福音 浩一郎(ふくね こういちろう)

どこかのだれかの目にふれた小品が、そのひとにとってなぐさめや救いや、ほんのひとときの息ぬきでもいい、なにか幸福のきっかけになってくれたら。そんな思いからひょっこり生まれたあれやこれやを、ここに書きとめています。

福音 浩一郎(ふくね こういちろう)

どこかのだれかの目にふれた小品が、そのひとにとってなぐさめや救いや、ほんのひとときの息ぬきでもいい、なにか幸福のきっかけになってくれたら。そんな思いからひょっこり生まれたあれやこれやを、ここに書きとめています。

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花たばになる

こんなはずじゃない自分を生きていました。 ふとしたしぐさを白い目で見られる気がして、わたしは自分を隠しました。 しゃべりかたを陰で笑われる気がして、だまってうつむいて過ごしました。 まわりのひとをわたしはにくみ、だれもかれもきらいになったら、自分がいちばんきらいになりました。 毎日が暗闇でした。 闇を打ち消す光がほしい。 けれど光はどこからさすの? わたしはわからないまま、そことしもなくさまよいました。 ママから電話がかかってきたのは、そういうある日のことでした。 話にのぼっ

    • Amazon KDP(Kindleダイレクト・パブリッシング)でペーパーバック再出版!本名をペンネームにかえて再出発です

      「星の数ほど」という美しいたとえがあります。 とはいえ、ひつじのむれのような夜空の星は、いったい、いくつあるのでしょう。わかっているのは、地球の砂の数より多かろうということだけで、人間が数えるなんて、とうてい不可能。数えられるのは、神さまをおいてほかにありません。 旧約聖書をひもとけば、「詩篇」と呼ばれる言葉の神殿に出逢えます。 百五十の詩からなる詩篇の終り近く、百四十七番目の詩にきざまれた一節が輝きます。 主はもろもろの星の数をかぞへて、すべてこれに名をあたへたまふ 数

      • 忘れじの波

         ごめんね、聖夜。  せっかく見つけたのに、こんなことになっちゃって。  でも、ぼくはあの時、走らなきゃと、それしか頭になかった。  走ったらどうなるかって、そういうあとさき、考えられなかった。  ぼくずっと、まるで刺繡を裏地からのぞいてるみたいだったの。  ばらばらな色の何百何千という糸がこんがらがって、なにがなんだか、わからなかったの。  ものごとのつながりも境目もあいまいになって、あわ雪のように、ぼくの中でとけてゆく。  世界がちぎれて、そのかけらがひとつまたひとつ、ほ

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          星よ、きてください ~朗読映像劇と讃美歌~

          演劇集団LGBTI東京のクリスマス配信にことしも参加さてもらえました あれは流星群の最後のきらめきだったのでしょう 十一月の朝まだき 暗い北の空に流れる星をぼくは見ました 「星よ、きてください」 そんな名まえの脚本を製本したあくる朝のことでした ほんとに星がきてくれたので、これはきっとうまくゆくねと、消えていった光のひとかけらに感謝をささげたのはいうまでもありません 映像作品じたての「星よ、きてください」につづき流れるのは、うまれたての讃美歌「星を呼ぶ」 この讃美歌は、ロザリオを繰るように奇蹟の珠玉がつらなり、ぼくの詩がメロディーに乗って曲になったもの 朗読劇と讃美歌 見てくれたひとの心へ、雪ほどにきよいプレゼントが届きますように

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        • ことばの作品集
          22本
        • 短篇小説集
          4本

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          星よ、きてください

          あの青い星に、ひとりのかなしい子がいます。 その子は帰りたいのです。母なるひとの腕のなかに。 願いは宇宙の風となり、ぼくの心をゆらします。 けれどぼくに何ができるの? こんなちっぽけな星くずに。消えてしまいそうな光のぼくに。 ぼくほど暗い星はありません。 きらびやかに夜空をかざり、ひとの心をたのしませることもできないまま、長い時間がすぎました。星のなかまからも忘れられ、ひとりぽっちで、闇をさまようばかりです。 そのぼくを遠く見つめる、さやかな瞳。 つぼみのようにそっと結んだ小

          ささぶね ~田舎オネエの語る夏~

          夏は昼寝にかぎるわね。 縁側に籐の枕ころがしてさ。 寝そべった床板はひんやり冷たくて。 そよ風のなか夢を見るの。 田舎にひっこんじゃうと、出会いのときめきはないかわり、そういうぜいたくなら思いのまま。 このあいだもわたし、縁側で昼寝した。 だれにも邪魔されたくないひとときね。 ところがよ。 夢うつつに聞こえてたセミの合唱がぴたりとやんだの。 ――足音? 薄目をひらくと視界に人影がにじんでる。 わたし、はね起きたわ。 庭に男の子が立ってるの。 まだ小学一年生か二年生かしら。

          ささぶね ~田舎オネエの語る夏~

          花のふたご

          生きながら死んでいるのか、死にながら生きているのか、わたしはときどき、わからなくなる。 ふがいなさにかぶりを振ることも、やるせなさに泣くことも、わたしにはかなわない。 光を見たい。 せめて光を見せてください。 まぶたを透かしてくる遠いまぼろしではなく、いま、ここにある、まばゆい力を。 何千回、祈っただろう。 世界が水晶のようにくだけ散ったあの瞬間、わたしはわたしのなかに閉じこめられた。 「息をしているだけですね」 病院でわたしは、意思も感情もなくしたぬけがらとして、あつかわれ

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          神さまぼくは

          あなたの心にも細くて痛い、枝のようなものが刺さってはいませんか 枝の姿はさまざまです 現在の病気、過去のあやまち、いつまでも克服できないつらい苦しみ…… こんな枝、ひっこぬいてよ! きっと、天を仰いで祈ったことがあるでせう けれどその痛みは、ひとが思いあがらないように神さまが送ってくれた、弱さというめぐみです 弱さをめぐり、自分と自分のまわりのひとたちは、考え、なやみ、おこないます 神の力が働くのは、それらが愛をもとにしているときのみです 愛をもとにする人々の放つ光は、吸いあげられ、上のほうでひとつにまとまり、不完全の完璧という、いとしい光になって輝きます わたしたちはその光のさなか、照らされた本当の自分を見ます 自分のいちばん深いところに待つ神に逢う瞬間です 「神さまぼくは」 ことば 福音浩一郎 絵 マリア・ボーゲン どうかごらんください

          杖のふたり

          どこへゆくにも、ああちゃんとすうちゃんはいっしょでした。 ふたりとも杖をつき、ささえあってあるきます。 足のわるいああちゃんは、杖とすうちゃんなしにはあるけません。 目のわるいすうちゃんは、杖とああちゃんなしにはあるけません。 「根っこがでっぱってるから、つまづかないでね」 ああちゃんがすうちゃんに教えてあげたり、 「坂になってきたから、しっかりつかまってるといいよ」 すうちゃんがああちゃんをはげましたり。 時間がかかっても、みんなに追いぬかれても、いっしょけんめい、足をから

          生きてゆける

          また泣いたそうですね。 家をとびだして寒い丘の上にしゃがんでいるのを、のんちゃんがみつけてくれたとか。 水仙はさいていましたか。 いつだったか、あの丘にさく、金と銀のさかづきを重ねたような、水仙の花のそばで、夢を語ってくれましたね。 ひかるような思いは、あなたを通して、わたしの心までも照らしました。 目の前でかがやいていたのは、本当のあなたでした。 いま、あのひかりが見えますか。 ともすれば消えてしまいそうですか。 あなたの涙のわけが、わたしにはわかります。 きっと、なにごと

          砂のてがみ

           神さま  ぼくは不器用です  なんにもできず  ひとりぽっちで  時にながされ  もだえてばかり  自分が  なさけなくて  うとましい  ぼくはこのまま  際限もなく小さくなり  あなたを信じる力さえ  失ってしまいそう  お願いです  ぼくを  この苦しい世界から  解放してください  さもなくば  もっと強くかしこい  別の存在に  変えてください    波うちぎわの枝をひろって、しめった砂に文字をきざんだ。  神さまは砂の上にことばを書くと聞いたから。  ぼくはこと

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          朗読人形劇「ビュッシュ・ド・ノエル~あなたはわたしの愛に乗る~」

          朗読人形劇「ビュッシュ・ド・ノエル~あなたはわたしの愛に乗る~」 クリスマスに演劇集団LGBTI東京のおかげでライブ配信されました 愛することはむつかしいなんていうけれど 切株にとって愛することがすべてでした なぐさめられるよりもなぐさめ 理解されるよりも理解し 愛されるよりも愛することを求め 切株はちいちゃんを待ったのです 人形劇「ビュッシュ・ド・ノエル~あなたはわたしの愛に乗る~」 あなたの心を透明に変える十二分 ぜひごらんください✨

          朗読人形劇「ビュッシュ・ド・ノエル~あなたはわたしの愛に乗る~」

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          光きたりぬ

          ○山すその荒野   旅人、立ちつくしている。   旅人 なにを求め旅立ち、どこへたどりつきたいのかわからぬまま、ぼくは歩いている。 力もなく、負けてばかりで、泣きたいくらい弱いぼくが、こんなにけわしい道なき道を、なぜ歩かされなきゃならないんだ。 だれの役にも立てず、だれからもうとんじられる、いないほうがいいぼくなのに、いつ果てるともしれないいばらの道に、なぜ放りだされたんだ。 ぼくは、逃げて逃げて、ただ歩く。 これはもう、旅路じゃない。 逃げ道だ。 でも、なにから逃げてるとい

          みなさまのアクセス、スキ、フォローのおかげで、本が一冊できました

          noteに書きとめた小さな物語の数々を紙の本にまとめました。 流れ去る光には永遠なるものがひめやかに息づいています。 すぎゆくことのない美しさがそこにあるというよりも、 すぎゆくものの姿をかりた永遠なる存在の かなしいまでの美しさを、ひとはそこに見ます。 かなしいよね―― こうちゃんの書く話って。 あちこちでそう言ってもらった数々の物語の数々です。 五万字のまにまに、濃くあさく、かなしみの影がさしているかもしれません。 されど影あらば光。 そことしもなくさまよう暗い道にあって

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          いちごの家族

           つぶれるいちごをぼくは見た。  ふと、なまあたたかくてしめっぽかった、あの夜がよみがえる。  でもいま、いちごを踏みつぶしたのは、父ちゃんの足ではなく、車いすの車輪なのだ。  八百屋の店さきで、みかんでもりんごでもなく、いちごにぼくがいざなわれ、ひと山二百円のザルから赤い粒をつまみあげた時のことだった。 「お客さん」  店のあんちゃんが愛想笑いで呼びかける。 「さわったら買ってってよ」とでも言ったのだろう。ぼくは左が聞こえないから、右の耳をそちらへ向けた。  とたんにおばさ

          俺はまばゆい庭を見た

          俺の父は教師だった。 春樹という、いくらか頭の弱かったらしいかつての教え子から、鉛筆書きの年賀状が毎年届く。 父は三年前、急に旅立ってしまったが―― おととしもきたし、去年もきた。 先生 あけましておめでとう はみだすほど大きな字で書いてある。 あとは、 にわの木にみかんをさしたら、めじろがきて食べました とか、 青いながれ星においのりしました とか。 先生ごきげんよう それがいつも決まった結びで―― ことしもまたくる。俺は疑いもしなかった。 自分あてでもな