【仕事】若手を育てるって、どうやるの?~そこからずっと逃げてた自分のことを昇華させたい~
いや、タイトルからして何かおこがましいなって思ってしまった。
そもそも自分はそんな立場なのか?って話。
でも、そんな立場なのであった。
経験値的にも、キャリア的にも、組織の位置的にも。
それを自覚させられたのが、昨年。
経験○年になったら必ず受けなさいみたいな基本研修があって、昨年は中堅的立ち位置であることを自覚させられる研修に参加した。
そこで口酸っぱく言われたのが「ミドルリーダーとしての資質向上」。
校内で各世代間の橋渡し的な役割を担う。
トップダウンでもボトムアップでも、組織の特性を踏まえて柔軟に動きながら、うまく進んでいくための潤滑油的な感じかな?
もちろんそのためには、教員としての資質や指導力はその経験値相応に伴っていることが前提であって。
そういう年数に来たのか・・・と何か感慨深かった(嬉しくはなかった全く)。
そして、論点の中で避けて通れないのが「若手の育成」。
自分たちアラフォーよりも1周り以上年下の教員を、育てるって役割。
「任命」はされないけれど、暗にそれを示唆される世代らしい。
結論から言うと、めちゃくちゃ苦手。
ミドルリーダーっていう立場での若手を育てるって仕事かぁ。
私には向いていない。自分でも気づいていた。
なぜ向いていないのかについて、考察してみた(自分調べ)。
まず極度の人見知り。
この話をすると、周囲の人はたいてい驚くか「またまたぁ~」と信じない。
かなり社交的だと思われているようで。
ジョハリの窓よろしく、他人には分からない「私」は確実にいるのである。
次に、人に説明するのが不得意。
これって教員として有るまじきことではあるけれど・・・。
不得意分野っていうのがあって、授業に関しては全く問題なし。
伝えることが分かりきっているから。
そうではなく、言語化しにくいものが抽象的なものを論理的に説明するのが苦手。
自分ではよく分かっていることなのだけど、極めて感覚的だから、適切な語彙を使って話すことが得意ではない。
さらに、自分が完全なプレーヤー気質であることも大きい。
マネジメント分野に興味がない(管理職には向いていない)。
自分も楽しみたい・わくわくしたい、の気持ちが強く、好奇心が強い。
だから、自分が走っているときの伴走者がたまたま若手だったらイケるのかも?
いや、いけない。
多分「自分でやった方が速い」という感じになる。
挙げてみて、情けない。
しかもしょうもない内容・・・。
結局私は、自分がかわいいのか??
念のため言っておくと、自分の仕事におけるポリシーは
絶対的に「生徒第一主義」。
それだけは譲れない。
これまでそれを続けてきたことで、教師冥利に尽きるなって感じたことが多々あった。
その観点から言うと、「若手を育てる」ことの意義は、教育の質の担保を保証することになるし、教員の資質向上を持続可能に行っていくことでもある。
それは分かっているのだけど・・・
できてなかった。
言い訳すると、若手を育てるっていう環境としては薄かったこと。
私はアラフォーだけど、女性で年下が入ってこない(男性はいるのだけど)。
→ 改めて、若手育成を求められることもなかった。
私自身がいつまでも若手ぶっていて、ベテラン先生に教えを乞うことが多かったこと。
そもそも私が新規事業や活動に追われ、逆に「学ぶ」スタンスに傾倒していた(ストレングスファインダーでも学習欲が上位)。
→ そのスタンスも生徒のためになっていたから、逆に感謝されたりもして、ミドルリーダー的視点に立つ機会もなかった。
さて、そもそもなぜ今この話題をアウトプットしているかについて話しておく。
私と同級生の男性教員が、若手教員を「まさに」育成したという話を耳にしたから。
彼とは日頃から教育観や指導の話をよくしている。
アプローチは違えど、「生徒第一主義」のスタンスが言動から合致するので、お互い尊敬し合っている。
そんな彼が、20代前半の新人教員を、本気で叱った。
教員の世界はある意味シビアである。
採用された年の4月から、プロとして教壇に立たされる。
もちろん研修はあるのだけど、がっつり受講してから教鞭を取るのではなく、併行して実施していく。
だから、大卒新採と高3とではわずか4つしか年が変わらないのに、立場は「教師と生徒」となる。
さぁ、これは結構なスタート。
でも、「教師として」の前に「社会人として」という視点に立つと、やはり大学を卒業したての人には学ばなきゃいけないことや超えなきゃいけないハードルがたっくさんあることを改めて思い知らされる。
・周囲の人との関わり方
・礼儀、マナー
・学ぶ姿勢、研鑽への向き合い方
こういうことに最初目を向けることが本当は大事であって。
・仕事の優先度の付け方
・やりたいこと、成し遂げたいことの抽出
・成功への導線
こんなのは、最初の数ヶ月でペラペラ人に言うものでもない。
勘違いしてはいけないよね。
大学生と社会人は全く立場が違う。
経験ある方々へ、若い荒削りの論理で噛みつくのはおかしいよ。
世界は自分中心に回っているわけではない。
チームでやるのだから。
そしてあなたたちは、そのチームに新しく入ったメンバーであるってことを自覚して欲しい。
生徒を育てていく大切な仲間になったあなたたちを、私たちは大切に思っているんだよ。
だからこそ、愛のある説教を彼は新人くんにした。
初めて誠実に受け止めていたらしい。
教員になってわずか4ヶ月、そこにどんな傲りがあったの?
「自分はできる」という自信は、年数を重ねて生徒や保護者からフィードバックをいただいて初めて得られるものだよ。
そして、他の経験豊かな先生方と相対し、他人を蔑むことを厭わないスタンスで自分を過大評価するものではないんだよね。
気づけて良かったね。
指導した彼にも拍手。
・
・
・
話を戻す。
ハッとした。
私はこれまで何をしていたんだ!!
のんきに考察している場合ではなかった。
若手を育てるって、頭でっかちにやることではないということに気づいた。
前述したように、そもそも若手も私たちもベテランも、みんな協働して生徒を育てていく仲間。
苦手とか言ってる場合じゃないよね。
「私が偉そうなこと言える立場でもないし」
逃げるための常套句だった。
欺瞞でも何でもなく、今は私も偉そうなことを言えるだけの成果は十分に出してきた。
かっこつけず、素直に自分の意見を伝えることは彼らのためになるってことにようやく気づいた。
そして、最近。
私を慕って、何度も相談に来てくれる同じく20代の先生がいる。
指導の話をしていると「うーん、若いな(笑)」って思っちゃうことも多々あるのだけど、彼なりにいろいろ考えていて模索に奮闘している姿に伴走することは嫌いじゃないっていう自分の気持ちにそっと対峙している。
生徒が成長することに喜びを感じる。
これはこの職業の醍醐味。
そのためにやっているようなもの。
そこに加えて、ここへ来て新たな発見か!
若手の先生が成長していく姿にも同じような感覚を得るのかも!
ミドルリーダ-って、そういう側面も持ち合わせているの??
「育成」という任命も何もされてないけれど担わなければならないステージに立ち、「役割が人を育てる」ってことを実感させられた今日この頃。
なんだか、奥が深い。
そういう視点に立つことを忘れずに、教育に携われることに感謝せねば。
「教え育てる」。
言葉の意味そのものみたいに高尚に構えず、みんなの成長の一助になれるように精進しないとなってポジティブになったことを綴っておく。
夏休みに入っても、課外授業などの関係で全く余裕がなかった。
この後も出張・出張・出張~の連続で、本当にゆっくりできるのはお盆くらいか。
教職以外の人たちからの「先生は夏休み暇でいいね」っていう誤解問題を解決したい。
出張の宿題を取り組まないと・・・なんていう憂鬱さを思うと、生徒と毎日会えて授業ができる平常運転な日々をすでに欲している授業中毒者。
早く9月にならないかな。
暑いし(これ、切実)。
ご機嫌に夏を過ごしたいものです。
では、また!
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