見出し画像

他人はどう思うのかという呪いから解放してあげたい。

他人なんて気にしてないよ。好きなことをやってるよと言っている時があるけど
本当はどこかで他人がどう思うのかとか
これ見られたら批判されるかもねとか
詳しく想像してしまうのがよくある。

日本のことが大好きだけど

日本にいた時にはどこかのコミュニティーに入ろうとした。
自分が確実に違うのに。
その場に私も同じ人間だから入れてくれとずっと常に悩んでいた。
そのせいか、ずっと大好きな日本に自分の居場所ではないと感じた。
あれ?なんか違うよ。

同じ日本人の皆さんから同じく接してももらえなかった。
外国人だから見られて見下しているじゃないかとか気にしたかも知れない。
私は日本語喋るし、遠慮しなく話してもらいたいとずっと必死でアピールしてきた。

ただ、私は外国人だし、いくら頑張っても日本人になれない。
そもそも何人の話ではなく、自分が他人と違うと認めるべきだった。
全て理解してもらえるコミュニティーなんてないのにずっと探してきた。
自分が違うことを他人が思うのは非常に苦痛だった。

私は何か作ったりするのは好きだ。

この文章のように。
文書を書いたりお絵描きしたり読書したり映画をみたりすることが。
気づいたらクリエティブの方に近いかもしれない。

クリエティブは仕事ではない。今の仕事の内容ってどっちかというと
受けて正しく伝えることが大事。
自分がどう思うのか、アイディやそのものを工夫したりすることが少ない。
それでも、本能的にこれ何かだめじゃないかなとか
こういう方が相手がわかりやすいかもって考えてしまう。必要以上に。

こんなクリエティブ好きな自分はSNSにアップすること自体が怖い。
他人がどう思っているのかを無意識考えてしまうから投稿ぐらいもできなくなっている。

素敵な人はこんな大勢にいるから自分の作ったものが誰が見るねんっ
て思っちゃったりして。
そして10年間前作ったFBも知り合いが多いから毎日投稿するのはよくないとか。
こういう話したいけど、どう思うのかなとか。
また考えすぎとか敏感しすぎとか思われそうじゃ

そのループになったら何もアウトプットできなくなる。
ずっとこそこそインプットし続けている。

読書が好きで同じ本も何回も読んだり、自分の教科書になって
わー素敵なことを書いてるな、誰かにシェアしたいということを考えても
できなくなっている。
3年前だったら散々やったのに。

これを投稿したら見る人はどう思うのかな。
読書好きってアピールしたいという子とか思うかもしれないな
そしてやめて行くこと。

私はノートが好きなひとつ理由として
自分は何者でどんな顔なのか他人にはわからないし。
自分の文章を少し興味があれば読んでくれることが1番良い。

そして私も読んでいる文章の人も知らないけど。
その文章に共感できるだけで十分に嬉しい。

そう思いながらこのイライラをブログという形にした。
昨日ひろゆきの本からとても良いことを読めた気がする。

モヤモヤしたら創作にぶつける。

ひろゆき

わーこれだな。これは自分用かもなと思った。
ずっと誰かに共有したい!表現したいという気持ち。
他人という物体がどう思ってるのかだけで
ストップしてしまうのは何か悔しい。

ノートを半年ぐらいに続けたらわかるけど、
書いたことで心がスッキリになった気がする。書く自体はお金に全くならないけど
言語化できて口でいう言葉もすらすら出る気がする。
かつ誰か読んで共感してもらえたら最高な一日になりそう。

他人がどう思うのが全く気にしないまでは行けていないかもしれないけど、
モヤモヤことでも、シェアしたい気持ちでもアウトプット形にした方がよっぽど良い。
自分はしたいだから。
まず自分のことを考えてから誰か知らない他人のことは後回しにする。

いつか知らない人でも知ってる人が読んでどう思うのか考えない自分でいたい。
いつかもっと自由な自分を解放してあげたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?