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アイルランドで過ごした子ども時代(英語翻訳者 バーナード・ファーレルさん:その1)


バーナード・ファーレルさん プロフィール
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アイルランド ダブリン生まれ。
少年時代に通っていた柔道クラブを通じて日本に興味を持ち始める。
エレクトロニクス企業社員を経て来日。
日本では英語教師や翻訳者として活躍。
日本文化への深い造詣と生活者の視点から
紡がれる翻訳には定評がある。

ダブリン郊外の街 ダン・レアリーでの日々

生まれたのはダブリンの郊外のダン・レアリという町。1953年です。

住んでいたのは公営住宅。でも日本のようなマンションではなくて、一戸建てとか二戸建ての家がほとんどでしたね。300軒ぐらいの家が集まった新興住宅団地。

いちばん古い記憶はそこから。

そして日本に来るまでそこに住んでいました。

F:どんな子ども時代でしたか?

6人きょうだいの長男でした。
父はもともと飛行機の技師だったけど、灯台の明かりを調整するエンジニアとして働いていました。普通の労働者階級ですね。

近所の平均的な家族の人数も6人とか8人で、子どもだらけ。

50年以上前、当時のアイルランドはそれほど豊かな国ではないから、子どもたちは小学校や中学校を出ると仕事をした。

日本でいう中学校、高校は、アイルランドでは5年間です。中学校で「全国統一試験」があります。

義務教育での自分の学力を測る試験で、その試験を受けて修了証明書がもらえる。それから高校に進みます。

アイルランドはほとんど中高一貫で“secondary school”というんです。

そして昔のアイランドは男女共学が少ない時代だったから、男子校と女子校に分かれていて、私の学校は男子校でした。

Christian Brothersという修道会が運営している、下町にある学校でした。

男子校と女子校に分かれていることからもわかるように、
男の子と女の子の成長はちょっと違うんですね。

同じ“secondary school”でも、女の子は中学校2年間、高校3年間という配分。

一方で男の子の場合は、中学は3年間。この年代の男の子は中学校ではまだ落ち着かないからです。

だから先ほど言った「全国統一試験」も女の子は中学2年生で受けることになります。

高校が終わるのは(中学校入学から数えて)5年後だから男女とも同じです。昔の場合ですけどね。

今は男女共学が普通ですね。その年ごろの成長の違いを考慮する、昔のシステムも悪くはなかったと私は思います。

ゴルフのキャディ、印刷会社、ウェイター……アルバイトで社会経験を積んだ子ども時代

アイルランドでは子どものころからアルバイトを通して社会経験を積んだと話すファーレルさん

私も小学生のうちから仕事をしていました。

アイルランドではゴルフが盛んだから、うちの近所では私も含めて、小学校3、4年生からゴルフ場のキャディをやっていた。学校が終わってから走ってゴルフ場に行って、夕方にキャディをやって、土日は午前中に18ラウンド、午後18ラウンド。
お金は小遣いになるのではなく、家に渡す。

夏休みになると、中学生はみんな必ず仕事をした。アイルランドでは夏休みが長くて2~3か月ある。

夏休みの1、2週間前になると、近くの会社へあちこち行って「夏休みに仕事はありますか?」と聞いた。

私は13歳から、絵葉書やカレンダーの印刷会社で朝8時から午後5時まで、工場の社員と同じ仕事をしたよ。

業種によっては、夏休みだけ人材が必要になる。例えばフルーツの缶詰とか、ホテル業とかは、年間ずっと正社員が必要なわけではなくて、夏に人材を集中させると年間の売り上げがほとんど稼げる。

中学生の夏休みに私が勤めた会社でも、男性は1人か2人しかいなくて、女性が15人ぐらい、葉書の印刷がちゃんとできているか確認したり、経理の補助をしたりしていました。
夏休みが終わると、会社もゆっくりのんびりする。

中学・高校ぐらいになると、夜にパブでウェイターをやった。夜6時から11時まで週3回ぐらい。

土日はお昼2時から夜10時まで。注文を受けてバーテンダーに伝え、お客さんに注文されたものを持っていって注文ごとにお金をもらい、お金の管理もする。

昔は、大学生はアイルランド国内では働かなかった。

お金が足りないから、夏休みの3か月はもっと稼げるアメリカへ行った。語学を勉強している人なら、フランス、イタリア、スペインの葡萄園やホテルに行きました。夏休みだけ人材が必要だからそういうことができた。
日本ではちょっと考えられないかもね。

今はどうなっているかわからない。たぶんアイルランドの大学生も、ビザの関係でアメリカでは仕事はできないかもしれない。


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