7/20のつぶやきの補足と超絶な怒りとその快感
7/20のつぶやき、今更だけど自分がモヤモヤするので、その時書ききれなかった補足を書きたい。
「大嫌いな人が原因で」「大好きだった人が原因で」と書いているが、当たり前だけど大嫌いな人そのものが原因でも、大好きな人そのものが原因でもないということは当然のこと。文字制限があったので便宜上簡単にそう書いた。後出しじゃんけんに聞こえるかもしれないけど、実際にそうだったのだから仕方がない。それは私だけが知っていることだ。
つぶやきにも書いてある通り、彼らの言動・行動への私の意味付けが原因。それによってアタックを受けたメンタル体がエーテル体を通して肉体に病気という形をとったということ。
さらにさらに、『私の意味付け』というのはこの【ふじの】という肉体の独自の体験による観念の堆積とDNAによる総合的な肉体精神機構によって為されている。
さらにさらにさらに、私の中のその観念たちが彼らの言動・行動によって刺激されて爆発を起こすわけだが、それは自分が置き去りにした認めたくない感情と、彼らに投影して彼らが悪い!と罰する思い、その二つが入り混じっている爆発物であるということ。
つまり自分のボールなのに、「こんなのいらねーよ」って壁に向かって投げたら、それが跳ね返ってきて勢いよく自分に直撃するという、Youtubeショートにあるような馬鹿さ加減。それを大真面目に深刻にやってるわけだから人間ってやつぁ~って感じだね。
ちなみに「大嫌いな人」は「大嫌いだった人」に変わった。当時は今まで生きてきてこんなに不快にさせられたことはない!奇天烈、非常識!と憤っていたけど、今は「憤り」が「彼女への興味と笑い」に変わった。
※言葉って難しいね。「興味と笑い」と書くと、小馬鹿にした風に見えるけど、本当に純粋な興味と「いいね!」という笑いなのだ。
ちなみに不快感、奇天烈、非常識という印象は全く変わらない。ただ、憤りという感情が落ちただけ。
そして「大好な人」は「大好きだった人」に変わった。私にはないと思っていた部分に非常に憧れ、頼もしく大好きだったけど、まさにその部分が憎しみへと変わった。その憎む部分が私の中の認めたくない部分だったわけだ。
さて、今日仕事でめちゃくちゃ怒りを感じることがありました。お客さんのために苦心してやっていたことがあったのですが全部無駄になったのです。
きっと天皇陛下だったら「お客さんの問題が解決したなら良かった」と思うのでしょうけど、私は「だったら早く言ってよ~(怒)」という非常に強い憤りを感じたんですね。
私はものすごく器の小さい人間なので、こういったことに非常に強い怒りを感じるんですね。もちろんその怒りの根本原因はあるのですが、ここでは長くなるので端折ります。
その非常に強い怒りを感じた時、もう全身怒りの塊になってる自分がいてPCの画面を能面のような顔で見つめながら、とにかく怒りを感じ続けました。
「うわっ、全然おさまらない、感じてるのに全然おさまらない!!もう固まったまま5分は経ってるぜ!」と狼狽し始め、むしろ怒りが膨れ上がる!!ってなったんですね。
一瞬、長年の癖で「いい気分になろう」とし、村上春樹の本を読もうとしたりYouTube動画を見ようとしたのですが(おいおい、仕事中だろ?ww)、
はたと気づきました。「あ、これやっちゃダメじゃん!これをずっとやってきたから、こうして水風船が瞬間的に生産されていつも破裂するんじゃん!」
それに気づいた瞬間、さらに怒りが増しました。長い間ずーーーっとずーーーーっとスピリチュアルの教えや、引き寄せの法則、ナントカ理論をして、綺麗なラッピングをしてきた。もしくは見なかったことにして部屋の隅においやってきた。
正直、それはめちゃくちゃ簡単。今すぐできる。というか大得意中の得意。もう瞬間的に綺麗なラッピングで「愛」とか「光」に変えちゃう。やって!って言われたら秒でできちゃう笑
それをやってきた自分の肉体精神機構に腹が立って仕方なくなってきた。もちろんその時はそれがとても役に立ち、この肉体精神機構を助けてきてくれた。それらの教えにはとても感謝しています。
が、しかし、もうそれをやるフェーズではないということが身をもってわかってるし、逆にそれをやることが気持ちが悪く感じてしまう。
その今までよかれと思ってやってきたことが、むしろ逆効果だったということがわかって、それに対する怒りが出てきたのです。でもそれはどうしようもなく仕方のないこと。だって今この視点から見て、それは逆効果だったと気づいたわけだから。その時の自分に「あなたのやっていることは高い視点で見ると逆効果だよ」と教えてあげてもきっと聞き入れないでしょう。
なので、逆効果なことをやってきた自分への怒りは割とすぐ収まりました。(まぁ、いわば思考した結果の怒りですからね。)
すると不思議なことに超絶な怒りを感じてる自分に快感を覚えたのです。いや、ほんのちょっとですよ、快感のカケラというか、「ん?ちょっと気持ちイイ」みたいな感覚になったんですね。
以前、悲しみを感じて感じて感じた時の底に「嬉しさ」みたい感覚を覚えたのですが、その「怒り」バージョンです。
もしかしたら「それはドーパミンやアドレナリンだよ」と言われるかもしれない。悲しみの底の「嬉しさ」は「それはヒロイン願望だよ」と言われるかもしれない。でもそれは両者とも微かな感覚で、決して「よっしゃやったるで~!!」と力こぶを出す感じでも、「ウフフ、素敵な私」という承認欲求的なものではなかったのは確かです。(それくらいはアホの私でもわかる)
今日も一つ初体験をしました。ありがとう。
今夜はゴルゴンゾーラのペンネです。