25年目の中途退職。なぜ退職するのか、その1。
2024年11月、約25年務めた会社を中途退職しました。この件にまつわる心境や経緯をnoteへ投稿しながら振り返ります。今後の自分の生き方や、他のどなたかの役に立てばと思い、書いていきます。
おそらく文章が長くなるので、内容を絞りながらなるべく短い記事として分割しながら投稿していくつもりです。
現時点2024年12月1日で書こうとしている内容を以下に羅列しておきます。
なぜ退職するのか。退職してからどうするのか。退職をどう切り出すか。退職が正式に受理されるまでの不安とどう向き合うか。退職日までの間、どう働くか。退職の手続きを具体的に知りたい。上司や同僚とどう接するのか。退職するとなった時の周囲から自分のへの反応が気になるが。社会的な立場への不安。経済的な不安。私と会社。リスクとリターン。安全の対価。残りの人生。空間的な縛り。
さっそくですが第一回、なぜ退職するのか、について書かせていただきます。
退職する理由は、自由になりたいからです。経済的な自由をはじめとして、行動の自由、思考の自由が挙げられます。
もちろん、こんな抽象的な理由を会社の上司に切り出したりはしませんでした。会社で私が発した退職の理由は、遠く離れた実家で一人ぐらしをしている高齢の親を助けたい、というものでした。
この退職理由は100%ホントウであり、同時に100%ウソでもあります。
親が弱っていて助けが必要なのはホントウですが、私の内心はその親を自分の全力をもって助けようというものではありません。
私の親の周囲の人たちが、私の親をとてもよく助けてくれます。血縁だったり、友人関係であったり、近所であったりといった、さまざま理由で私の親をとてもよく助けてくれるので、私はそれに甘え続けてきました。虫の良い話ですが、できるだけその厚意に甘えたいと考えています。
もちろん、私の親の周囲の方々に頼るにしても限度はあります。近いうちに必ず私自身が付きっ切りで助けなくてはならない日が来るのことは、弱っていく親の姿から明白です。
親の身にいざ何か起きた時、私が会社に縛られていては何もできません。そうです、最大の問題がそこにあり、私自身が会社に強く縛られているということが問題なのです。
私が会社に縛られているいうのは、まずは空間的に縛られている点です。要は私の実家が会社から見てはるか遠くにあり、片道だけで半日かかります。
次に会社を休みづらい、という点です。世間一般だと思うのですが、職場の人員は高齢化がすすみ若い人がほとんど入社してきません。私の退職希望にあたり後任となる新人さんをと会社に募集をかけてもらいましたが、結局半年たっても採用できませんでした。
また職場の同僚の家族の問題も、職場に影響します。今回の私自身もそうですが、職場の同僚や上司、部下の家族に何かあれば休みを欲しがる人が突如として出てきます。
核家族化がとことんすすんだ結果なのでしょうか、仕事への影響を家族や親せきで食い止めることがほとんどできず、仕事を休む人を職場の同僚がフォローすると言った状況が慢性化しています。仕事の負担の増加よりも困るのは、すでに人員不足になっている状態でさらに自分が休みたいと言えない状況です。
職場での私の穴埋めをできるのは直接の上司のみで、上司は基本、増加した仕事の負担を他の人に振り分けます。慢性的な人手不足もあいまって、私が数日連続して休むことすらかなりの無理があり、まして数か月も介護休職をするということは考えられません。
結局、私が自分の親を助けるには、親の身に大きな何か起きる前に会社を辞めるしかありませんでした。逆に言えば、親を見殺しにする覚悟がなければ会社勤めは続けられません。
実際の私の選択は会社を退職する、というもので、会社に対する退職理由も自分の親の介護ということにしました。内心は100%でホントウであり、見方によれば100%ウソでしたが。(つづく。なぜ退職するのか、その2へ。)