの思想をそのまま適用することは難しい。しかし、その根底にある社会変革への問いかけは普遍的な意義を持つ。彼らの理論を現代的な視点で再評価し、新たな実践の方向性を模索することは、単なる過去の思想研究を超え、未来への出発点となりうる。