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期待に応えようとする選択
ある時期まで、社会や家族の期待に応えられてた気がする。今はもうそうじゃないけど、その時の努力と結果は、正直悪くなかった。できるなら、ずっとその期待に応え続けられたらよかったのに。
でも、何か限界を感じてる。「自分は何をしてるんだろう」って考える瞬間が、日に日に増えてきた。誰にでもできることが自分にはできない。今までは当たり前だったことなのに、不満を抱え、常に違和感を感じながら生きている。
昔はとてもいい子だったのに、30代近くなって反抗期みたいに家族を傷つけるような発言をしてしまう。将来のことも明確に考えられず、安定せずにただ点々とする生活。
期待に応えたいのに、がっかりさせたくないから、いつも考えてることや行動を誰にも話さず、全部自分で決めて進んでは立ち止まり、悩み、一人で転んで苦しんでる。結局、誰のせいでこうなったんだろう。
きっと社会のせいでも、親のせいでも、この世界のせいでもない。誰にでも心の中で葛藤は生まれるもので、それにどう向き合うかは、結局その人自身にしか決められないんだと思う。
昔からの小説や本にも書かれてるはず。「自分だけがこんな思いをしてる」っていうのは思い込みで、「なんで自分だけがこうなんだろう」って偏見を持って、ただ社会を憎み、悔しさと不満ばかり抱える人になってしまってる。
自分を押し殺して必死に期待に応えようとするのに、できない時は逆に周りのことを憎んでしまう。何をするのか、どっちを選ぶのか、自分自身の問題なのに他人のせいにして、社会や会社のせいにして、自己犠牲を払いながらも被害者意識の目で世界を見てる。
期待に応えられて満足できるなら、それは素晴らしい選択。
でも何か違う。このままじゃいけないはず。何か変化が必要だって感じることばかり。そういう瞬間が何度も来てるのに、何も行動できずただ諦めていく。そんなことを繰り返すのも、また私自身なんだ。
だから、自己犠牲を払いながら世界を憎むのはもうやめることにした。これまでの人生は私の選択の結果なんだ。運よく良い結果が出れば自分の努力のおかげだと思い、予測不可能で失ったものが山ほどあったら社会のせいにした。
これを機に、そういった考え方をやめようと思う。これまでの人生は自分が選んできた道であり、これからもそうありたい。
不安で色々な記事を読んだり、信頼できる友人の意見を聞いたり、先輩のアドバイスを参考にしたりして全部が私の決断に影響を与える。けれど、最終的な決断は私自身の責任。そしてその結果は私がもたらしたことなんだって、これから少しずつ心に刻んでいきたい。