見出し画像

【読書感想文】Brian Murphy ”Flame and Crimson”

と、いう評論を読んだ。ただのファンタジー通史じゃない。それ以上のものだった。

章立てとか無視して叫びたいこと

Brian Murphy ”Flame and Crimson” Pulp Hero Press, 2020

ヘッダー画像は書名からの連想で、焚き火のものをお借りしました。
ありがとうございます。

もう一回叫ぶ。本書は、ただの通史じゃない。サブタイトルにA History of Sword-and-Sorceryとあるけれど、それ以上のものだ。

本書は、50年以上、80年以上前の作品の価値を教えてくれる。先行する作品が何に挑戦したのかも教えてくれる。さらに、Sword-and-Sorceryが生き続けている(未訳の新作も発売されている)ことも教えてくれる。だからといって、作品紹介だけでもない。

なによりも重要なのは、Why Sword-and-Sorcery? と、いう問いに答えていることだ。決して、好きな人が好きなように楽しんでいるのだからそれでいいとか、そういう内輪でこじんまりした態度は取っていない。

同ジャンルに寄せられてきた批判にも答えつつ、真摯にSword-and-Sorceryについて語る、素晴らしい本だ。

でも難しいんでしょう?

本書は英語で、Introductionはすこしとっつきにくい。だが、Introductionは飛ばしてもなんとかなるはずで、Chapter 1以降は割と読みやすかった。

スマホ版Kindleと、同じくスマホ版DeepL(翻訳アプリの一つ、下記のリンクはWeb版)の組合せは、本書を読みやすくしてくれる。

また、筆者のように通史が苦手な人でも大丈夫だろう。通史というのは、固有名詞が多くて何かとつらい。とはいえ、日本語訳されている作品を何冊か(エルリックやコナン、ファファード&グレイマウザーなどを)読んでいれば、固有名詞の波にも立ち向かえるはずだ。

つまり、Sword-and-Sorceryのファンなら買いの一冊だ。とはいえ、筆者の英語力はたかがしれているので、以下に誤読があったら教えてほしい。

本記事で言及してない章も面白いので、気になったかたはぜひ。

第1章 What is Sword-and-Sorcery 前半の感想

Introductionのあと、本書はジャンル名の話をはじめる。つまりSword-and-Sorcery, epic fantasy, high fantasyという用語と用例が何度もでてくる。

本記事の筆者にとって、第1章の前半はかなり難しく、たいした感想はかけない。とりあえず、以下の点だけ覚えておきさえすれば、以降を読みすすめるうえで支障はなかった。

・本書は、Sword-and-Sorceryとhigh fantasyを別ジャンルとして扱う。
・前者の例はコナンで、後者の例は『指輪物語』。
・本書が掘り下げるのは前者。ときどき後者にも言及する。

重要なことを付けくわえると、本書はhigh fantasyが好きな人でも安心して読める。なぜなら、high fantasyを貶める本ではないからだ。筆者が見たかぎり、high fantasyを非難するような記述は見当たらなかった。

おそらく、著者は丁寧に語るだけのページ数を確保できないから、あえてhigh fantasyについては控えめになったのだろう。

なお、本書ではheroic fantasyやepic fantasyという語、さらにはそのほか耳慣れないジャンル名が出てくることもある。どのような意味合いでつかっているのかは、その場で分かるように書いてあったとおもう。

さらにつけくわえると、日本語で剣と魔法と書くと、話が複雑になってますます筆者の手に負えなくなる。それなので、この記事ではこれ以降ずっとSword-and-Sorceryでとおすことにする。

第1章 What is Sword-and-Sorcery 後半の感想

第1章後半に、Sword-and-Sorcery: The Base Elementsという見出しがある。

Sword-and-Sorceryってどんなものと、いう疑問について、以下のように複数の見出しを立てて答えている。

Men (and Women) of Action
Dark and Dangerous Magic
Personal and/or Mercenary Motivations
Horror/Lovecraftian Influence
Short, Episodic Stories
Inspired by History
Outsider Heroes

すべて本書第一章より引用

ちなみに、本記事の筆者は、本書のおかげでMercenaryに「カネ目当て」という意味もあることを知った。たしかに、たしかに(と、虚空に浮かぶネーウォンという名の泡沫を見つめる)。

この箇所を読むとき、これまでに読んできたSword-and-Sorceryのことを思い返しながら読んだら楽しかった。

第3章Robert E. Howard and the Birth of Sword-and-Sorceryの感想

本記事の筆者は、この章のおかげでジャック・ロンドンの小説に出会えた。多言を弄するより、「荒野の呼び声」を読んでキンメリアの風を感じるのが一番だろう。

ジャック・ロンドンの名は、新訂版コナン全集第2巻の解説で、ハワードの好んだ作家の一人としても紹介されている(全集第2巻のp379)。

第5章Revivalの感想

またしても本書のおかげ。
フリッツ・ライバー「雪の女」(*1)の魅力を再発見。

*1 浅倉久志訳『魔の都の二剣士』2004、東京創元社に所収。

実をいうと、これまで「雪の女」はなんとなく重たくて苦手だった。

しかし、本書は「雪の女」がそれ以前のSword-and-Sorceryとは違う、新しい点をもっていると教えてくれた。

本書によれば、ライバーは野蛮と文明、伝統と革新、宗教と理性、生と死と、いった対立する力の摩擦でもって物語を押し進めるという。そのうえで、ファファード&グレイマウザーでは、野蛮対文明という闘争は、R.E.ハワードに比べると等価のものになっているとのことだ。(283ページ中の116ページ目を要約)

ここでいう著者のMurphy氏がいうハワードというのは、「黒河を越えて」(*2)の結末部分のことだ。

*2 宇野利泰・中村融訳『黒河を越えて』2007、東京創元社に所収

そういえば、ライバーの作品は、野性、大自然といったものに、さほど好意的でもなく、かといって煙と霧がたちこめるランクマーの都を贔屓するわけでもない。どちらも悪いところをもっているように描いている。

だからこそ「雪の女」は新しいのだ。

つけくわえると、この章は「ランクマーの夏枯れ時」「円環の呪い」について言及していて、まさに道理だ。

「雪の女」は野蛮と文明、伝統と革新、「ランクマーの夏枯れ時」は宗教と理性、「円環の呪い」は生と死の対立に符合するだろう。

第五章は、読めば読むほど、ファファードアンドグレイマウザー未訳の残り二冊がきになってくる章でもある。

第8章 Underground, Resurgence, and New Directionsの感想

本書の紹介によると、1990年代以降も、Sword-and-Sorceryは、英米で出版されつづけている。

わたしはてっきり、R.A.サルバトーレの<ダークエルフ物語>シリーズと、エルリックの新しい三冊(『夢盗人の娘』『スクレイリングの樹』『白き狼の息子』)以外は、英語圏にすらめぼしいものはないと、思い込んでいた。

無知ゆえの偏見だった。

本章は、1990年以降もSword-and-Sorceryは生きてるし面白いぜ!(ただし未訳の山だがな)ってことを、教えてくれる。

本書が紹介する洋書は、本記事の筆者にとってどれも未読だ。気になっているのは以下の二点。

Edited by Jonathan Strahan, Lou Anders “Swords & Dark Magic” HarperCollins e-books, 2010

このアンソロジーにはなんと、Red Pearls: An Elric Storyというムアコックの短編が入っている。エルリックの新作ですよエルリックの!

ほかには、タニス・リーやジーン・ウルフ(短編しか読んだことがないのだけど、わかりそうでわからないのが個人的にはツボ)の作品も収録。

もう一つは、マイケル・シェイボンの長編。

Michael Chabon, Gentlemen of the Road, Sceptre, 2008

Murphy氏の紹介によれば、魔法は出てこない、歴史冒険活劇よりの小説ながらも雰囲気は剣と魔法のそれであるという。本記事の筆者も、試しに読んではいるのだが、ピリオドからピリオドまでの間がながい英文で大苦戦だ。

冒頭の、鳴き真似をする鳥に端を発する決闘とその顛末は面白かった。

本章で紹介される作品で数少ない既訳はマイクル・シェイ『魔界の盗賊』(宇田川晶子訳、早川書房、1985年。原著1982年)だ。(露出が激しい表紙なので画像は無しで)『魔界の盗賊』は本記事の筆者も読んだ。

Murphy氏は本書について以下のように述べている。

この小説の革新性は、シェイがバロック様式と、剣と魔法の世界とハイ・ファンタジーの要素を融合させたことにある。(中略)ハイ・ファンタジーと剣と魔法の世界を融合させたシェイの作品には、意図的なメタフィクションの遊びという巧妙な仕掛けがある。ウィンフォートは、E.R.エディスンやトールキンのような映画的で武勇伝的な解放を期待していた。しかし、ライバーのような救出劇が、高貴な感性を傷つけてしまう。

283ページ中の198ページ目より引用(kindle版)

日本語版の裏表紙カバーに「ライバー、ラヴクラフト愛好者必読!」とあるのも納得。

ラヴクラフトっぽい、ページの上から下まで文字が詰まった文体のなかに、グレイマウザーとファファードを思わせる登場人物が出てきて、魔法の助け無し、肉体と知恵だけでなんとかやると、いうのが『魔界の盗賊』だろう。

第10章Why Sword-and-Sorceryの感想

本記事の筆者には、この第10章は熱すぎた。
とはいえ、この第10章の章題が、本書購入に踏み切ったきっかけでもある。

なぜSword-and-Sorceryを世に出すのかと、章題を読み替えたとき、答えは多分こうだ。

現在の世界で、悲観したり、冷笑したりしそうになったその時、主人公たちがパワーをくれるから。たとえば、

危険な魔術や陰謀のはびこるハイボリア世界でコナンは、
文明も野蛮も厄介なネーウォンでファファードとグレイマウザーは、
退廃しきった帝国を改革する夢が潰えてなおエルリックは、
近所にある店のせいで商売あがったりなキューゲルは、
あがいて、あがいて、あがいていたと、いうことだ。

何がいいたいのかといえば、この本には読み手を熱く、本気にさせる力があるということだ。Sword-and-Sorceryはエンタメかもしれないけど、読み手を本気にさせるだけのテーマを盛り込める頑丈な器なのだ。

(念の為加筆:医師や法律家、行政、カウンセラーetcのほうが力になるケースもあります)


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?