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歴史に残る愛妻家①マルティン・ルター
中世の宗教改革者、マルティン・ルター。
「95ヶ条の論題」を出し、既成の教会権力と戦った事で有名です。
その激しい性格のイメージからはなかなか想像がつかないのですが、超愛妻家だったこと、御存知でしょうか?
マルティン・ルター
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16世紀、カトリック教会のトップであるローマ教皇庁は、資金調達のために免罪符を販売しました。
「現世の罪が許され、天国に行ける。故人のために買えば、その人も救われる」とうたった免罪符は、飛ぶように売れたそうです。
これに対し、ルターは激怒。
「何かが違う!」と直感的に思えたのでしょう。
1517年、ヴィッテンベルク城内の教会の扉に「95ヶ条の論題」を発表。
「信仰にのみ人々は救われる。免罪符は人々の信仰心をゆがめる」と批判し、教会側と徹底交戦に入ります。
「ドイツの国をくれると言われても、妻のいる家庭の方がいい」
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激情家のルターが意外にも見せた妻への愛情。
「このドイツの国を私にくれると言われても、私は、それよりも、優しい妻がいる家庭を選ぶ」
という言葉が残されているそうです。
国をくれるよりも妻の方が良い!!
ルターの愛情の深さが伝わってきます。
ローマ教皇という、権力のトップと戦っているルターらしい言葉でもありますね。
その他に、「わたしは妻をフランスともベネチアとも取り替えたくない」とも言ったとされています。
時には妻のことを「わたしの肋骨」とも呼んだそうです。
(これは聖書に、「神がアダムとイブを創った時、アダムの肋骨からイブが創られた」との記述があるためです)
いずれにせよ、妻が大好きなことはとてもよく分かりますね。
ルターの妻・カタリーナ
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カタリーナは修道女でしたが、ルターの著作を読んで共感し、彼に手紙を書きます。
文通による交流が始まり、カタリーナはどんどんルターに惹かれていきました。
ルターの教会改革は修道院批判まで含まれていました。
そのため、カタリーナは仲間の修道女達と共に、修道院を脱出することにしました!
カタリーナ、修道院を脱出!
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修道院を脱出すると心に決めたカタリーナ。
ルターと交流のあった商人の手を借り、なんとニシンの塩漬けの空樽に身を潜めて脱出したそうです!
空樽に身を潜めて修道院を脱出とは、さすが将来のルターの妻ですね!
修道女とは言え、元は良家の出身だった仲間も多く、1人、また1人と結婚していきます。
そんな中で、カタリーナは一向に結婚しませんでした。
彼女の心には、愛するルターがいたからです。
カタリーナ、結婚を迫る!
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やがてカタリーナは、一人暮らしだったルターの家に行き、身の回りの世話を買って出ます。
そして、予想通りの流れですが、しばらくすると、「私と結婚するべき」と主張するようになります。
聖職者に求婚とは、なかなか強いメンタルをお持ちです!
ルターも最初は結婚までは考えていなかったようですが、カタリーナの情熱に押され、やがて2人は結婚しました。
聡明なカタリーナ
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結婚までのエピソードで分かる通り、カタリーナはハッキリとした意志を持っている賢い女性です。
結婚後は、ルターの自宅で開催される勉強会にも参加しています。
男性優位だった当時、女性が男性と対等に座り、議論するなどあり得ないことだったそうです。
妻に勉強会への参加を許したルターの懐の広さも、もっと評価されて良いのかもしれません。
幸せな家庭生活
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カトリックでは、聖職者の結婚は大罪です。
(プロテスタントでは、聖書に根拠がないとして、聖職者の独身制を否定しています。)
そのため、聖職者と脱走した修道女の結婚は冷ややかな目で見られました。
しかし、ルターとカナリーナは周囲の批判を気にしません。
2人は3男3女に恵まれ、安定した家庭生活を満喫しました。
「結婚して満ち足り、子どもが与えられて幸せだ」とのルターの言葉も残っています。
あれだけ教会や旧勢力を批判し、一歩外に出ると常に戦場のような環境であったに違いないルター。
そんなルターにも、家庭という帰るべき場所があったからこそ、戦えたのかもしれません。
ルターがいてくれたからこそ……
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カトリックの既成勢力からすれば、教会権力を批判し、さらに結婚をするなど、ルターはさぞかし型破りな存在に思えた事でしょう。
しかし、ルターがいてくれたからこそ、聖書はドイツ語に訳されました。
ルターがいてくれたからこそ、プロテスタントの流れが起きました。
キリスト教に直接関係ないわ、という方にも関係があります。
ルターがいてくれたからこそ、マックス・ウェーバーによって「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」という本が書かれ、資本主義が肯定されました。
ルターがいなければ、「勤勉に働いて対価を得る事が神に許された事である」という考え方も生まれなかったかもしれません。
つまり、私たちは、お金を稼ぐ事に罪悪感を持ってしまう可能性がありました。
そう考えると、ルターが活動してくださったことに感謝ですし、ルターを温かく包み込んでいたであろうカタリーナに、私たちも頭が上がりません。
まとめ
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ルターを強くしたのは、きっとカタリーナの愛情と家庭の温かさだったのでしょう。
そして、そんな妻への愛を惜しげもなく表現するルター、素敵です。
まさか500年以上も愛妻家エピソードが残っているなんて、奥様も幸せ者ですね!
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
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