米内光政 東京裁判では追及されなかった米内の戦争責任とは?
今回は総理大臣や海軍大臣を務めた米内光政について解説する。
1.概要米内光政は1880年、岩手県で生まれた。1898年、海軍兵学校に入校したが当時はパッとしない人物だったという。1936年に連合艦隊司令長官に就任。1937年には海軍大臣に就任し、林内閣、近衛内閣、平沼内閣と務めた。1940年には、総理大臣に就任したが6カ月ほどで総辞職した。東條内閣総辞職後、小磯内閣で海軍大臣に就任。
1948年、病死。
2.協調派としての米内光政協調派の米内、これは世間一般のイメージであ