若い人へ〜詩人に託して
中原中也の第二詩集『在りし日の歌』の中に「一つのメルヘン」という夢のような詩がある。
秋の夜は、はるかの彼方に、
小石ばかりの、河原があつて、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射してゐるのでありました。
陽といっても、まるで硅石(けいせき)か何かのやうで、
非常な個体の粉末のやうで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもゐるのでした。
さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでゐてくつきりとした
影を落としてゐるのでした。
やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもゐなかった川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました……
この詩を書いて間もなく、長男・文也が急死し、中也はまともな詩が書けない状態に陥ってしまった。
予感
「前編」*1 で紹介したが、この詩は「死んだ子」という昔話と重ねてみることができる。この河原は、死んだわが子と会うことができた黄泉の国との境にあるように見える。
自分の子供が死んでしまったら、という不安を抱いたことのない親はいないだろうが、中也の予感はもっと澄んでいて、もっとクールな地点における啓示とでもいうべき質のもののように感じる。「命を湛(たた)えている世界との交感」といってもいいだろう。
この世界は重層的だ。色々なレベルから成っている.科学や学問の世界では、特定の事象を概念化・数量化して操作する。日常のレベルとは異質なルールが支配している。日常の世界では、「慣習」が、様々な事柄をどう問題にし、どのようにさばいていくかをコントロールしている。どちらの世界の論理の網からも漏れて、意識化されることのほとんどないレベルも存在する。
昔話がリアリティをもって語られた時代には、もしかすればこういう意識上のレベルの世界は、今よりもう少し狭ったかもしれない。「非科学的」という烙印を押され顧られなくなった意識下の水脈は幾筋もあったのではないか。
そう考えると、詩の命の涌き出しうる水脈のひとつを掘りあてたような心地になる。
中也は何かを予感していた。それがこの詩を生んだ。その予惑は、文也の死に連なり、自身の死に連なり、その哀惜に連なり、そのあきらめに連なる。言いかえれば.その予惑は、文也の命に連なり、自身の命に連なり、その讃嘆に連なる。つまり命を湛える世界との交感がこの予感の土台にあるのだと思う。
中也は「子どもの死」に類する昔話に触れたことがあり、それがこの詩の下敷となっているのかもしれない。しかし、大した問題ではあるまい。
幾回も傷手を負いながら、だんだんと澄んでいった身体だけが感じとることができた漣(さざなみ)の美しい「定着」がここにある。それが大事だ。
深手からの回復
落第、親友の死、失恋、子供の死ーーこの詩人を襲った不幸は、さして特異なものとはいえまい。けれども、彼がこれらのいちいちに律儀に傷ついたことは確かであり、ひとつの傷から回復しないうちに次の傷を負うことのくリ返しであった。
詩人はひとつの本当にすぐれた詩をつくるために、ほとんど一生を費やす。「一つのメルヘン」は、その本当にすぐれた詩の名に値する作品だと思うが、ここまでの遠い道のりを思うと、ことばにつまる。
田村隆一の「四千の日と夜」*2 という詩にこういう一節がある。
一篇の詩が生れるためには、
われわれは殺さなければならない
多くのものを殺さなければならない
多くの愛するものを射殺し、暗殺し、毒殺するのだ
あなたの中に、うごめいている無数の命のうち、なにものかを殺さなければ、新たな何かは生まれないであろう。多くのいとしいものを殺せば当然あなたも深手を負わずにはすまない。そしてその傷から回復する暇もなく次の痛手に襲われるかもしれない。
しかし、傷のために醜くなるな。傷を負うごとに美しくなれ。傷を負うごとに卑屈になるな。傷を負うごとに勇気をもて。これ見よがしの強がりではなく、内に、秘めたる砦を築き、命を湛える世界からかすかに流れてくるささやきを導き入れよ。
だれが認めなくとも、私の中の小さな詩人が生きるかぎり、私がその証人となろう。
*1 「シードンどうブツ記」2024.1.12記事「前編」参照
*2 田村隆一 『四千の日と夜』(1956年)所収
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