𝐹𝑢𝑗𝑖𝑛𝑜
ラランド・ニシダさんの「#架空小説書き出し」に触発され、この際、なんでもやってみるか!という思いが起こり、私も公開してみることにしました。
<はじめに> このnoteでは過去に80記事以上投稿していましたが、しばらくするとなんらかの理由で気に入らなくなって削除するということを繰り返し、今日に至ります。意識がスクリーンで、心が映像といいますが、いわば記事は映像のようなもので、noteはずっとそこに在ったという感じですね。 わたしの記事はマーケティング用語でいえば、資産型ではないのでしょう。とはいえ、一応自分にも探究をアウトプットしたものはあります。2024年現在のわたしの感覚とは8割方乖離していますが、なんとな
先日こんな記事を書きました。 上図のイメージが湧いた後すぐに下図のようなイメージも浮かびました。 ↓ ↓ ↓ 360度、どこからともなく流れてくるフィルムに反応して、どこか一つのフィルムにダイブして一体化している状態が「肉体」としての現実感。あちらこちらに反応して臨場感を味わっているが、本当は立っている場所(物理的にではなく、「在る」という状態)から全く動いていない。そして以下のような二の矢を体験する。 ※フィルムの外側の人間も本当はフィルムの内側にいるけれど、内側に入
今この状態 ↓ ↓ ↓ 世界最大級のマトリョーシカですか?っていうくらい、この世の一般的な尺度でいえば、クソ、最低、サイコパス、非人道的な部分が、Fujinoという肉体精神機構を通して出てきています。 最初は「あぁ、このFujinoという肉体精神機構はそういう特徴を持ってるんだな」と少しショックを受けてたんだけど、違うんだよね。これって全人類の集合意識に横たわっている残酷さ、傲慢さ、反社会的さへの気づきがあったということ。Fujinoという肉体を通して。 だから私
欲しかったアジャシャンティの本をブックオフで発見💡「あなたの世界の終わり」がとても良かったので、これも楽しみです。元も子もなく、ぶった斬ってくれるので爽快で破壊力抜群。
数ヵ月前に「何年か前の私」を思い出して書いた文章を公開してみる。Deleteするか迷ったけど軌跡として残してもいいかなと思った次第。もしかしたら気に入らなくなったら消すかもしれない。 -------------------------------------- 願望実現のための取り組み 例えば欲しいもののためになんらかの取り組みをしていると『二つの恐怖』が首をもたげてくる。 「それだったら、やれるだけやってみる方を選ぶ!」人が多いと思うけど、 「もしかしたらそれをやっ
「今日はこの本を読破する!」と決めた瞬間、なんだか満足感のようなものを感じて「嫌だなぁ」と感じる職場の人に対してちょっと友好的な気持ちになった。そしてその状態の自分をかなり冷静に見ている。Fujinoという人間はすぐにこうも何かに向かおうし、何かを得た感を持つ性質があるんだなと。
数日前、ふと最近の自分の知覚のイメージが浮かんだので、図にしてみました。最近の自分は目の前の出来事に対してこんな感覚になる時間が増えつつあります。↓ ↓ ↓ 目の前に広がる格子状スペースはバリアント空間、正面の黒はスクリーンでそこにフィルムが流れてくる。静止しているフィルムもあれば、短時間で再生が終わるフィルムもある。 ※厳密にいうと、バリアント空間の上にうねるようにフィルムが流れているけど、今の自分はまだパラレルを同時に知覚するのは意識的にならないとできない。 一番上の
残しておきたいことがあったので少々。 昨日 ↓ こんな記事を書いたのですが、 後半の超絶な怒りの部分。 取り組んだ仕事が無駄足だった、よかれと思ったことが役に立たなかったという憤り。 このことをパートナーに伝えたんですね。 できるだけ冷静に、でも怒りは強調しつつ(笑)、とにかく「何故こういう風になったのか」「どうして私はその行動を取ったのか」ということを切々と語ったわけです。伝えた後はモヤモヤしていたものがすっきりし、彼に対して「聞いてくれてありがとう」という気持ちに
7/20のつぶやき、今更だけど自分がモヤモヤするので、その時書ききれなかった補足を書きたい。 「大嫌いな人が原因で」「大好きだった人が原因で」と書いているが、当たり前だけど大嫌いな人そのものが原因でも、大好きな人そのものが原因でもないということは当然のこと。文字制限があったので便宜上簡単にそう書いた。後出しじゃんけんに聞こえるかもしれないけど、実際にそうだったのだから仕方がない。それは私だけが知っていることだ。 つぶやきにも書いてある通り、彼らの言動・行動への私の意味付け
年齢的にも体幹を鍛えねばならないし、事務所の入口の前面に座っている者としてはいつお客さんが入ってくるとも限らない、やはり背筋を伸ばしてキリリとしていなければならない。 友里恵はチェアと自分の腰の間に高反発クッションを置いている。この高反発クッションがなかなか良くて、丸くなりがちな腰がピンと立つ。 でも・・・今日は腰を立たせているのも億劫。台風が近づいてるせいなのか、夜中に中途覚醒してしまったせいで調子が出ないのか、友里恵はクッションをお腹とデスクの間に回し、腰を存分に緩め
大嫌いな人が原因で帯状疱疹になったことがある。今大好きだった人が原因で帯状疱疹になっている。大嫌い大好きなこと自体が問題なのではなく、そこに執着という名の重要性を置いてるのが原因。大嫌いも大好きも同じものが現れとして現れているだけ。この気付きはおおもとの恩寵だと思う【補足記事有】
思考優位型の人間である「私」が、思考が幻想であること、他者への思いは100%投影だということに、体験として腑に落ちた瞬間、 肉体にフリーズドライされた生い立ちの傷、持って生まれたDNAに刻まれたカルマが昇華されたがっていることに気付きました。 それはもう「私」には止められなかったし、それこそ自由意志もなければ、流れだけが来ているという感覚。「私」がどうこうして、何かができる!とは100%思えない状況に陥っていました。 ※何十年も「私!」次第でなんどきでも何かができる!と思
非二元を知ってから段階的に起こること。①知ることへのワクワク②至福、歓喜③虚無④小康状態⑤傷の苦しみが噴き出る⑥「私」から解放されてる時間が長くなる⑦以降はFにとって未知だが、いずれ非二元というストーリーさえ手放すレベルになるのだと想像できる。
エゴまみれに見える思考も、自らの意志と思えるような思考も、全部おおもとのエネルギーが個々の肉体に湧きあがらせている。
最近といっても1回目は、数ヵ月前。 2回目は数週間前。 3回目は数日前に死ぬ夢を見ました。 1回目は娘。 天気の良い日に海の上のクルーザーで、 溺れて息が絶えた娘を抱きかかえ、 「あぁ!」と一瞬思ったけど、 すぐに「大丈夫」という感覚が来た。 そして娘でありながら、それは自分である という変な感覚があった。 悲しみはなく、ただ「大丈夫」という確信があった。 2回目は彼。 なぜか彼が死んでしまったのだけど、 「えぇ?」と驚いたものの仕方ない感覚。 と同時に「ってことは会え