ダン・ニューハース著『不幸にする親』 | 『毒になる親』の追補本を読む
概要
スーザン・フォワード博士(Dr. Susan Forward)が1989年に著した『毒になる親(TOXIC PARENTS)』という本が「子供にとって有害な親」を意味する「毒親」を初めて表現した本であると言われている。この書籍を追う形で出版された ダン・ニューハース博士著『不幸にする親』は、『毒になる親(TOXIC PARENTS)』を補完する形で出版された本である。
昨今、YouTubeに毒親や機能不全家族に関係する動画が数多くアップロードされている。それらは概ね『毒になる親(TOXIC PARENTS)』と『不幸にする親』に則していると言ってよい。『毒になる親(TOXIC PARENTS)』についてはこちらの記事で説明しているので、そちらを参照してほしい。
『毒になる親』では毒親に焦点が置かれているのに対し、『不幸にする親』は子供に焦点が置かれている。特に、『不幸にする親』では毒親によって子供たちがどのように歪んだ発達を遂げるのかが説明されている。
これらの書籍で述べられている通り、毒親というものはパターンが決まっており、特定のパターンに沿うか、複数パターンの組み合わせで出来上がることがよく分かる。
所感
本書籍は毒親に育てられた子供の仕様書のようなもので、毒親に育てられた子どもが、どのような大人になるかを事細かに説明する。毒親に育てられた子どもが大人になってどう振る舞うのかを予言した本である。
そのため
『毒親に育てられたあなたは、今こういう人生じゃないでしょうか?』
『毒親に育てられたあなたは、今こう感じているのではないでしょうか?』と言われているような感覚になる。
要約
本書籍は、第1章から第8章で以下の項目を順に説明する書籍である。
毒親のことを知る:親の有害な行動とそのパターンとは?
第1章と第2章毒親の問題点を知る:毒親の何が問題なのか?
第3章から第5章解決策を知る:この問題の解決策は何なのか?
第6章以降
補足
なお、『不幸にする親』では「毒親」という言葉を滅多に使わない。使うとしてもそのタイミングは限られている。しかし、本記事では簡略化のために「毒親」で統一して表現する。
この書籍は日本語訳されたものだが、非常に自然な日本語で書かれており、文章が読みやすい。また難しい専門用語や米国の概念が日本人にとって分かりやすい表現に変えられているので、分かりやすい。ぜひ書籍を購入して(リンクは非アフィリエイト)、読んでほしい。
引用について
引用は文化庁ホームページ【「引用」】(第 32 条第 1 項)(PDF p.76)に従う。本記事は著作権上問題が起きないように留意しているが、もし引用の仕方や量に問題あればすぐに対応したいと思うので、コメント欄などでお知らせ願う。
文化庁の権利制限規定
https://www.bunka.go.jp/seisaku/chosakuken/textbook/pdf/94112701_01.pdf
また本記事では筆者の心象に残った部分を抜粋しているが、全てを網羅しているわけではない。またこの記事で述べていることは非常に限られた範囲であり、書籍のほうが非常に広範囲かつ正確である。この記事を読んで少しでも興味が湧いたら、とても読みやすい書籍なので、ぜひ購入して読むことをおすすめする。
書籍
ダン・ニューハース / Dr. Dan Neuharth(玉置悟 訳)
『不幸にする親 If You Had Conrtolling Parents』(文庫本), 講談社, 2008, 全281p
Amazonの非アフィリエイトリンク 858円(税込) (2024/11/07)
序章
この本は1ページ目から本当にきつい一文が書いてある。以下は表紙をめくって1ページ目に記載されている文章である。
『毒になる親』でもそうだったが、自分が何となく思っていたことが、この書籍の1ページ目にそのまま書いてあり、非常に驚愕した。この時点で私は嫌な予感がしており、この書籍を読むことは私にとって本当にしんどい作業になるだろうと思った。
P.1~P.32は序章なのだが、ここで簡単に毒親の特性がまとめてある。
この時点で私は相当気分が悪くなった。私の両親のことがそのまま書いてあったからである。
序章の時点で私は最悪に気分が悪くなった。さらに追加して以下の文章が追い打ちをかけてきた。
この書籍の指摘に関しては、本当にその通りとしか言いようがない。
公共の場で人目を憚らず泣いている子供を見ると、自分が父親に殴られ、出血しながら泣いている時の記憶がフラッシュバックする。毎回、陰鬱とした気分になる。
繰り返すが序章でこれである。毒親育ちの子供にとって、本当に読むのがしんどい書籍である。
しかし、この読むのがしんどい序章の最後には、この問題を解決し、自分の人生をより豊かな方向に向けることができること、また今の自分を苦難に満ち苦しかった子供時代から切り離して生きていくこと、が述べられている。
第1章 認知
第1章では認知の歪みを指摘するところから始まる。いくつか患者が述べるような例に対して回答する形で、それが述べられている。例えば、
という問いに対しては、
というように記述されている。他にも多くの例が挙げられているが、実にわかりやすくまとめられている。
この章で私が一番衝撃を受けたのは、回答の説明の中にあった以下の文章である。
これは本当に共感した。私の父親は、勉強のときに、算数のドリルで1問間違えるたびに、頭を手加減なしの力で殴りつけて怪我を負わせるような親だった。殴られると、痛いし怖いし涙も血も出るしなのだが、何よりも私を傷つけたのは、「あーあ。お前は本当に馬鹿だな。何度同じ問題を間違えるんだ。」という言葉だった。本当にあれは幼少期の私の心の発育を妨げたと思う。
ちなみに私の両親は、解答用紙に自分の名前を書ければ入れるような私立の文系大学(しかも中退)で、言ってしまえば本当に馬鹿なのは父親の方だったのだが、当時の私は知る由もなかった。本書では人間が弱目に対して必要以上に反発する行動を取ることを指摘している。
例えば、反社会的行動を打ち消すために社会貢献活動をしたり、拒否されることを恐れる何でも先に拒否したり、という行動である。
昔のTwitter(現X)で、「必ず否定してくることで有名な先輩に、遊び半分で『豆腐は大豆からできてますよね?』と聞いてみたら『いや、全ての豆腐がそうとはかぎらんとちゃう?』と否定されて爆笑した」というような内容の投稿を見て笑っていたが、本書を読んでから全然笑えなくなってしまった。
つまり、私の父親は私立Fランク文系大学中退なので、非常に学歴や勉学に対して弱目を感じており、それを自分自身と子供に隠すため、私の頭を殴り、罵倒していたという事になる。納得である。
第1章の時点であまりに的確に私のことを指摘してくるため、この時点で私はかなり気分が悪くなった。
第2章 毒親の思考回路
第2章では、典型的な毒親の8パターンが紹介されている。私の言葉でまとめると、要するに、毒親は主語が常に「自分」、ということである。本書でも述べられているが、親になった人間がその後の人生で一番優先すべきことは子育てなのだが、毒親はそれが全くできない。いつまでも自分が人生の主役なのである。
例えば、身体的な虐待をする私の父親は「俺は仕事のストレスでいらいらしていて、殴りたいから子供を殴る」、子供の通帳から金を盗む私の母親も「私はお金を持っていないから、子どもの机から金を盗む」というような形である。これは私の意見だが、簡潔に言って思考回路が犯罪者と同じである。実際に、本書ではそれに近いことが丁寧に述べられているので、書籍を参照してほしい。
こうした親に生まれた子供に対する懸念も以下の通り述べられている。
本書の患者たちの発言を読んでいるうちに、毒親という存在は国家、地域、年代、文化、いずれとも関係なしに存在するものなのだなと思った。
第3章 毒親の手口
第3章から、この書籍のキツさがヒートアップしていく。
これも私がよく父親に言われていた言葉である。私だけではなく、私の兄弟姉妹も同じことを言われていた。父親がこの言葉を言うのは大抵の場合、父親の収入が低すぎるために、一般家庭では起こり得ない問題が発生しているときだった。そのことに私達は勘づいていた。
またこどもは純真無垢なその心から、「自分がおかしいのではないか」と思う。それは成人しても続く。その点についても指摘している。
この「親の声の内面化」について少し私の言葉で解説する。非常に雑に言うと、これは「バーチャル親が自分の心の中に出来上がる」ということである。「親がいたらこう言うだろうな」とか「親が見ていたらこう言うだろうな」というようなことは、成人後は実際言われる可能性は低い。しかし、あなたの中にあるバーチャル親にそう言われるのだ。バーチャル親は心のなかに存在するので、現実の親が死んでも、無くなることはない。これが毒親育ち最大の課題である。死んでも毒親は毒親なのだ。精神医学が発展する何十年も前に、毒親の有害性を見抜き、「遅効性の毒」と表現したスーザン・フォーワード博士の先見の明には本当に驚かされる。
第4章 毒親に育てられた子どもがどのような大人になるか
毒親育ちの仕様書となる章である。子供時代に健康的な親と温かい触れ合いの有無で、大人になったときに、どのような違いが生まれるのかを事細かに説明している。要するに、人生が楽しめない、どこか上の空の、不幸な大人に育つということである。
第5章 何故毒親は子供にそこまで悪影響を与えるのか?
いくつも複数の要件が述べられているが、その中から2点抜粋するとすれば、以下の2点が非常に興味深い。
毒親自身も過去のトラウマを抱えており、それが育児で発現している
「子供は親に借りがある」と考えている
非常に雑に私の言葉でまとめる。これらの問題に対する答えは「なんやこいつ」である。
例え話になるが、あなたが新しい友人から自宅に招待されたとする。あなたはおめかしをして、友人の家の玄関に行き、ドアベルを鳴らした。すると、中からその友人が出てきてヒステリックに言う。「お前を招待するために、家の中の掃除や準備が大変だったんだぞ、招待してやったんだから感謝しろ。俺を敬え。」
「なんやこいつ!?」「お前が自分から招待したんじゃろが」が当然の反応である。この例え話とこの問題の本質は全く同じことである。それなのに、親子の問題になると途端に理解度が大きく落ちる。まるでテストでは上手く動くのに、実際に現場で動かすと止まってしまうソフトウェアのバグみたいである。
本書でも指摘している通り、生命は尊いし、世の中に生を下さった親に感謝、それはわかるのだが、それ以上に問題を与えられては感謝する意味も借りもないのだ。冷えた見方をすると勝手に親が子供を作っただけなのに、感謝しろというのはあまりに押し付けがましい。(ちなみに本書籍では子どもができた理由の良し悪しについては別の話と考える旨ちゃんと前置きしている)
毒親育ちの私には親に感謝するという気持ちが未だによくわからない。しかし結婚式に出席すると、必ず両親へ感謝の手紙を読まされる地獄のような時間が必ずあるので、世間一般的にはそちらの方が正しいと思われる。私はそういう親に感謝する人間達を勝手にFUNKY MONKEY BABYSと呼んでいる。
第6章・第7章 毒親育ちへのエクササイズ
第6章と第7章では、毒親育ちが行う心の体操(エクササイズ)が述べられている。ここは本書籍の核心部なので、多くを述べることはできないが、心から毒を抜くエクササイズと、被験者の体験談が述べられている。
長きにわたって蓄積した毒親の毒は、抜けるときですら、つらいのだ。様々な毒親育ちの心理的な葛藤が綴られている。
第8章 自分を大事にしよう・世の中とつながりを持とう
第8章では、より豊かに人生を送るのを助けてくれる要素について述べられている。
例えば、コントロールばかりする親のもとでつらい子供時代を送ってきたひとであれば、今の自分が興味を持った教室に思い切って通ってみてもいい。新しい楽器を始めたり、ジムに通い始めるのもいいかもしれないといったところである。また毒親の家庭という閉鎖的な地獄で育ったひとでも、世の中とつながりを持って(例えばクラブ活動などに参加して)、ちょっとずつでもやりたかったことなどを、やっていこうと書かれている。
当然だが本書では非常に様々な提案がされているので、是非本書を購入して参照してほしい。
終章
終章はちょっと松岡修造のようなことが書いてある章である。ここで特に心に残る2点を引用する。
この引用2点目の「強さ」について、私の理解で説明する。
毒親育ちは、簡単に言えば心が歪む。しかしそれは毒親からの攻撃から心を守るためのものであり、可能な限り心がダメージを受けないような形に心が歪むという事である。例えば、否定ばかりされる子供は、どうせ否定されるかもしれないと思うことで、否定された時のダメージを最小化しようとする。
言い換えれば、心は歪むことで、毒親からの攻撃に耐えるのに最適な形をとったという事である。つまり、毒親のもとで生き抜くために、心が変形し、その攻撃に耐えるための強さを獲得した。そういうことである。
心が歪んだのは悲しいことだが、それは毒親のもとを生き抜く上で必要なことだった。毒親の元を無事切り抜けられた、自分の心の歪み・心の強さに感謝というわけである。でも、大人になったら、この強さは生きづらさに直結する場合があるので、徐々に解消していこう、そういう話ではないかと思う。
終章にはほかにも様々な点に触れられているので、是非読んでほしいと思う。
考察
『不幸にする親』であえて「毒親」という言葉を使わなかったのは、私の父親のように身体的・精神的に暴力を振るうような人間だけが「毒親」でないということを知らしめたかったからではないかと思う。そのため原題もTOXIC(毒) ではなく、Controlling(コントロールする)になっている。
ところで、私の知り合いの母親がこの書籍で述べられているような「なんでもコントロールしたがる人間」のタイプだった。
例えば、知り合いがお小遣いでなにか買う場合でも、母親の許可が必要だったり、学校などで付き合う友人は親が決めたり、学校の先生とは必要以上に連絡を取り合ったり…というタイプの母親であった。
何を言いたいかというと、私には裕福な家庭で子を育てる比較的まともそうな親に見えていた親こそが、実は毒親なのだとこの本を読んで気づいた。ちなみにその知り合いは独身のまま結婚適齢期を過ぎようとしている。本人曰く、結婚する気はないようである。
関連書籍でも述べられているが、この「許可したもの以外は禁止」するタイプの親のもとで育った子供は、趣味、恋愛、創作など自分の自由意志が尊重される領域において非常に脆弱な特性を示す。まさに典型的な毒親育ちの大人である。
書籍を読んだ感想は以上の通りである。以下は書籍に全く関係のない話であり読む必要はない。
おわりに
本来、これらの本は虐待された子供時代を過ごした人間たちが読むべき本ではない。親になる人間が読み、こうなってはならないと自分を律するための本であるべきだ。
しかし、この本を探し出して読み込み、理解してよい親になろうとするような父親・母親はそもそも毒親になりえない。良き親になろうとする謙虚な姿勢が既に確立しているからである。
「自分はもしかしたら毒親になるかもしれない」と懸念し、心配してこの本を購入して、読みこむような人間は、毒親の影響を受けて多少その色が見えたとしても、毒親と同じにはならない。
登山で例えるならば、登山届を提出し、登山保険を掛け、ガチの登山装備で武装し、避難小屋の位置と天気図を確認してから入山する登山客は、そもそも遭難しにくいし、もし遭難しても助かる見込みが高いのである。多くの場合、遭難するのは登山届も登山保険も登録せず、地図も持たずに軽装+スニーカーで山に入っていく輩なのである。行政も、管理者団体も、登山装備がないのであれば入山するなと警鐘を鳴らすが、依然そうした輩は絶えない。
では、このガチ登山者とスニーカー登山者の違いは何なのか?
おそらく、怠けたり、劣っているのではない。スーザン・フォワード博士もダン・ニューハース博士も、「毒親の親は毒親」と指摘した。これははっきりと遺伝子にその原因があることを指摘していることになる。それを考慮すると、この登山者の問題も、ガチ登山者とスニーカー登山者に分かれる遺伝子があるとしか思えない。脳の回路が違うので、同じ入力でも計算結果が異なるのだ。ここで第2章の同じ内容を再度引用する。
ここで興味深いのは、「考えません」ではなく、『考えることができません。』と言い切っていることだ。スニーカー登山者は、未来に起こりうる最悪な未来を想像しないのではなく、できないのだ。電気回路に繋がっていない電球は光らないのと同じである。つまり物理的に無理だということだ。そう考えると、世の中にいくら説明しても分からない人がいるのにも納得である。
根拠はないが、私は「人類全体に、毒親の遺伝子が密かに組み込まれている」と思う。毒親がいた方が、人間の種全体にとって都合が良いことが必ずあるはずである。そうでなければ過去の人類史の中で、これらの特性を持つ人々の家系はとっくに自然淘汰されているはずだからである。
つまり、毒親がいることで、人類全体に対する何らかの利益があるとは考えられないだろうか。例えば、集団の不利益を押し付けられるような存在がいた方が良いからではないか?
実例を挙げると、私の父親は、平社員であるにも関わらず、会社に騙されてローンを完済した土地を会社に取られた。社会が存続する上では、確かに私の父親のような養分が一定数必要であると思うが、私の視点からは、まるで何かに取り憑かれたかのように、自滅したようにしか見えなかった。
私が言いたいのは、「毒親の遺伝子は全人類に既に組み込まれていて、そのうち一定数が発現し、毒親と化し、その運の悪い遺伝子の家系はその後没落して、社会の養分と化す」ように、人類がそう予め設計されているのではないかということである。虐殺器官ならぬ毒親器官である。
毒親が発生してランダムに家系が没落することで、人間という種はその多様性を維持したり、若返りを行っているのではないかと思う。そう考えると、毒親が異常にまで子供を持つことに固執するのは、その家系の最後の輝きとして、せめて社会の養分を大量に生産するためだということになる。そうだとすれば、あまりにしんどい。
こう考えると、階級、いじめ、偏見、差別、身分というものは全てそれらのフィルターとしての機能を果たしており、今後社会が私の父親のような養分を必要とする限り、これらが無くなることはないということがわかる。この毒親になる遺伝子を毒親自滅遺伝子と勝手に呼ぶことにする(ちなみに生物学では自滅遺伝子は違う意味で使われている)。
この毒親自滅遺伝子が発現した家系は、好景気の時はその存在が社会に恐らく許されよう。しかし景気が悪くなったり、残されたパイを奪い合うようなときに、この毒親自滅遺伝子の家系は、真っ先に社会の養分、社会の緩衝材となるのかもしれない。
毒親の家庭に生まれた時点で人生マイナスからスタート。しかも人生に常にマイナスの要素がつきまとう。人生において、順調に幸せを掴む第一歩は、普通以上の家庭、普通以上の両親のもとに生まれることが何よりも重要。ハズレの親を引いた子供は、しなくていい苦労と不幸をたくさん経験する。
一言でまとめると、人生親ガチャ。
今回の2冊を読んで得られたことを結論として断定的にまとめる。
親は、良い子育てを常に追求する責任がある。
親は、常に子どもを中心に考え、何よりも優先しなければならない。
親は、子どもが安心できる安全な家庭を用意する義務がある。
なぜなら、
子どもが健全な大人に育つために最も必要とされるものは、
あたたかい家族と心から安心できる安全な家庭だからである。
毒親育ちは、本来子どもが経験しないはずの不幸をたくさん経験した。
毒親育ちは、過酷な家庭環境で生き残るために、歪んだ心に育った。
毒親育ちは、自分の人生を取り戻すために、努力することができる。
以上