人との関係構築術を。
本日は久しぶりの社内全体会議だそうです。
何を言われることやら…。
叱る事 ー家庭編ー
みなさん、「叱る事」ってできてますか?
私ね。苦手なんですよ。
怒れるんですけどね。イライラしたりしたら。
その人の為に怒れないんですよ。だって、別にどうだっていいから。
一つに娘に対して。
これは恥ずかしながら「教育的指導」という意味でも叱れておりません。
なぜなら「叱る理由」が自分の中ではっきりしてない時があるからです。
最近、妻とも話していて「そうじゃない」と逆に私が叱られるのですが、
その「叱る理由を私(妻)にしないでっ!」と言われるのです。
ハッとしましたよね。
私個人としては、そこが最重要ポイントなんで仕方がないのですが、
「娘であろうと愛する妻に迷惑をかけるな!」という思いが先だってしまい、「怒ってしまう」のです。
つまりは、私は娘に対して、「怒っている」のであり「叱っている」のではないのでした。
叱る事 ー仕事編ー
もう一方で仕事でも少し苦手だ。
私の場合、心底どうでもいいと思うのですが、「他人の為を思って」という奴。
妻には「巡り巡って自分を助けてくれるから、自分自身の環境をやりやすいように整える意味で”助言をする(=叱る)”んだよ」と言われるんですけどね。
私の仕事には影響でるかもしれませんが、別に仕事なんてどうでもいいし、
ましてや、金銭的につながりがあるだけの人達に”成長”を期待するだけ損だと思ってしまうのです。
ましてや、家族や親族でもなく、それで飯を食っている人たちな訳でこちらがこの「金銭的なつながり(仕事を依頼→受領)」が結べなくなれば平気で手のひらを反すような連中じゃないですか。
なので、不用意に「怒る事」もないわけです。そもそもが期待していないので。
そこ(叱る事や期待する事)に労力をかけるより、できた人を見つけて、金銭的なつながりを基本として創意工夫していった方が、心の健全を保てると私は思うのです。
そういった方々に対しては、プロとして私も接する事ができます。
要望を聞き、場を整え、できるできないを判断し、予算取りをし、計画を立てる。これが私のできるプロの方への敬意を払ったお返しな訳です。
「願望」と「裏切り」
よく「期待しているから叱られる」なんて聞きますが
おそらく人は、「こうなってほしい」という願望で人を叱り、
「なんでそうなんだ」という裏切りで人を怒るのでしょう。
私はよくも悪くも他人に興味関心がありません。
妻として、娘として、職人に対し、何を望んでいるわけではないのでおそらく「叱る」という行為が苦手なのかもしれません。
逆に誰かが私の期待値を大きく上回った時はあまりありません。
娘の成長には目を見張るものがありますがね。逆に言えば、
裏切られてばかりなので、常にイライラはしているといった方が正しいかもしれません。
きっと私もその一人ですが、現代社会の人々は他者への過剰な期待がこの「裏切り」を慢性化して、人間関係が成り立たなくさせるのでしょう。
本日の結論
ヒトニキョウミヲモッテセッシテミヨウ。