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[オタクなベトナム人)日本語理解できることを感謝。


呪術廻戦の話は最近止まらない。
こんなにハマっているのに、日本にいないことが
意味わからないぐらい悔しい。

東京に戻れたらどんだけ嬉しいだろう。
展示会に行ったり、漫画全部購入したり好きな時に読み返す。
そして日本語で毎日喋り続ける。

アニメをすべてもみて、映画版もみて、時間軸順番で
多分5回ぐらい見ている。暇が出たら考察みたり感想文を読んだり
Podcastを聞いたりしている。とにかく落ち着かない。

そして今漫画を最初から読んでいる。
キャンペンでデジタル版無料で読んでいる。(大感謝)

この作品には出会えて日本語理解できている自分で
よかったなと今思っている。

普通なら別に何語でもわからなくない?って思われるかもしれないけど、
ベトナム語版でも読んでみた私はそうは思っていない。

日本語学習者で0から勉強してきた私は
そう思えない。やはり言語面として
深い部分がある気がする。

もちろん、翻訳すればよいという話だけど、
私にとって言語はその国の文化であり、その国のことだ。
そのままに変換したら100%意味が分かるということではない。
言語の中にはその背景で文化や習慣など説明が必要だと考えている。

ずっと頭の中にグルグル感じていることは
ちゃんと100%相手の意図を伝えることが非常に難航。

AIみたいな翻訳ではないし
そうだったら誰だってできる。
その意味、その言葉をそのままで変換すればいい。
だが、その中に深く意味がある、ストーリー全体に関わる部分もあるということ。

今まで何となく違和感感じているけど、呪術廻戦という作品を通じて
もう少しはっきりになったような感覚。
例えばその①

肉体も呪力もこの眼に映る情報はオマエを夏油傑だと言っている。
だが、の魂がそれを否定してんだよ。
さっさとこたえろ、オマエは誰だ。

五条悟

学生時代の五条は俺を使った。大人になった五条はいつも、誰にとっても僕
という一人称。唯一「俺」を使ったのは、このシーンだ。
言語変換の時には説明なしで視聴者がわかるだろうか。
せめてベトナム語だと少し違う。
英語みたいな簡単ではなく逆に一人称が非常に面倒なベトナム語。
自分の立場と相手の立場で変わる。

俺、オマエっぽい一人称もある。
でも使い方は同じではない。
そしてベトナム語版はこれを使っている。
(お前と俺にはベトナム語だと親しく同級生か年下の近い関係や尊敬しない人に良く使われている、逆に親しい関係だけど、目上の人や家族には使わない)
難しい問題になっているけど、世界中のファンには
この素敵な点が伝わってほしい。

ちなみに夏油の一人称がずっと、これで彼の真面目さを
伝わっている。

その⓶

死んで勝つと死んでも勝つが違うよ、恵。
本気でやれ。もっと欲張れ。

五条悟

ひとつの文字だけで意味が変わる。
友達に説明するのに難航だった私。

芥見先生の語彙力が凄すぎるでしょう。
私だけかもしれないし、外国のファンには伝わっているでしょう。
「本気でやれ、もっと欲張れ、恵」

自分が死んだら何とかなる。最悪の場合を想像して全力で頑張れない。
一方、「も」つけたら
死んでも勝ちたいから、全力で戦うという意味。

個人的に本当に刺さったシーンだった。
(さすが五条先生)

③名前センス
伏黒恵が好きなキャラだ。
(他も好きだけど)
日本生まれ育ちではないから、自分の感覚だと
「恵」という名前ってザー女の子という印象。
でも、呪術廻戦を見たら男性でも違和感なくない?って
思っちゃう。

いつも落ち着いてクールな伏黒で、「恵」って
呼ばれても全然変ではない。
それは、私は外国人だからすぐ受け入れちゃうからかもしれないけど
そいう名づけのセンスも素晴らしい。

などなど。(まだ沢山ある)


ここで自分個人のことで気づいた。
三日坊主の私だけど、唯一日本語学習とういうことが全く飽きない理由。
それはただ、日本語でコミュニケーション取りたい
素敵な文化、作品などわかりたい。触れたい。
完璧ではないけど、今みたいな表現したい。

日本のことを知ろうとすると、自分の母国も自然に知りたがる。
ベトナムはこうだけど、日本語はどうだろう。と逆。

それで十分。

今回のように全く日本語理解できず、ベトナム語版だけだったら
こんなに感動できるのか、沢山の素敵な気づきができるでしょう。

自分の中では、無意識に思った。
「ここまで日本語を理解できているから、何か凄まじいな者にならないと、
偉大な者にならないと」といつも思い込んでいた。
誰でもできることってやりたくない。
何者かわからずにただなんとなく何かになりたい自分は
多分努力し続けることを仕事として何とかしないともったいないと思っているから。

でも、今気づいたのはこうやって自分の思っていることを
日本語で言語化できて
素敵な作品を理解できて、
素敵な友人と日本語で会話できていることが
私は望むことだと思う。
もしできるなら撮影関係や日本の作品など関係する仕事をしたい。
(過去2,3回ぐらい経験した)

今は何者になれなくても自分をほめてあげたい。
諦めないで少しずつ好奇心の元に、自分が好きな言語で使っていること。
そのままで楽しんでほしい。

過去の失敗は何回もあっても、またやり直せばよい。
ようやく気付いた本来の目的。
これから考えてみる。どうやってそれを現実に近づけるのか
少しずつ気づけるようにする。


p.s 作品の意図や意味などは
自分が考えすぎる性格があるだからかもしれない。
また外国人なのに、日本語を読んでいるということもあるでしょう。
重ねて外国人なのに日本語というこだわりが強く細かくなってしまう
(完璧主義をやめたい)
でも、作品何十回も繰り返して研究したら芥見先生も色々意図を込めて書いた
気がする。(もし自分が作者だったら気づいたら嬉しいかも)

素敵な作品に出会えてとても嬉しい。
これからも感想を書いてきます。

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