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読書のこと。

久しぶり土日でゆっくり起きてゆっくりパソコンと向き合う。
仕事家族のことで思考が勝手に回りきって気づいたら
休む間、文書を書くことができない。

ブームになったアニメ鑑賞の方が圧倒的に勝ちこの最近。
毎日10時間労働でよく耐えられている。
私は無理よって思いながらいざその時が
くると全力で走ってしまう。
何故か仕事のことだと全力で走ってしまう癖がある。
誰かのためで、誰かに役に経つからとか無意識に思っただろう。

そういう日々で生きると、読書や文字読む自体ができない。
そして疲れ切ってあとは、機械の自動的な操作みたいな
アニメを選んでみてしまう。

紙の本を買いなよ。電子書籍は味気ない。本はね、ただ文字を読むんじゃない。自分の感覚を調整するためのツールでもある。

Psycho-pass

意味深いアニメを見た。2週間前からだけど。
最近ゆっくりで読書してないことをリマインドしてくれたような。
読書って余裕じゃないと集中できない気がする。
それとも私はそんな読書が好きじゃないだろうか。


理性と欲求

最近欲求の方が勝っている気がする。
理性は全て仕事に入れるからなのか、
その以外は欲求でバランスを取っているような仕組み。

読書とか勉強ってどっちだろうか。
理性なのか欲求なのかはっきりわからないけど

他人から見ると読書や勉強って以外と理性の方じゃないかと思うけど、
自分もそうだった。読書の人ってなんかいいな。
自分もそうなりたいと。

そう思って私は読書が好きだわけじゃない。
好きって言えるけど、いつか飽きてしまうかもだなと思いながら
時間がる時一人でどこに行こうかという時は本屋一択だった。
昔仕事帰りで立ち読みは最高だった。
駅の中で本屋があるなんて素敵すぎる設定だ。

今は思う。
新しい知識、学びなど手に入れたいのは
根本的に欲求だと気がする。

それは勿論何が悪いことではない。
でもなんかどこかでよくないことがあると思っているような。

じゃ、足りないのは環境だ。
読書用の環境。


機械的な操作

最近何も考えず仕事ができる。
いや、翻訳だって硬い業界だとAIでも全然任せると思いながら
今AIの代わりにやっているみたいな。

そういう時は繰り返し作業ができない自分が何をやっているのか
いや、意味があるなのかも少し考える。
ただ、その考え自体が芽生えないぐらい振り回されている気がする。

いつかそういう仕事から抜け出せると決めたものの、
現在にはその時間以外には機械的な操作もしたくない。

無意識に画面をスクロールしてしまうこと。
映画などで無意識にみてしまうこと。
意味が感じられない誰でもやっていること。

その行動が何か意味・価値が確実にあると思うなら
行動し続けて良い。

でも、何も考えずただ快楽を感じて衝動的にやってしまうのは
少し考える余地が必要かもしれない。

読書は自分にとって意味がある趣味だ。
好奇心旺盛の自分だと一番長く効く気がする。

勿論絵やアートも大好きだ。
でも、恐らく自分が一番得意であり一番好きであるものは
文字だと気がする。
読むことも書くことも。

それは自分の感覚を調整してくれることだから。
かもしれない。


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