「自己批判型論理思考で同調依存脱却」
同調依存から脱却するために必要なこと
賢くなって自立する
不満や不安や自尊心をくすぐられて安易に同調しないようになるための条件は自立していることだと考えていますが、自立と言っても、はい、今から自立というわけにはいかないでしょう。
では、自立の鍵は何だろう?自分自身を自立状態に導くものは何だろう?それが正しい(正しそうな)知識と思考プロセスにあり、とりわけ自分自身に対して批判的で論理的な思考プロセスが自立状態に導くのだと思います。
また、民主主義国家において、正直者が馬鹿を見る社会にならないためには、利権団体による組織票で勝敗が決まってしまうようなことのないよう皆が選挙に行って投票率を上げていくことも大事ですが、結局は一人ひとりが賢くなるしかないわけです。
思考プロセスを鍛えて賢くなる
そして、そのために学校教育の質を変えていく必要があると文科省をはじめとして現場の教師などが批判や改革の対象として論じられることがしばしばあり、私自身もそう考えて、明るい未来を想像できずに途方に暮れていた時期もありますが、やはり、一人ひとりが賢くなるために最も大事なことは、国やどこかの団体のせいにすることよりも、一人一人が自分自身に対して批判的で論理的な思考プロセスを身につけることが、一見迂遠でも結局は早道なのではないかということです。
つまり、必要なのことは、正しい知識に辿り着くための思考プロセス、誰かの無責任な目くらましで選択を誤るようなことのないよう、コトの本質から自らずれて行くようなことのないようにする思考プロセスという意味で、自己批判型論理思考を身に付けることではないかということです。
そして、多くの人が身につければ、すでに小学校レベルから論理思考のトレーニングを実施している諸外国との競争に負けることもなくなり、個人としても自立し、他人との関わりも受動的同調から積極的協調に転換して、生産性(含む創造性)も著しく向上することが期待できます。
もちろん、特に歴史や政治経済などの社会科科目については、学校教育での正しい知識の習得は期待したいですが、今や、正しい知識を教科書や教師に期待するまでもなく、様々な書籍や、ブログ、SNS、youtubeなどで容易に見つけることができます。偏ったものや深さの足りないものも多いですが、自己批判型論理思考によって、その判別もできるようになるでしょう。
思考プロセスのトレーニングについても将来的には期待しますが、そもそも理屈の嫌いな日本人社会において、国家的に取り組むのは、現教師陣のリスキル問題含め、当面は期待できないと思います。修得した大人が、日常生活のなかで子供たちの思考に良い影響を与えていけばいいのではないかと思います。
自己批判型論理思考=クリティカルシンキング
この記事では自己批判型論理思考という言葉を勝手に作って使っていますが、その中身は、ビジネスにおいてはかなりポピュラーとも言えるクリティカルシンキングのことを指しています。
しかしながら、クリティカルシンキングを批判的思考として、世間では論理思考=ロジカルシンキングとは別モノとして定義しているケースが多い(それが間違っているわけでない)ので、私は、クリティカルシンキングの基礎には、論理思考=ロジカルシンキングがあり、ロジカルシンキングにおける、問いから結論に至るまでのすべての思考プロセスに妥当性確認を加えたものとして、日本語では、自己批判型論理思考と称しました。
クリティカルシンキングのポイント
下図のクリティカルシンキングの基本姿勢にもある通り、クリティカルというのは、日本語で言うと批判的にという意味でですが、問いそのものを疑い、問いの妥当性の確認から入り、問いに対する論理展開一つひとつに常にそれは本当か?という確認を入れていくところが単純なロジカルシンキングとは大きく違うところです。
ロジカルシンキングは前提としたい。
批判の対象は自分であり、決して他者でない。
常にイシュー(問い、論点)意識する。
自分の思考の癖を知り、癖があることを念頭におく。
イシューから結論に至るプロセスすべてにおいて、本当にそれでいいのか?を問い続け、結論に至っても考え続ける。
最終的にはセンスに昇華させたい
仕事はもちろん、日常生活においても、クリティカルシンキング(含むロジカルシンキング)は大きな価値を生み出してくれると思いますので、是非取り組んでいただければと思います。
最初は自分にルールを課すところから始まりますが、そのうち習慣化し、気が付いたらセンスになっていることでしょう。
例えば、少し前に記事として紹介した型も、クリティカルシンキングの妥当性検証の対象(インプット)でもあり、結論(アウトプット)でもあり、考え続けているイシューでもあります。
また、これも記事として紹介した自己認識の壁も、私がその壁に気づき、いつも壁の外を意識しているのは、クリティカルシンキングにおける、それは本当か?それで本当にいいのか?つまり、今の自分を前提にしていいのか?という問いに対する思考の結論でもあります。