いま、あなたがここにいる
小枝が運命をわけました。
戦場だった南の島へ、待ちわびた引揚船が日本から到着した朝のことです。
オンボロ貨物船は、五百人乗れば沈むといいます。
収容所のぼくらのうち、四人にひとりも乗れません。
それなのに、つぎの船がいつくるか、だれにもわからないのです。
永遠にこないかもしれないのです。
小枝のくじ引きで乗船者を選ぶことになりました。
ぼくは、はずれを引きました。
みじかくて、心に刺さる枝でした。
わたしはあとでいいから――
ぼくにささやいたのは、となりにいた、名も知らぬ兵隊です。顔には深い傷あとがありました。
「とりかえましょう」
彼は自分の引いた長い枝をぼくに見せました。
「せっかくの幸運をなぜ、ぼくに?」
のどから手の出るほどほしい長い枝です。だからこそ、ぼくはいぶかって彼に問うたのです。
わたしがしたかったのは――
兵隊は声を落として語りました。
「わたしがしたかったのは、人殺しの手つだいなんかじゃありません。わたしは自分を、なにかしらよいことにささげたかったのです。なぜぼくに、とあなたはおっしゃる。答えはかんたん。人生に出逢えるのは、いましかない。そしていま、あなたがここにいる」
澄みきった彼の目を見ていると、いつしかぼくの心から、痛い小枝はぬけていました。
*****
うなばらのはてにぼくを待っていたのは、冬の故国日本です。
なつかしい寒さを、ぼくはすきっ腹をかかえ、さまよいました。
よるべなく、持ちものをひとつひとつ食べものにかえました。
すり切れた軍隊毛布が餅にばけたら、リュックはとうとう、からっぽでした。
そんな夕ぐれの焼跡に、ちろちろと火がゆれます。
たき火にあたっているのは、しかめつらの爺さまです。
爺さまが棒きれでほじくると、焼けたいもがころがり出ました。
「わけてください」
そう頼んだぼくをにらむ爺さまの目の恐ろしさ!
「これで……」
ぼくがぺちゃんこのリュックをさしだすと、犬にでもくれてやるかのように、いもが一本ほうり出されました。屈辱もへちまもありません。ぼくはいもをあたふたと拾うや、ボタンをはずし、へその上にしのばせました。ほかほかのぬくもりがお守りとなり、ぼくは暗い焼跡を、恐れをわすれ歩きました。
崩れおちたビルが見えます。
がれきは、おあつらえ向きの腰かけです。
いもにかじりつこうとした時でした。
みすぼらしいなりをした七つばかりの少年が黙って立っています。
まんまるな目は、ぼくをというより、いもをとらえて離しません。
「きみ、お母さんは?」
少年は首を横にふります。
「お父さんは?」
やっぱり首を横にふります。
「はらぺこかい?」
こんどは大きくうなづきました。
ぼくはいもをぽおんと宙に投げました。
頭ではなく、心がぼくをそうさせたのです。
いもを受けとめた少年は小走りにかけました。
暗闇に浮かぶ小さなふたつのひかりのほうへ。
ひかりは、おさない女の子の目の輝きでした。
きっと妹なのでしょう。少年はいもをそっくり手渡します。女の子は食べようとしてためらい、いもをふたつに割りました。湯気がふわっとあがります。かたっぽを返そうとするのを、兄なる子がやんわり押しもどすと、ようやく女の子は安心して、夢中でいもを頰張りました。少年はそのすべてを、さも満足そうに、おだやかな笑みでつつみました。
どこかにあるやさしさの海から、波のように、ことばが打ち寄せます。
いま、あなたがここにいる――
遠い島の兵隊。
目の前のみなし子ら。
ぼくは彼らのしあわせを願わずにいられませんでした。