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449チェス・将棋の起源 中国将棋シャンチー・チャトランカ バックギャモンのウィキペディアページが面白かった件。
中国将棋「シャンチー」って知ってますか?
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シャンチー
56の言語版
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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この項目では、ボードゲームについて説明しています。架空のキャラクターについては「シャン・チー」を、歌手については「シャンチー (歌手)」をご覧ください。
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シャンチー象棋
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プレイ人数2人準備時間1分以下プレイ時間通常:約30分
早指し:最長15分運要素無し必要技能駆け引き、戦略
シャンチー各種表記繁体字:象棋簡体字:象棋拼音:xiàngqí [
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発音]発音:シャンチー広東語発音:zeong6 kei2日本語読み:しょうぎ英文:xiangqiテンプレートを表示
シャンチー(象棋、拼音: xiàngqí、ベトナム語: cờ tướng/棋將)は、二人で行うボードゲーム(盤上遊戯)の一種である。中国及びベトナムにおける伝統的な将棋類であり、中国では国家の正式なスポーツ種目にもなっている。中華人民共和国の非物質文化遺産に登録されている。
名称[編集]
この競技は中国語では「象棋」と呼ぶが、これは中国語でチェス類の一般表現にも使う[注 1] ため、特に区別する際には「中国象棋」と呼ばれる。
ベトナム語では「cờ tướng」(コー・トゥオン:/kəː tɨəŋ/)というが、日本語では「カートン」と書かれることが多い。漢字表記に直せば「棋将」である。
英語では、「xiangqi」または「Chinese chess」と呼ぶ[注 2]。国際組織である世界シャンチー連合会(World Xiangqi Federation 略称 WXF)は英語名を「xiangqi」としている。
日本語では「象棋」「中国象棋」「中国将棋」などと表記されることもある。世界シャンチー連合会加盟の、日本における国内競技団体である日本シャンチー協会(Japan Xiangqi Asocciation 略称 JXA)では、日本における呼称・表記とも「シャンチー」とすることを定めているが、出版・報道では「象棋」という表記も行われている。例えば、2008年に開催されたワールドマインドスポーツゲームズの種目に本競技が取り上げられたことを紹介する新聞記事では、多くの新聞で「シャンチー」の表記を採用している[1][2]。また、広辞苑では第六版(岩波書店、2008年、ISBN 978-4000801218)で「シャンチー」「中国象棋」の両者が見出し語に加えられ、語義の解説は「中国象棋」に記載されている。日本における遊戯史研究の第一人者である増川宏一は、自著で「象棋」という表記を使っている[3][注 3]。日本オリンピック委員会では「シャンチー」を採用している。
歴史[編集]
前史[編集]
宋代の陶製の駒、洛陽博物館蔵。駒の名前は敵味方で変わらず、地の色の白黒で区別している。盤は出土していないが、現代のものと同様の配列で展示されている
シャンチーは他の将棋型ゲームと同様、インドのチャトランガを起源とするとされる[4]。
「象棋」という言葉自身は先秦時代から見られる[5] が、当時「棋」といえば六博というダイスゲームを指しており、ここでいう象棋は象牙で作った六博の駒の意味で、現在のシャンチーとは無関係だった。また、北周(6世紀)の武帝は象戯というゲームを考案し、『象経』という書物を著した(現存せず)が、これもダイスゲームの一種で、現在のシャンチーとは無関係と考えられる(zh:北周象戲を参照)。秦末漢初時代に活躍した韓信が、楚漢戦争をモチーフにしてシャンチーを考案し、兵士に教えて慰撫したという伝説もあるが、詳細は不明である。
チャトランガ系のゲームが文献にはじめてあらわれるのは唐代で、『太平広記』に収められた唐代の小説集『玄怪録』の一篇[6] に、将棋の駒の動きを想起させる記述が残されている[7][8]。小説である上に、解釈の難しい箇所があるため、この文章から当時のルールを知ることは難しい。一応以下の事が言える。
駒と盤は金属製であったようだが、明器(副葬品)であるため、これが普通であったかどうかは不明。
駒の種類には少なくとも王・将・車・馬・卒があったらしい。王と将は別々であったようだ。
九宮に相当するものはなく、王・将の行ける範囲に制約はなかったようだ。河については言及がない。
「数百鉄騎……悉高数寸」とあるのは駒が立体であったことを意味しているのかもしれないが、駒ではなく別の副葬品の可能性もある。
『玄怪録』とほぼ同時期の白居易「和春深二十首」には「鼓応投壷子、兵沖象戯車。」といっており、これもチャトランガ系のゲームを指していると見られる。ほかに法蔵『梵網経菩薩戒本疏』で賭博の一種「波羅塞戯」について「是西国兵戯法。謂二人各執二十餘小玉、乗象或馬、於局道所争得要路以為勝也。」と言っているのもチャトランガ系のゲームかもしれない[9]。
現在式シャンチーが発生したのは、宋代と考えられている。北宋末期の女性詩人である李清照による『打馬図経』に、シャンチーと同じ配置の図が紹介されており[10]、徽宗(在位1101~25)の遺物とされるシャンチーの駒や、北宋の首都であった開封から出土したシャンチーの駒が発掘されている[11]。開封の駒は現在のシャンチーと同じ7種類(将・士・象・車・馬・砲・卒)で、円形の銅製の駒で、裏にはそれぞれの駒に対応する絵が描かれているが、士は女性で、砲は投石器になっている。
ルールの整備と発展[編集]
11・12世紀のころには、正確な競技方法は不明ながら、さまざまなルールの異なる象棋が指されていたらしく、李清照の『打馬図経序』(1134)には「大小象戯」という語が見える。また、晁補之「広象戯図序」(『雞肋集』所収)では、当時指されていた象棋が縦横11路で、駒は34枚だったと記している(晁補之自身は、囲碁と同じ19路で、駒が98枚の「広象戯」を考案している)。
13世紀の『事林広記』[12][13] には象棋の棋譜が残されているが、そのルールは現代のものと同じである。ただし駒の色は赤と黒でなくて白と黒になっており、駒の名称はどちらも「将・士・象・車・馬・砲・卒」で区別がない。
南宋末の宮廷には「棋待詔」という、ボードゲームの専門家が雇われており、10人がシャンチーの専門家(うちひとりは女流)であった[14]。
明代に入ると、駒のデザインも現在と同じようになった。また、シャンチーに関する書物や棋譜も増加した。『橘中秘』(1632刊)には馬落ちの棋譜が載っており、駒落ちが普通に行われていたことがわかる。
辛亥革命以降、上海の時事新報(日本の時事新報とは無関係)をはじめとして、多くの新聞にシャンチー専門の欄が設けられた。中華人民共和国では、1956年に公式ルールブック『中国象棋規則』が発行された。その後、数次にわたって改訂されている。書名も1960年に『中国象棋競賽規則』、1999年に『象棋競賽規則』と変更された。現代のルールは、持ち時間制度や先手・後手の決め方など、多くをチェスに倣っている。
文化大革命中は、シャンチーも打破すべき旧文化のひとつとされ、全国大会も1966年を最後に開かれなくなっていたが、1974年には復活した。
公式ルールは、赤を先手としている。このように定められたのはきわめて新しく、1981年のようである[15]。
日本への普及[編集]
「チュンジー」も参照
シャンチーが日本に伝来した時期は明らかではないが、沖縄諸島には比較的早い時期に伝来したものと考えられる。沖縄地方に伝わる盤上遊戯である「チュンジー」はシャンチーとほぼ同じルールである[16]。1972年(日本と中華人民共和国との間の国交が回復した年でもある)に『近代将棋』誌でシャンチーの紹介がなされた[17] ことで、日本の将棋愛好家を中心にシャンチーが知られるようになった。
1973年には将棋棋士の大山康晴を中心に「日中象棋協会」が結成され、翌年から日本国内でも同協会による全日本選手権が毎年開催されるようになった[18]。1991年には国際組織に加盟するために協会を改組し、名称を「日本シャンチー協会」と改めた[19]。この際、改組に反対する一部の役員が脱退し、全日本選手権の分裂開催を画策するなどの混乱も見られたが、関係者の尽力により分裂開催は回避されている[20]。日本シャンチー協会は、改組した翌1992年にアジアシャンチー連合会に加盟し、1993年に発足した世界シャンチー連合会にも発足と同時に加盟している。
ワールドマインドスポーツゲームズの正式種目に[編集]
2008年、中華人民共和国の北京市で開催される第1回ワールドマインドスポーツゲームズに、コントラクトブリッジ・チェス・ドラフツ(チェッカー)・囲碁とともにシャンチーが正式種目として行われることになった。シャンチーは開催国である中国側の強い要望により正式種目に加えられたとされる[1]。この大会には世界143か国・地域から2763人が参加し[21]、シャンチーには32か国・地域から198人が参加した[22]。
日本からも各競技に代表選手を選出しており、シャンチーには将棋棋士の所司和晴ら8人が参加した[23]。日本代表は男子団体(女子団体は不参加)・男女個人戦などに参加し、男子団体で18チーム中14位などの成績となった[24]。
ルール[編集]
基本ルール[編集]
2人で対戦する。一方を紅(「ホン」日本では「あか」と読んでいる。)、一方を黒(「ヘイ」日本では「くろ」)という。時代・地域により違ったこともあるが、現在のルールでは紅が先に指す(「紅先」という)。紅黒は、動き方が違う7種類16枚ずつを持って対戦する。同じ機能の駒でも紅黒で名前が異なる駒がある。
縦9本・横10本の線の引かれた専用の盤を用いる。駒はマスの中ではなく、囲碁のように線の交点に置く。
紅黒が交互に、盤上にある自分の駒を一回ずつ動かす。パスはできない。
自分の駒が動ける交点に相手の駒があるとき、その駒を取って進むことができる(炮を除く)。取られた駒は盤面から除去する。将棋と異なり、取った駒は再利用出来ない。
次に相手の帥・将を取る手を将(ジャン、将棋でいう王手)といい、相手がそれを解消できないこと(日本将棋でいう詰み)を将死(ジャンスー)または殺(シャー)といって勝ちとなる。また相手指し手番で相手がどの駒も動かせないステイルメイト(困斃、クンビー、欠行)にしても勝ちである。ジャンを無視したり、帥・将が自ら相手の駒から取られるような動かし方をする(自殺)ことはできない。
王不見王(ワンブージェンワン)、あるいは対面笑(ドイメンシャオ)や飛将(フェイジャン)。帥と将を直接相対させてはいけないというルール。帥と将が同じ列で、その間に他の駒が一つもないような状態にするような手は指すことができない。具体的には帥と将の間に一つだけ存在する自身の駒を動かすことや、帥・将がジャンを避けて動いた結果、相手の将・帥の前に出てしまうことが挙げられる。どの駒を動かしても帥と将が直接相対してしまう状況となった場合、負けとなる。
連続王手の千日手(長将、チャンジャン)は禁じ手であり、ジャンをかけている方は3回同じ局面が出現するまでに手を変えなければならない。ジャン以外の千日手は一方が手を変えなければならない場合と、双方とも手を変えなければ引き分け(和棋、ホーチー)になる場合があり、ルールで細かく定められている。
駒の消耗によって双方が相手を将死にできなくなった場合は引き分けとなる。また完全に将死にできなくなるほどの損耗でなくとも、相手の致命的ミスがなければ将死が確実にできないなど、対戦者同士の合意により引き分けとする場合もある。
チェスにおける50手ルールと同様に、駒をとらないまま紅黒が50着(歩)ずつ(紅黒合わせて100手)指した場合は引き分けとなる。(50歩自動限着)
駒[編集]
シャンチーの駒は円盤形で、片面に駒種別を表す文字が書いてある。駒の材質は木やプラスチックなど。日本将棋やチャンギ(韓国将棋)では駒種別により大きさが違うが、シャンチーではすべての駒の大きさは同じで、直径は2.5〜2.7cmである。駒の文字は、紅が赤、黒が黒(実際には青や緑など、別の色のことも多いが、呼称としては常に「黒」である)で書かれる。現代では紅が先手である。世界ルール(2019年制定)によれば、駒の名称は「帥(将)、士、相(象)、馬、車、炮、兵(卒)〈( )内が黒〉」であるが、セットにより、様々な文字が使われる。紅の士が「仕」になっていたり、炮が「砲」になっていたりする。台湾で使われる駒では紅の車が「俥」、紅の馬が「傌」、黒の炮が「包」になっていることもある。
初期配置図[編集]
駒は下図のように並べる。日本将棋と異なり、駒の向きに意味はない。実際の試合では、文字の向きが駒ごとにバラバラになっていることも多い。
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上下に並んだ横線は、それぞれの陣に近い方から順に「底線(または本位線)・宮心線(または咽喉線)・宮頂線(または分津線)・兵行線(または卒行線・兵林線・卒林線)・河界線」などと呼ばれることがある。棋譜を記すときにはこれらの名前は利用しない。
中央の縦線のない部分を河界または河といい、通常は「漢界、楚河」の字が書かれている。これは、このゲームを漢の劉邦と楚の項羽との睨み合い(楚漢戦争)で、鴻溝という運河を境にして、東を楚・西を漢としたことに見立てたものである。相(象)は河を越えることができない。兵(卒)は河を越えると横に進めるようになる。縦線は引かれていないが、これはデザイン上の話で、駒の動きは線が引かれているものとしてプレーする。
帥・将[編集]
詳細は「帥 (シャンチー)」を参照
紅が帥(シュワイ)、黒が将(ジャン)。前後左右に一路進める。九宮から出ることはできない。また前述の王不見王ルールのため、相手の帥・将と直接相対するような動きもできない。将死にされると負けである。また、帥を「師」と誤って表記している例が散見されるが、元帥の「帥」である。
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初期配置では、前にだけ一路進める
仕・士[編集]
詳細は「仕 (シャンチー)」を参照
紅が仕または士(シー)、黒が士(シー)。斜めに一路進める。九宮から出ることはできない。そのため完全に守り専門の駒であり、動けるのは九宮内の5か所だけである。
![](https://assets.st-note.com/img/1686315354564-PI421gTASU.png)
斜めに一路進める
相・象[編集]
詳細は「象 (シャンチー)」を参照
紅が相(シャン)、黒が象(シャン)。斜めに二路進めるが、駒を飛び越えることはできない。下図で「◆」の位置に他の駒(敵味方を問わない)があれば、その方向には進めない。このルールを塞象眼(ぞうのめをふさぐ、サイシャンイェン)という。駒に接する斜め4箇所に他の駒があれば、どこにも動けなくなる。この状態は塞相田あるいは塞象田(ぞうのたをふさぐ、サイシャンティエン)と呼ばれる。中央の河を越えることはできない。そのため完全に守り専門の駒であり、動けるのは自陣内の7か所だけである。
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車[編集]
詳細は「車 (シャンチー)」を参照
紅が車または俥(チュー)、黒が車(チュー)。縦横に何路でも進める。日本将棋の飛車と同じ動き。 なお、「車」という字は通常「chē」と発音するが、象棋の駒の場合のみ「jū」と読む。
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馬[編集]
詳細は「馬 (シャンチー)」を参照
紅が馬または傌(マー)、黒が馬(マー)。八方桂やナイトと同じ動きだが、駒を飛び越えることはできない。下図「◆」の位置に他の駒(敵味方を問わない)があれば、その方向には進めない。このルールは絆馬脚(うまのあしをひっかける)と呼ばれる。駒に接する上下左右の4箇所に他の駒があれば、どこにも動けなくなる。この状態は塞八方馬(うまのはっぽうをふさぐ、サイパーファンマー)と呼ばれる(まず隣に1マス◆の位置に移動し、さらに斜め1マス◯の位置に移動するというイメージを持てば絆馬脚も理解しやすい)。
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![](https://assets.st-note.com/img/1686315354612-AO9J3fnfxS.png)
八方桂のように動けるが、絆馬脚の制限がある
![](https://assets.st-note.com/img/1686315354746-61C3dn78RC.png)
絆馬脚: 馬は絆馬脚で傌を取れない。傌は絆馬脚ではないので馬を取れる。
炮・砲[編集]
詳細は「炮 (シャンチー)」を参照
紅が炮または砲(パオ)、黒が砲または包(パオ)。縦横に何路でも進める。敵の駒を取るときは他の駒(敵味方どちらでも良い)を一つ飛び越えなければならない。飛び越えずに敵の駒を取ることは出来ないし、取らずに飛び越えることもできない。飛び越えない場合は日本将棋の飛車と同じ動き。
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例一:炮は車を取ることが出来る
![](https://assets.st-note.com/img/1686315355027-UVf208a1OG.png)
例二:炮は卒や砲を取ることが出来るが、馬を直接取ることはできない。また、車を取ることもできない。
兵・卒[編集]
詳細は「兵 (シャンチー)」を参照
紅が兵(ピン)、黒が卒(ツー)。前に一路だけ進める。河を越えると横にも一路進めるようになる。このゲームの成駒はこれ以外は無い。
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棋譜の表記方法[編集]
![](https://assets.st-note.com/img/1686315356073-wfCnkRiEJu.png)
短い棋譜の例。これで詰んでいる。 1. 炮二平三 士4進5 2. 炮三進四 炮8平7 3. 炮三進三
シャンチーの棋譜では、ひとつの手は「駒の名・移動前の駒の位置・移動方向・移動後の位置(上下に直進する場合は移動量)」各1文字の組み合わせで表される。
盤の上下方向には名称がついておらず、位置は縦の列(「路」という)でのみ指定する。それぞれの自陣から見て右から左に、紅は一から九、黒は1から9の数字であらわす。
駒の名としては「帥・将・仕・士・相・象・車・馬・炮・兵・卒」のいずれかを用い、「車・馬・炮」については赤と黒で区別しない(「傌・俥・砲・包」の表記は用いない)。移動方向は「進(前進、将棋の「上」)、退(後退、日本将棋の「引」)、平(水平移動、日本将棋の「寄」)」のいずれかである。
たとえば初手で紅が右の炮を中央に移動させた場合は「炮二平五」という。
同じ列に同じ種類の駒が二枚または三枚ある場合、車・馬・炮・兵(卒)については駒の名の前に「前・後・中」をつけて区別する。この場合、あいまいさを生じなければ、移動前の駒の位置は表記しない。相(象)や仕(士)に関しては、同じ列にあっても移動方向で区別がつくので、「前・後」を記す必要はない。
理論的には、4枚または5枚の兵(卒)が同じ列に並ぶ可能性もあるが、現実問題としてはほぼ起こりえないため、その場合の表記方法は決まっていない。コンピュータ上ではそういうわけにもいかないので、いくつかの方式が提案されている[25]。
手数は、チェスと同様、紅黒の着手をひとまとめにした「回合」によって数える。
盤面図を描くときは、紅側が下に来るように描き、黒の駒は白黒反転することで表す。
漢字を使わない棋譜の表記方法[編集]
英語圏などでは、漢字を使用せずに棋譜を表記する必要があるが、その方式は一定していない。世界シャンチー連合会による方式(WXF notation)が公式に定まっている唯一の方式である[26] が、これは漢字による表記を直訳したもので、駒の名前をアルファベット1文字で(帥・将=K、仕・士=A、相・象=E、馬=H、車=R、炮=C、兵・卒=P)、移動方向は「進」を「+」、「退」を「-」、「平」を「=(または・)」で、「前・後」は駒の名の後ろに「+・-」をつけることで表す。たとえば、「炮二平五」は「C2・5」と表される。Xiangqi Review(XQR)方式[注 4] と呼ばれているものもほぼ同様であるが、駒の略号が少し異なる(Gで仕・士、Bで相・象、Nで馬)ことで表すことなど、多少の違いがある。
ほかに、チェスの代数式表現をそのまま応用した方式などがある。
ベトナムでは、中国式の棋譜をそのままクオック・グーで表記するか、それを省略した記号的な表記が使われる。後者は一見 WXF 方式に似ているが、駒の名前にベトナム語の名称の頭文字を使っており、記号の対応も異なる。「炮二平五」であれば「Pháo 2 bình 5」または「P2-5」と記す[27]。
千日手[編集]
シャンチーの千日手(長将)の規定は非常に複雑である。原則として、相手が対応せざるを得ないような攻撃によって同一局面を繰り返すこと(その典型的な場合が連続王手による千日手)は禁止されており、3回繰り返す前に手を変えなければ、たとえそれ以外に動かせる駒がなかったとしても、攻撃している側の負けとなる。ただし両者がともに禁止されている攻撃を行っている場合は、引き分けとなる。それ以外の場合は引き分けとなる。
中国の国内ルールでは、「将」(王手)・「殺」(詰めろ)・「捉」(駒当たり)をまとめて「打」と呼び、「打」の連続による千日手は攻撃している側の負けになる。このうち特に問題になるのが「捉」で、
帥(将)や兵(卒)による当たりは「捉」とはみなさない(ただし例外あり)
取られる駒に「根」(その駒を取っても取り返すことができる駒のこと。日本将棋でいう「ひも」)が付いていて、取られたら取り返せる場合は「捉」とみなさない
実際に取ったら、取った側が将死になる場合は、「捉」とみなさない
敵の攻撃から逃れるための駒の移動が偶然敵の士・象への駒当たりになっている場合は、「捉」とみなさない
当たりでなくても、次にジャン車取りなどの両取りがかけられる場合は「捉」とみなす。ジャンした駒が取られてしまう場合は取られる駒と両取りで取れる駒の重要さを勘案して「捉」であるかどうかを判断する
のように、例外の多いルールとなっており、正しく判断するのは難しい。現在の公式試合で通常使われている2011年試行版のルールブックは、全141ページのうち90ページ以上を千日手の説明に費やしている。
アジアシャンチー連合会による国際ルールも同様に複雑だが、中国ルールとは異なっていて、例えば詰めろの連続による千日手は引き分けになる。
なお、公式試合の中には25回合(50手)以内の引き分けを禁止しているものがあり、この場合は25回合以内に千日手引き分けにすることが許されず、先手が手を変えなければならない[28]。
紅(先手)・黒(後手)の決め方[編集]
プロ・アマともに試合はリーグ方式または、スイス式トーナメントで行われることが多く、その場合は対局係が一定のルールに従って紅黒を決める。シャンチーでは紅の勝率が7割に近く、紅黒はなるべく公平になるように割り振られている。日常の対局では、通常年長者が紅を持つがその場合、紅先手とは限らない。同格者同士の対局でも、日本将棋の振り駒のような、先手・後手を決める決まったやり方があるわけではなく、紅と黒の駒を1枚ずつ両手に握って当てさせたり、トランプの1から10までのカードを引いて、数が多い方に紅黒のどちらを持つかを決めさせたりする[29]。
持ち時間[編集]
シャンチーの持ち時間は、チェスの方式を元にしており、秒読みは存在しない。対局時計は競技者自身が操作する。具体的な方式は大会ごとの違いが大きいが、最近の主要な大会では、持ち時間60分、1手指すごとに30秒追加(チェスのフィッシャーモードに相当)のように決められていることが多い。持ち時間が15分以内の早指し(快棋)大会もさかんに行われている[注 5]。
引き分けによる無勝負を避けるための追加試合(加賽)では、先手の持ち時間を後手より多くしておき、そのかわりに引き分けは後手の勝ち、とすることがある。
ハンデ(手合割)[編集]
実力が大きく違う対戦者がゲームを楽しむために、実力上位者(上手)にハンデを付けることが囲碁・日本将棋など多くの対戦型ゲームで行われているが、シャンチーではハンデについての公式のルールは存在しない。慣習として、駒落ち(譲子)と、実力下位者(下手)が最初に数手指すことができる方式(譲先)がある。
駒落ちは、上手が車・馬・炮のうち1枚または複数枚を落とす。馬を片方または両方落とすことがもっとも多い。
下手が最初に数手指すことができる方式では、一先(通常の先手)・二先(下手が2手指してから上手が指す)・三先(下手が3手指してから上手が指す)などがある。ただし、同じ駒を複数回動かしてはならない・上手の駒を取ってはならない・駒が河を越えてはならないなどの制約がある。
タッチアンドムーブ[編集]
自分の駒に触ったら、その駒を動かさなければならない(動かす交点がない場合を除く)。相手の駒に触った場合も、その駒を取ることができる場合、取らなければならない。駒を動かしたあと、いったん駒から手を離したら、やり直すことはできない。
マナー[編集]
ジャンの時に、ジャンであることを相手につげる義務はないが、伝えた方が気持ちよく対局できると考えられている。
フィッシャーモードを採用しているとき、持ち時間を増やすために無意味な手(千日手が成立しない程度の同一手順の繰り返しなど)を指すことがあるが、とくに悪いマナーとは考えられていない。
他者の対局に口を出したり、(助言禁止)対局場内で進行中の対局について論じてはいけない。日常の対局では、対局に口を出すどころか、勝手に人の対局中の駒を動かすことなどがよくある。人間関係が壊れなければ、それも対局の楽しみとされているが、プロアマ問わず、正式の試合での口出し手出しは絶対に不可である。
各段階ごとの戦略[編集]
序盤(開局)[編集]
シャンチーの序盤は一般に将棋やチェスよりも短く、ゲームが始まってから双方が約10手ほど指す間を序盤とする。初手として可能な手は、左右対称形を除いて23通り存在する。しかし、そのうち指す意味のある手はそれほど多くない。
帥・将は初手では勿論、序盤のうちは初期位置から動かすべきではないとされる。日本の将棋における囲いのようなものも無いが、敵の炮から帥・将を守るために士や相(象)を積み上げる形はよく見られる。ただし、あまり早い段階で士・相(象)を上げると自分の車や炮が横に移動できなくなったり、片翼が相手の駒に集中攻撃されたりする。シャンチーで常に攻撃の主体になる駒は車なので、先ずは車を活用する必要があるが、例えば初手で車を動かすと、即座に敵の炮で馬を取られてしまう。
オンラインのサイト「象棋百科全書網」やオープンソースのシャンチー対局・棋譜管理プログラム「象棋巫師」の作者である復旦大学の黄晨は、2004年に8,197ものシャンチーの棋譜を序盤の戦形ごとに分類し、チェスのECOにならってECCOと名づけた[30]。以下はECCOで採用数の多い順に述べる。
中炮(炮二平五)[編集]
詳細は「中炮局」を参照
古くから採用率のもっとも高い初手であり、当頭炮とも呼ぶ。ECCOによると全体の60%前後を占めている。中炮は炮を中央に振って、敵の守りの要である中央の卒に狙いをつけ、同時に敵の炮による自分の馬への当たりを外して、車が自由に動けるようにしている。黒が放置して中央の卒を取られると、後手は士や象がまったく動けなくなって窮地に陥る。
これに対して後手の指し手にはこちらも炮を中央に振り、中央の卒を取られた時に士で守れるようにする順手炮(または順炮、炮8平5)、逆の炮を中央に振る逆手炮(または列手炮・列炮、炮2平5)、両側の馬を上げて中央の卒を守る屏風馬、両側の馬を上げるがその間に炮(通常は炮8平6)をはさむ反宮馬、片方の馬を端にはねる単提馬(馬2進3、馬8進9)[注 6] などの防御がある。
なお、中炮より一つ少なく振る(炮二平四)のを「仕角炮」、逆に一つ多く振る(炮二平六)のを「過宮炮」と呼ぶが、初手に指される頻度はあまり高くない。
仙人指路(兵七進一)[編集]
中炮の次に多い初手であり、ECCOでは全体の約20%を占めている。相手の手に乗って指す初手。後手も同様に卒3進1と指すと穏やかな進行になる。炮2平3と伸ばしてきた兵を狙う(卒底炮)と激しい序盤になることがある。この他に、後手には中炮や飛象など選択肢が多い。
飛相(相三進五)[編集]
初手で相を中央に上げる。ECCOでは全体の約12%を占める。比較的最近に整備されたオープニングだが、統計によると他のオープニングよりも引き分けが多い。まず自分の帥を安全にしてから攻めようという手で、後手の対応としては過宮炮(炮8平4)や士角炮(炮2平4)から、左側の馬などを上げていく方法などがある。やはり中炮や飛象などの対応も可能である。
起馬(馬八進七)[編集]
初手で馬を上げる。ECCOでは約3.6%を占めている。守りを重視した作戦だが、その後「炮八平九・車九平八」のように車で八路を制圧する狙いもある(この3手を「三歩虎」と呼ぶ)。後手の対策としては、先手に馬の前の兵を上げさせない「卒3進1」が多い。逆の側の卒を突き(卒7進1)、先手も「兵七進一」と進めると、仙人指路に合流する。
中盤(中局)[編集]
中盤は多くの駒によるねじり合いで、ゲームの進行の中でもっとも複雑な部分とされる。定跡化はされておらず、序盤や終盤に比べて長い考慮時間を費やす必要がある。
日本の将棋と異なりシャンチーは最初から駒と駒の間に隙間が多いので、一見すると攻め駒は簡単に敵陣に進入できそうに見える。しかし、敵陣内に駒が多い状態で味方の駒が一つだけ進入しても大きな効果を上げることはできず、かえって敵陣にいる駒が攻撃目標にされてしまうことが多い。特に車や炮の横効きを使った反撃は強烈である。炮で敵陣の駒を取るときは、あらかじめ炮が動けなくなる可能性を考慮に入れておく必要がある。
中盤において車は、敵陣4段目または自陣5段目に配置するのが理想的とされる[31]。 渡河する味方の馬や兵が離れ駒にならないように、炮も河の辺りに配置する場合がある。車を使って縦の筋を制圧するのも効果的である。特に九宮の両端にあたる四路と六路は、「肋道」と呼ばれて重視される。
シャンチーにおける駒の価値は以下の通り。
帥・将車・俥炮・砲馬・傌相・象仕・士兵・卒駒の価値∞(無限大)94.54221
二枚替えを除いて、攻め駒(車・馬・炮)と守り駒(士・象)の交換は殆どの場合、攻め側の損になる。敵の守り駒を取り除くには両取りなどを利用することによって、攻め駒を取り返されないように注意する必要がある。
終盤(残局)[編集]
終盤は、攻め駒が少なくなった状態である。中盤に比べると駒が少ない分、変化の数は限られる。
一般に、受け側の士・象が全て残っている場合には攻め駒が一枚では詰まないことが知られている。したがって、例えば自分の攻め駒が車のみ、相手が車・炮を持っている場合は、自分の車と相手の炮を交換することで引き分けを狙うことができる。
中国で寄せを説明するときは、基本的な詰め方に名前をつけて、それを数十種類あげるのが常である。例えば、上記の棋譜の例にあげた詰みの型にも「悶宮殺」という名前がついている。しかし、それですべてを網羅しているわけではない。以下にいくつかの例を挙げる。
![](https://assets.st-note.com/img/1686315356281-1LR1vUh7xa.png)
上は炮2枚を使った「重炮」、下は車2枚を使った「双車錯」の例。
![](https://assets.st-note.com/img/1686315356439-xa3Ef0wxYS.png)
上は「側面虎」、下は「釣魚馬」。ともに馬で退路を塞いで他の駒で詰めた例。
![](https://assets.st-note.com/img/1686315356635-6x0m5SCbLs.png)
上は炮と車による「鉄門栓」。飛将のため、車を将で取ることはできない。下は「馬後炮」。
排局[編集]
![](https://assets.st-note.com/img/1686315356884-8PXdyO7p0s.png)
日本の詰将棋やチェスのプロブレムと同様に、シャンチーでも残局が実戦から独立したパズルとして楽しまれている(「排局」と呼ぶ)。ただし、詰将棋とは異なって帥と将は両方存在し、かつ王手の連続で詰める必要はない。また、最後が引き分けになる場合も存在する。
右図は「七星聚会」という名前がついており、『心武残編』(1800年刊)・『百局象棋譜』(1801年刊)・『竹香斎象戯譜』3集(1817年刊)など様々な棋書に載っている有名な排局。1916年に英訳されている[32]。本来の作者は不明である。一見したところ紅は受けなしに見え、王手の連続で黒を詰めなければならないものに見える。また、紅の攻め駒は豊富で、簡単に詰みそうに見える。しかし実はそれは罠で、たとえば「1. 炮二平四 卒5平6 2. 車二進九」は「2... 象5退7」と逆王手をかけられて紅が負けてしまう。即詰みは存在せず、したがって紅は巧妙な方法で詰めろを外し、その後の黒からの猛攻に耐える必要がある。互いに最善の手を指した場合、最後は引き分けに終わる。
競技人口[編集]
シャンチーを指すことができる人数は、一般に2億人と言われる[33][34]。競技人口は、1億人とされる[35]。
主要な大会[編集]
中国国内[編集]
全国象棋錦標賽は1958年からある選手権で、男子・女子それぞれの個人・団体戦が行われる。参加資格は前年の成績やレーティングなどによって定められ、誰でも参加できるわけではない。
全国象棋等級賽は誰でも参加でき、成績優秀のものには大師・一級棋士・二級棋士・三級棋士などの称号が与えられる。
全国運動会などのスポーツ大会の種目にもシャンチーが含まれている。
中国には他のプロスポーツと同様に各地にシャンチーのプロチームが存在する。シャンチーの専業プロはチームから支払われる給料と対局費を主な収入としている。プロチームが参加する最大の大会は、約半年をかけて戦われる全国象棋甲級聯賽で、12の甲級チームがリーグ戦を行って順位を決める。下位の2チームは乙級と入れ替えになる。このほかにもさまざまな大会が存在する。
国際大会[編集]
アジアシャンチー選手権は、アジアシャンチー連合会が主催し、奇数年に個人戦、偶数年に団体戦が行われている。
世界シャンチー選手権は、1990年から開かれ、はじめは世界シャンチー連合会準備委員会が、1993年からは世界シャンチー連合会が主催している。1991年からは奇数年に開催している。
アジア室内競技大会・アジア競技大会 ・ワールドマインドスポーツゲームズでは、シャンチーが競技種目に含まれる。
日本[編集]
日本シャンチー協会の大会には、全日本シャンチー選手権大会・日本リーグ・全国選抜トーナメント(2020年から「日本オープン」)などがある。
称号[編集]
将棋でいう段級位のようなものは存在しない。 チェスにならって、各機関がタイトルの認可を行っている。 ただし、台湾では日本とおなじような段級位制をとっている。
中国国内では、中国象棋協会が、棋士のレーティングによるランキングを発表するほか、特級大師(グランドマスター)・大師(マスター)・一級棋士・二級棋士・三級棋士の認可を行っている。2012年末の段階で、現存する特級大師は男子が28人、女子が22人である。称号は一度取ったら生涯持ち続けることができるので、必ずしも特級大師が大師より強いわけではない。
世界シャンチー連合会のタイトルには、特級国際大師(国際グランドマスター)・国際大師(国際マスター)・棋聯大師(フェデレーションマスター)の3種類がある。
アジアシャンチー連合会のタイトルには、亜洲特級大師(アジアグランドマスター)・亜洲大師(アジアマスター)がある。
著名なシャンチー選手[編集]
中国[編集]
以下は複数回全国優勝している競技者である。
胡栄華(1945年上海生まれ)1960年に15歳で全国優勝、その後文化大革命による中止期をはさんで1979年まで不敗を誇る。全国優勝は14回。また、初手で相を上げる「飛相局」や「反宮馬」など、それまであまり指されてこなかったオープニングの発展にも寄与。
柳大華(中国語版)(1950年武漢生まれ)1980年に全国優勝し、胡栄華の連勝記録をついに止めた。優勝回数は2回。1995年には19人を相手にして目隠し対戦に成功した。
李来群(中国語版)(1959年河北省生まれ)全国優勝4回、世界選手権個人優勝1回。北方の出身者が優勝したのはこれが初めて。
趙国栄(1961年ハルビン生まれ)全国優勝4回、世界選手権個人優勝1回。夫人で囲碁のプロ棋士の牛力力は日本で活動しており、趙国栄もしばしば日本を訪れて、日本のシャンチー水準の向上に努める。
許銀川(1975年広東省生まれ)全国優勝6回、アジア選手権個人優勝2回、世界選手権個人優勝3回。2006年にはスーパーコンピュータ浪潮天梭と対戦したが、先手・後手番とも引き分けた。2007年のアジア室内競技大会と2008年のワールドマインドスポーツゲームズ男子個人で金メダル。
王天一(中国語版)(1989年北京生まれ)2012年、2016年、2019年に全国優勝した。2013年と2017年の世界選手権、2015年のアジア選手権でも個人優勝した。
鄭惟桐(中国語版)(1994年成都生まれ)2014年と2015年に連続で全国優勝した。2015年の世界選手権、2019年のアジア選手権でも個人優勝した。
ベトナム[編集]
グエン・ホアン・ラム(ベトナム語版)(Nguyễn Hoàng Lâm)1980年生まれ。2011年のアジア個人選手権でベトナムから出場して、男子優勝した。中国以外から優勝者が出たのは初めて。このときは2位のブイ・ズオン・チャン、女子優勝のゴー・ラン・フオンもベトナムであった。ベトナム国内でも2012年に優勝している。
ゴ・ラン・フオン(ベトナム語版)(Ngô Lan Hương) 1979年生まれ。2011年のアジア個人選手権で女子優勝。ベトナム国内でも10回以上優勝している。
日本[編集]
コンピュータ・インターネット[編集]
シャンチーの盤面状態の種類は1048、ゲーム木の複雑性は10150と見積もられている[36]。 この数値は、シャンチーがチェスよりも複雑だが、将棋より単純であることを意味する。
国際コンピュータゲーム協会(ICGA)の主催するコンピュータオリンピックには、1989年以来シャンチーの部門がある。
台湾では、1980年代よりシャンチープログラムの開発が始まり、1998年には国立台湾大学のELPというプログラムが正式の大会に出場して5段と認められた(2001年には6段に昇進)。また、1999年以降、人間の高段者とコンピュータの対戦大会が毎年行われている。
中華人民共和国は研究で台湾に立ち遅れていたが、21世紀にはいると長足の進歩を示し、2008年のコンピュータオリンピック北京大会では1位から8位までを中華人民共和国のプログラムが独占した(1位は倚天象棋(Intella))。2006年よりコンピュータゲーム選手権が行われている。2006年には863計画の成果[37] とされるスーパーコンピュータ「浪潮天梭」上で動くシャンチープログラムと人間の大師5人との対戦も行われ、3勝2敗5引き分けでコンピュータが勝利した。
チェスの場合と同様、思考エンジンを差し替えたり、エンジン同士を戦わせたりすることができるソフトウェアも多い。エンジンが使うプロトコルとしては、チェスと同じ WinBoard や UCI プロトコルのほかに、Qianhong の独自プロトコルや UCCI などがあり、プロトコル間の変換プログラムも開発されている。また、多くのソフトウェアは棋譜の保存や読み込み・再現ができるが、棋譜のフォーマットは統一されていない。チェスの PGN が使えるようになっていることが多いが、おなじ PGN でも棋譜の書き方が統一されていない問題と、PGN 自体の機能不足(変化手順を記すことができない)の問題がある。オンライン対局サイトもサイトごとにファイル形式が異なる。
チェス・囲碁などの他の盤上遊戯と同様、シャンチーもインターネット対局が広く行われるようになっている。最初期のネットワーク上のシステムとしては、1993年にハーバード大学にいた陳曦によって設計されたICCS(Internet Chinese Chess Server)があり、これはクライアント・サーバー型のシステムだった。ICCSは現在は運用されていないが、ASCIIによる棋譜の表記方式のひとつであるICCS方式[注 7] に今もその名が残っている。中国には「弈天棋縁」というシャンチー対局の専用サイトがあるほか、オンラインゲームサイトの「聯衆」や「QQ遊戯」などでもシャンチーの対局ができる。ほとんどは専用のソフトウェアをダウンロードして、サイトに登録する必要があるが、システム言語が中国語になっていないとソフトウェアが動かない場合がある。日本語が使える対戦サイトとしては「SDIN・PlayOK・BrainKing」などがある。英語のものは「Club Xiangqi・Chesscape」など、数が多い。
シャンチーのルールのあいまいさ(とくに千日手関係の)と棋譜表記の不統一は、コンピュータ・インターネットで問題になるため、対局サイトが独自のルールを定義していることもある[38]。
伝説・故事[編集]
シャンチーの起源について、舜が弟の象を幽閉したとき、彼の無聊を慰めるために発明したという伝説がある。また、韓信が発明したという伝説もある。これらはいずれも根拠のあるものではないが、後者は「韓信杯」という競技大会の名称の由来になっている。
上記の『玄怪録』には、橘の実を割ってみたところ、中で仙人が象棋を指していて、竜に乗って飛び去った、という伝説も見える[39]。17世紀の代表的な棋譜『橘中秘』の書名はこの故事に由来する。
北宋の徽宗・欽宗が靖康の変で北方に連れ去られた時、おなじくとらわれた韋賢妃がシャンチーの駒を盤の上に投げ、将が九宮の中にはいるかどうかで息子の康王(南宋の高宗)が即位できるかどうかを占った、という故事がある[40]。この話にもとづいて12世紀の蕭照は『中興瑞応図』という絵を描いた。現在は明の仇英(16世紀)による臨模『臨蕭照瑞応図』が残っている。
その他[編集]
シャンチーは、ゲーム理論において二人零和有限確定完全情報ゲームに分類されるゲームの一つである。
脚注[編集]
[脚注の使い方]
注釈[編集]
^ チェスを「国際象棋」、将棋を「日本象棋」と呼ぶこともある。これは将棋を英語で「Japanese chess」と表現するのと同じ考え方
^ ただし、「Chinese Chess」という商品名の、シャンチーとは無関係なゲームが有るので注意。また、「Chinese chess board」といった場合、「シャンチーの盤」と「中国製のチェスの盤」の2つの意味がある。
^ 木村義徳も、自著『持駒使用の謎』(1999年、日本将棋連盟)195~197ページで、シャンチーを「象棋」と表記している。
^ 1990年代にアメリカで Chinese Chess Institute により刊行されていた隔月刊のシャンチー専門誌「Xiangqi Review」が用いていたためにこの名がある。実例は rec.games.chinese-chess FAQ の「What are some common opening moves?」の項目を参照
^ 1999年版の象棋競賽規則では10分以内を早指しとしていたが、2011年試行版では15分になっている
^ 最近は「馬8進9」を後回しにして2手めで車を上げることが多いが、これも単提馬と呼ぶ
^ チェスと同様に左から右にA-I、下から上に0-9の番号をつけ、移動前の座標と移動後の座標の組み合わせで表現する方式。伝統的な「炮二平五」は「H2-E2」と表現する。
出典[編集]
^ a b 「頭脳五輪」メダル狙え 今秋、北京で第1回大会(朝日新聞、2008年5月20日)。
^ 囲碁、チェスなど知的ゲームの五輪 チーム・ジャパン結成へ(サンケイスポーツ、2008年6月2日)
^ 増川宏一『将棋の駒はなぜ40枚か』(2002年、集英社文庫、ISBN 4-08-720019-1)37ページなど。
^ "将棋の起源". 朝日現代用語 知恵蔵2006. 朝日新聞社. 1 January 2006. pp. 999–1000. ISBN 4-02-390006-0。
^ 木村義徳『持駒使用の謎 日本将棋の起源』(日本将棋連盟、1999年、ISBN 4-8197-0067-7)、49~54ページ。
^ Jean-Louis Cazaux: Fazang's mysterious Prasena。「波羅塞戯」は通常双六を意味すると考えられているが、12世紀の与咸『梵網菩薩戒経疏註』は法蔵を引いた上でシャンチーのことと解釈している。
^ 増川宏一『将棋』55ページ。『人民中国』1975年3月からの記述としている。ただし、明末の周履靖『夷門広牘』所収の打馬図にはシャンチーの盤が描かれていないので、後世の追加である可能性もある。
^ 増川宏一『将棋2』(法政大学出版部、「ものと人間の文化史」23-2、1985年)、17~21ページ。
^ 『新編纂圖增類羣書類要事林廣記』 文芸類。
^ 周密『武林旧事』巻6「諸色伎芸人」
^ 劉国斌「“黑方先走”和“用根捉子”是怎么回事?(上)」(労動午報 2009-03-13)
^ 第3回 「趣味は旅行です」まであと一歩 - ばんかな! 将棋の世界へようこそ / Slownet SNS。将棋の女流棋士、坂東香菜子のブログ。後半にチュンジーのことが紹介されている。
^ 中国象棋入門(1)~(10)30巻1号~12号(昭和54年1月 ~ 昭和54年12月)「雑誌『近代将棋』に掲載されていた中国将棋(象棋:シャンチー)の連載記事について・・・(中略)・・・貴館で所蔵している雑誌『近代将棋』の1979年分を確認して頂き、該当する連載があるかどうかを調査して頂けませんでしょうか。」(国立国会図書館) - レファレンス協同データベース を参照。
^ 日本シャンチー協会会報『中国象棋研究』1991年12月号より。同号には日中象棋協会設立以来未整備だった規約が決定されたことや、規約の内容も掲載されている。
^ 8月を迎えて、そして恒文奇さんのこと - シャンチー(中国象棋)の日々(日本シャンチー協会の公式ブログ)、2007年8月15日。
^ 第一届智运会圆满落幕 组委会总结工作展望未来 - 智运会(中国語)。2008年10月18日、ワールドマインドスポーツゲームズ公式サイト。智运会は同大会の中国語表記「智力运动会(智力運動会)」の略称である。
^ 智运会首金将出自国际象棋 常昊:棋手心中的奥运_综合体育_NIKE新浪竞技风暴_新浪网(中国語)。2008年9月25日、新浪網。
^ シャンチー 中国発の頭脳スポーツ - 頭がよくなる!? - 教育(朝日新聞、2008年9月24日)。5月20日の報道では10人とされていた。
^ たとえば、東萍の「特殊局面下兵卒走法的中文棋譜表示方法」や象棋百科全書網の「中国象棋电脑应用规范(二) 着法表示」
^ 実例は Cờ tướng Online などに見られる
^ Charles Kliene『Seven Stars: A Chinese Chess Ending with Three Hundred Variations』
^ “中華民國象棋文化協會 -- 全球2億人 會下象棋”. www.cccs.org.tw. 2020年8月25日閲覧。
^ “青岛中国象棋选手断档严重 高手多逾60岁老人_体育_腾讯网”. sports.qq.com. 2020年8月25日閲覧。
^ Company, The Asahi Shimbun. “「盤上には人格が表れる」 中国将棋のトップ棋士、語る”. 朝日新聞デジタル. 2020年8月25日閲覧。
^ たとえば Club Xiangqi の CXQ Chinese Chess Rules など
^ 『太平広記』巻40「巴邛人」
関連項目[編集]
暗棋(シャンチーの駒と盤を使ったゲーム)
四色牌(シャンチーの駒の名前を書いた、麻雀風のカードゲーム)
川中島将棋 - 日本風アレンジ版で、(「王不見王」に相当するルールの存在などいくつか不明な点を除けば)本質的にはシャンチーと同じゲームである。
外部リンク[編集]
![](https://assets.st-note.com/img/1686315356926-RRQJagC1Rk.png)
ウィキメディア・コモンズには、シャンチーに関連するカテゴリがあります。
「シャンチー Xiangqi」… WMSGチームジャパン 公式ホームページ - 第1回ワールドマインドスポーツゲームズに参加した日本代表のサイト
アジアシャンチー連合会 (英語・中国語)
シャンチー|SDIN無料ゲーム(ブラウザでプレイできるシャンチー。インターネット対戦あり)
チャトランガ
49の言語版出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
![](https://assets.st-note.com/img/1686315870814-VGwq9pCLKO.png)
この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。
![](https://assets.st-note.com/img/1686315870979-xl8CncUxC7.jpg)
チャトランガ(インド、ラージャスターン州)
チャトランガ(サンスクリット語: चतुरङ्ग、chaturaṅga)は、古代インドのボードゲームの一種である。将棋やチェスの起源と考えられている。チャトランガとはサンスクリット語でchaturは4、そしてaṅgaは部分という意味である。したがって、catur-aṅgaは現在では臣・象・馬・車の4つの戦力のことを指し示しているいう説が有力である。アラブ世界のシャトランジの源流でもある。
二人制のものと四人制のものとが存在した。近年の発掘などの成果により、二人制チャトランガの成立の方が先だったとする説が有力となっている。
以前は、紀元前327年頃にアレクサンダー大王がインドへ東征した際にチャトランガを見たと考えられていた。しかしこれは、チェスの原型とは異なる盤上遊戯であったか、インドの戦術がチャトランガのそれに似ていたことを後世の研究者がゲームの起源と誤認したものとされている[誰によって?]。
![](https://assets.st-note.com/img/1686315870864-0E0MeJlLRa.jpg)
戦争好きの王に戦争をやめさせるため、戦いを模したゲームを高僧が作って王に献上したのが始まりとする説がある[1][2]。チャトランガは現在でもインドに残っているが、植民地支配を受けていた頃に禁止された影響を受け、プレイヤーが少なくなっている。
四人制と二人制[編集]
「チャトランガ系ゲーム比較表」および「チャトラジ」も参照
1790年にインドで裁判官を勤めていたウィリアム・ジョーンズが発表した「インドのゲームのチェスについて」という論文[3]に、四人制チャトランガが初めて紹介されている。この論文が、最古のチェスは四人制であったとする根拠となり、19世紀までの有力な説であった。
20世紀に入り、1913年にハロルド・マレー(H. J. R. Murray)の『チェスの歴史(英語版)』が出版された。この書籍は現在でもチェス史の聖典とされている。『チェスの歴史』では、チェスの起源を四人制とする従来の説を否定している(ただし二人制であったとも断定していない)が、四人制チャトランガについて詳しい解説がなされている。
第二次世界大戦後、マレーが自説の一部を修正したことから、四人制起源説が再び主流となった。1970年代から1980年代にかけて、四人制起源説が定説となり、この時期に日本で出版された増川宏一による書籍[4]でも四人制起源説が紹介されている。
1990年代に入り、新たな研究結果が示されるようになった。ミュンヘン大学教授レナーテ・ザイエットは、1995年に発表した論文「チャトランガ、チェスの起源と原型、古代への観察」[5]の中で、これまでの四人制原始型説に対しいくつかの疑問を投げかけている。また、ザイエットは、12世紀初めのサンスクリットの文献『マーナソーッラーサ(英語版)』にチャトランガの記述があるのを発見し、これには二人制のものが先行して書かれていることを指摘している。
さらに、紀元後4から6世紀に成立したとされる『マハーバーラタ』のチャトランガについての記述は、実際の戦争における軍隊の戦術に関するものであり、盤上遊戯のものではないと考えられている。さらに時代がさかのぼった紀元前2から3世紀の四人制チャトランガを初めて示したとされるバールフートのレリーフも、現在ではチャトランガの対戦を示したものとは考えられていない。二人制チャトランガの最古の史料とされるブッダガヤのレリーフも、サイコロ遊びであってチャトランガではないという意見が有力となっている。
現在では、四人制チャトランガは11世紀以前にさかのぼることができないと考えられており、チェス・将棋の起源となる盤上遊戯はサイコロを用いない二人制のものであったと考えられている。二人制のチャトランガが成立した時期も紀元後の数世紀以降と見なす立場が有力である。前述の増川も、2003年に出版された書籍[6]で自説を修正し、二人制起源説を支持している。
四人制チャトランガのルール[編集]
詳細は「チャトラジ」を参照
歴史的背景により詳しいルールが失われているため、不正確である。
縦横8マスに区切られた盤の上で行う。
4人が2組になって勝負し、その後は勝った組同士で勝負する。
4人のプレイヤーが順番に、サイコロを振る。出た目によって定められた列の自軍の駒を1回だけ動かすことができる(後には、サイコロを使わず、自軍の任意の駒を1回だけ動かすことができるようになったと考えられている)。
駒はラージャ(王)、ガジャ(象)またはハスティー(象)、アシュワ(馬)、ラタ(車)またはローカ(船)、パダーティ(歩兵)の5種類で、それぞれ動きが決まっている。プレイヤーごとに赤・緑・黄・黒に色分けされた駒を用いる。
歩兵が最前列 (いちばん向こうの列) に到達した場合は、歩兵のあった列の駒に昇格することができる。つまり車の前にいる歩兵は車に、馬の前にいる歩兵は馬に昇格する。ただし、歩兵のあった列の駒が既に取られている場合に限る。
王はゲームの中で1度だけ、馬の動きができる。
自分の駒を動かす際、動く先に他のプレイヤーの駒があれば、その駒を取ることができる。駒は取り捨てで、持ち駒の概念はない。
自軍の王を取られたプレイヤーは負けとなる。
駒の初期配置[編集]
各プレーヤーの手前2列、左4列に、図の矢印の向きに駒を配置する。
車→兵→ 王↓象↓馬↓車↓馬→兵→ 兵↓兵↓兵↓兵↓象→兵→ 王→兵→ ←兵←王 ←兵←象↑兵↑兵↑兵↑兵 ←兵←馬↑車↑馬↑象↑王 ←兵←車
二人制チャトランガのルール[編集]
ルールは四人制に準じると考えられる。四人制同様、詳しいルールは失われているため、成立した当初の正式なルールとは限らない。
二人制ではサイコロは用いず、任意の駒を動かすことができたと考えられる。
駒はラージャ(王)、マントリ (臣・大臣)、ガジャ(象)またはハスティー(象)、アシュワ(馬)、ラタ(車)またはローカ(船)、パダーティ(歩兵)6種類である。
駒の初期配置[編集]
各プレーヤーの手前2列に、図の矢印の向きに駒を配置する。
車↓馬↓象↓王↓臣↓象↓馬↓車↓兵↓兵↓兵↓兵↓兵↓兵↓兵↓兵↓ ↑兵↑兵↑兵↑兵↑兵↑兵↑兵↑兵↑車↑馬↑象↑臣↑王↑象↑馬↑車
駒の動き[編集]
駒の動き方のルールは唯一でなく、ルールは(文献に残っていない物も含めて)何度か改良されており、複数の文献に異なる時期のルールが記されているだけだという考え方もある[7]。以下にあげる動き方は、いくつかの仮説のうちの一つである。
ラージャ(王)[編集]
全方向に1マスずつ動ける。チェスのキング・将棋の玉将・マークルックのクンと同じ。
○○○ ■○王○■ ○○○
マントリ (臣・大臣)[編集]
斜めに1マスずつ動ける。マークルックのメットおよびビアガーイと同じ動き。
○ ○ ■■臣■■ ○ ○
ガジャ(象)[編集]
文献により動かせる範囲が異なる。斜め4方向と前に1マスずつに動けた(将棋の銀将やマークルックのコーンと同様の動き)とする説。
○○○ ■■象■■ ○ ○
斜めに2マスずつ動けたという説。(この場合、自軍や相手の駒を飛び越えられる)
☆ ☆ ■■象■■ ☆ ☆
アシュワ(馬)[編集]
自軍や相手の駒を飛び越えて、前後に2マス・横に1マス、または前後に1マス・横に2マス進める。チェスのナイト・マークルックのマーと同様の動きで、いわゆる八方桂である。
☆ ☆ ☆ ☆■■馬■■☆ ☆ ☆ ☆
ラタ(車)[編集]
前後左右に何マスでも進める。駒を飛び越すことはできない。チェスのルーク・シャンチーの俥・将棋の飛車・マークルックのルアと同様の動きである。
│ │ ──車── │ │
パダーティ(歩兵)[編集]
前方に1マスずつ進める。将棋の歩兵と同様の動きである。
○ ■■兵■■
チェス、マークルック(タイ将棋)、シットゥイン(ミャンマー将棋)、オク・チャトラン(カンボジア将棋)の「歩兵」に相当する駒と同じで、相手の駒を取る際には斜め前方に進む。
脚注[編集]
[脚注の使い方]
^ ジョルジュ イフラー『数字の歴史―人類は数をどのようにかぞえてきたか』平凡社、1988年。ISBN 978-4582532029。
^ 野崎昭弘『ロジカルな将棋入門 (ちくまライブラリー)』筑摩書房、1990年。ISBN 978-4480051417。
^ Jones, William (1799). “On the Indian Game of Chess”. Asiatick Researches 2: 159-165.
^ 増川宏一『将棋I』法政大学出版局〈ものと人間の文化史 23-I〉、1977年。ISBN 4-588-20231-6。
^ Syed, R. (1995). “Caturanga, Anmerkungen zu Alter, Ursprung und Urform des Schachs”. Beiträge des Südasien-Instituts der Humboldt-Universität zu Berlin 8: 63–108.
^ 増川宏一『チェス』法政大学出版局〈ものと人間の文化史 110〉、2003年。ISBN 4-588-21101-3。
^ 木村 義徳『持駒使用の謎―日本将棋の起源』日本将棋連盟、2001年。ISBN 978-4819700672。
参考文献[編集]
増川宏一『ものと人間の文化史 110 チェス』法政大学出版局、2003年、ISBN 4-588-21101-3
関連項目[編集]
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その他
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ボードゲーム
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ツール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ボードゲームの箱(北米のボードゲーム群)
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ボードゲーム(Board Game)とは、専用のボード(盤)上で駒(石とも言う)を置く、動かす、取り除くなどして遊ぶゲームの総称。盤上ゲーム、盤上遊戯とも呼ばれる。また、「ボドゲ」と略されることもある。
概要[編集]
玩具屋等の店頭では、いわゆるアナログゲーム・テーブルゲーム全般をボードゲームとして販売していることもあるが、一般的なゲームの分類では、特定のボード上に駒や石を置くことで局面を表現するゲームを指す[1][注 1]。なお、ボードゲーム以外のアナログゲームとしては、カードゲーム(トランプ、UNOなど。手持ちのカードによって局面が決まる点がボードゲームとは異なる[1])、タイルゲーム(麻雀、ドミノなど。本質的にはカードゲームと同様で手牌によって局面が決まる点がボードゲームとは異なる[1])、ダイスゲーム(丁半、チンチロリンなど)、立体ゲーム(ジェンガ、黒ひげ危機一発など)などがある(詳しくはテーブルゲームを参照)。
ボードゲームは、ゲームの特徴や歴史的な変遷に基づいて、一般的に次の5つに分類される[2]。
競走ゲーム - サイコロなどを使って盤上の駒を動かしていき、どちらが先にゴールに到達できるかを競う。すごろく、バックギャモンなど。
捕獲ゲーム - 盤上で駒を動かして相手の駒を捕獲していき、相手の駒の全滅させたり特定の駒(キングなど)を追い詰めたりすることを競う。チェッカー(ドラフツ)、チェス、シャンチー、将棋など。
配列ゲーム - 盤上に駒を特定の形で並べることを競う。連珠(五目並べ)、ナイン・メンズ・モリスなど。
マンカラ - 種蒔きと呼ばれる方法で盤上の穴から穴へと駒を動かしていき、最終的に取った駒の数などを競う。オワリ、スンカ(英語版)など。
もっとも、5種類のゲームが完全に峻別されているわけではない。例えば、キツネとガチョウではキツネ側は捕獲を目指すがガチョウ側は包囲を目指すといった具合に、複数の要素が融合したゲームも存在している(なお、キツネとガチョウは歴史的経緯から包囲ゲームに分類されることが多い)。また、サイコロを使用するがゴールではなく資産のやり取りを目的にしたモノポリーのように、伝統的な分類が当てはまらない新たなゲームが次々と登場している。
定期的に大会が開催されてきた伝統的ボードゲームとしては、バックギャモン、チェッカー(ドラフツ)、チェス、シャンチー、将棋、囲碁、オセロ(リバーシ)、連珠(五目並べ)、オワリ(マンカラ)などがある。このうち、ワールドマインドスポーツゲームズでは、チェッカー(ドラフツ)、チェス、シャンチー、囲碁の4つのボードゲームが採用され[注 2]、マインドスポーツオリンピアードのデカメタロンでは、バックギャモン、チェッカー(ドラフツ)、チェス、囲碁、オセロ(リバーシ)の5つのボードゲームが採用された[注 3]。
一般的なボードゲームでは、ボード上に全ての情報が表示されていることから大抵はゲーム理論における完全情報ゲームに該当し、なかでも伝統的なボードゲームは二人零和有限確定完全情報ゲームに該当するものが多い。ただし、例外として競走ゲームはサイコロを使うため通常は確定の条件を満たさない。
歴史[編集]
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セネトをするネフェルタリ(BC1298-1235 頃)
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480年に東ローマ帝国皇帝ゼノンが興じた時の盤の記録
ボードゲームの歴史は、遺跡の発掘品によって、少なくとも紀元前3000年以前まで遡ると推定されている。最古のボードゲームは競走ゲームであったと考えられている。
これまでに発掘されている中で最古のボードゲームは、紀元前3500年頃および紀元前3100年頃の古代エジプトの遺跡から発見された競走ゲームのセネトである。セネトに類似するゲームは、その後も世界各地で見つかっており、紀元前3000年頃の現在のイラン南東部の都市シャフレ・ソフテの遺跡からも発掘されているほか、中国では雙陸、日本では盤双六と言う名前で伝わり、日本では人々のあまりの熱中ぶりに権力者がプレイを禁止したほどだったという。セネトは東ローマ帝国でタブラとなり、イギリスでバックギャモンと呼ばれるようになったと考えられている。
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古代エジプトのMehen
また古代エジプトの遺跡からは、セネトのほかにメーヘン(英語版)という神話的蛇神の形をしたボードを用いるゲームが発掘されている。
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古代シュメールのウルの遺跡で見つかったRoyal Game of Ur。(紀元前2600年)
古代メソポタミアでは、紀元前2600年頃の都市国家ウル(現在のイラク南部にあたる場所にあった、人類史上最も古い部類の都市国家のひとつ)の遺跡から競走ゲームの20のマス目の盤(英語版)が発見されている。
アメリカ大陸で古くから遊ばれてきたのは競走ゲームのパトリである。パトリはアステカでプレイされていたが、それ以前のテオティワカンやマヤでも同様のゲームと思われる盤のあとが残る。このゲームはスペインによる征服によって姿を消したとされているが、プルックとの関連も指摘されている。
中東では10世紀頃にAlquerqueと呼ばれるゲームがプレイされており、これが各地で姿を変えてドラフツ(チェッカー)となったとされる。また、リバーシ(オセロ)はイギリス式チェッカーが発祥とも言われる。
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古代ギリシアのボードゲームをする兵士。(BC 520年)
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テンプル騎士団とチェス(1283年)
捕獲ゲームの初期のものとしては、古代インドのチャトランガがある。チャトランガは6世紀頃にはすでにあったとされており、チャトランガが世界各地に伝わって駒の種類等が変化していき、西欧のチェス、中国のシャンチー、日本の将棋などが成立したと考えられている。
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北欧の古いゲーム
北欧では、ヴァイキングの間で5世紀の初め頃からTafl(別名、ヴァイキングのゲーム)と呼ばれるゲームが遊ばれるようになった。これは、2人のプレイヤーが攻める側と逃げる側に分かれて、攻める側は相手の包囲、逃げる側は脱出を目指すという非対称のゲームである。のちにキツネをモチーフにするようになり、キツネとガチョウになったと考えられている。また、アイルランドではフィドヘルというゲームが伝承に残されており、プレイ方法は不明であるが、Taflのバリエーションの一つではないかともいわれている。
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碁を打つ女性(744年)
古代中国では春秋時代(BC 770 - 403)に包囲ゲームの囲碁が生まれたと考えられている。囲碁用具を使った遊びの中から五目並べが生まれ、これを整備して連珠が作られた。また、オセロは囲碁が発祥との説もある。
こうして、いくつかの古代ゲームが各地で発展して様々な伝統ゲームが生まれていった。
20世紀に入ると、ボードゲームは新たな展開を見せる。軍事作戦や会社の経営などのできごとを盤上で細かく再現したモノポリーなどのシミュレーションゲームが盛んに遊ばれるようになった。その後は、いわゆるユーロゲームなど、従来の伝統ゲームの枠にとらわれないゲームが次々と考案されている。
伝統ゲーム[編集]
伝統ゲームと現代ゲームの区別は独占・排他的な考案・著作権やメーカー等による商標・頒布権の有無によると考えることが出来るが、19世紀台のものを明確に区別することは難しい。ここでは便宜上、19世紀末(1900年)までに誕生し、現在もプレイされているゲームを伝統ゲームとして列記する。すでにプレイされていないゲームは歴史の項を参照。
競走ゲーム
蛇と梯子(インド式すごろく。生まれた時代は不明。19世紀にイギリスへ伝わり世界に広まった)
パチーシ (バックギャモンに類似したインドのゲーム。後に米国で「en:Parcheesi」となる)
バックギャモン(タブラに基づいて17世紀頃にイギリスで考案。その後、1920年にアメリカでダブリングキューブが導入されて現在の形になった)
ユンノリ(朝鮮半島のボードゲーム。4つの駒をゴールまで到達させれば勝ちとなるが、その過程で相手の駒を捕獲したりすることもできる)
ハルマ (1883年か1884年にアメリカで考案。自分の駒を相手よりも先にすべて移動すれば勝ちとなるが、他の競走ゲームとは異なりサイコロを使わない。en:Chinese checkers、ダイヤモンドゲームの原型)
捕獲ゲーム
プルック(ブル (英語版)。アメリカ大陸先住民族がプレイしているボードゲーム。ゲームの存在に関する最初の報告は1902-1903年だが、それより前から存在した。サイコロを使用して駒を動かして相手の駒を捕獲する)
チェス(インドのチャトランガが、ペルシャに伝わり、いくつかの経路で9世紀にはヨーロッパに伝わり、西暦1000年ころには全ヨーロッパに広がり、1200年ころからルールの改変が行われた。1475年ころにはおおむね現在のチェスのルールになったらしい[3])
シャンチー(チャトランガが中国で変化したもの。将が九宮と呼ばれる領域から出られない点に特徴がある)
チャンギ(シャンチーが朝鮮で変化したもの)
将棋(チャトランガが日本で変化したもの。捕獲した相手の駒を自分の持ち駒として使用できる点に特徴がある。中将棋など古将棋と呼ばれるバリエーションがある。北陸地方では将棋から発展してごいたというタイルゲームもプレイされている)
軍人将棋(日本のゲームだが、中国には軍棋という名前で従前から類似のゲームがある。駒が伏せられており、完全情報ゲームではないことに特徴があるボードゲーム。相手の駒を捕獲しつつゲームを進め、相手の総司令部を占領すれば勝ちとなる)
包囲ゲーム
キツネのゲーム(北欧、14世紀以前。Taflが発展したものと考えられている。Halatafl(キツネの尻尾)、キツネとイヌなど様々なバリエーションがあるが、現在最も有名なのはキツネとガチョウである。2人のプレイヤーがそれぞれキツネとガチョウを担当し、キツネはガチョウの捕獲、ガチョウはキツネの包囲を目指す)
十六むさし(日本のボードゲーム。キツネとガチョウと同じように親と子に分かれてプレイする非対称なゲームである。親は子を挟んで捕獲し、子は親を包囲することを目指す)
囲碁(古代中国が発祥であり、日本を含めた東アジア全体で細かいルールが少しずつ整備されてきた)
リバーシ(イギリス発祥でオセロとほぼ同様のゲーム。リバーシは19世紀以前からプレイされていたが、オセロという名前は20世紀に日本で命名された)
配列ゲーム
ナイン・メンズ・モリス(古代ローマ時代に生まれたと考えられ、中世イングランドで流行)
マンカラ
現代ゲーム[編集]
便宜上、ここでは20世紀以降(1901年以降)に考案されたものを挙げる(考案者名、考案年、発祥国が明らかな場合、括弧内にできるだけ示す)。
ア行[編集]
アイルオブスカイ
アグリコラ(Uwe Rosenberg考案、独Lookout Games社より2007年発売)
アクワイア(Sid Sackson考案、米3M社より1962年発売)
アズール
穴掘りモグラ、モグラカンパニー(1995年、ベルトラム・カエスとヴァージニア・チャーベス考案、ドイツ)
アバロン(1987年、 Michel LaletとLaurent Léviが考案)
アフリカ
アベ・カエサル(Wolfgang Riedesser考案、独Pro Ludo社より1989年発売)
アムレット
アリマア(2002年にOmar Syed考案)
アルナック
アルハンブラ
アンダーカバー、アンダーカバー2
イースター島
イスタンブール
1号線で行こう(Stefan Dorra考案、ドイツ、1995年発売)
インカの黄金
インテリーゲ
ヴィラパレッティ(Zoch Verlag考案、2001年発売)
ウイングスパン(Elizabeth Hargrave考案、Stonemaier Games社より2019年発売)
ウボンゴ
ウミガメの島
エアラインズ
エントデッカー、ニューエントデッカー
王と枢機卿
王への請願
オールザウェイホーム
オルレアン
カ行[編集]
ガイスター、ファンタスミ(Alex Randolph考案、1982年発売)
カピトール
カヤナック
カラハ(20世紀に欧米で流行したマンカラ)
カルカソンヌ(Klaus-Jürgen Wred考案、独Hans im Glück Verlag社より2000年発売)
ケーブマンカーリング
キャメルアップ
キャントストップ
キングダムビルダー
サ行[編集]
ザーガランド
砂漠を越えて
サンクトペテルブルク
ジャストワン
シャーク
ジャワ
人生ゲーム(1960年、米国。その後、バリエーション多数)
すしごー
スクラブル(1938年 Alfred Mosher Butts考案。米国)
ストーンエイジ
タ行[編集]
大聖堂
タージマハール
ダブルナイン
タロ
チャオチャオ
ツィクスト
テラ〜わたしたちの地球〜
テラフォーミングマーズ
テラミスティカ
テレストレーション
天下鳴動
どきどきワクワク相性チェックゲーム
トランスアメリカ
ドラダ
ナ行[編集]
ナッシュ
ノートルダム
ハ行[編集]
パッチワーク(Uwe Rosenberg考案、独Lookout Games社より2014年発売)
バラージ
バルバロッサ(一部では粘土ゲームとも呼ばれる)
バロンポテトの晩餐会
ピクショナリー
ピクチャーズ
ヒストリー・オブ・ザ・ワールド
ヒューゴ、ミッドナイトパーティー
フィフティーンダイス
プエブロ
ブルームサービス
ベガス
ヘキセンレンネン
マ行[編集]
ヤ行[編集]
ラ行[編集]
ラックオー
リスク(Albert Lamorisse考案、仏Miro Company社より1957年発売)
ルクソール
レーベンヘルツ
レジスタ・サッカーゲーム
レディーファースト
ロストシティ
ワ行[編集]
ワイナリーの四季(Jamey StegmaierとAlan Stone考案、Stonemaier Games社より2013年発売)
脚注[編集]
[脚注の使い方]
注釈[編集]
^ ただし、一般的にボードゲームと呼ばれるゲームであっても、コンピュータゲーム(テレビゲーム)化されていることがよくあり、この場合は実際のボードや駒を使わずに画面上でプレイすることになる。
^ ボードゲーム以外には、コントラクトブリッジなどのカードゲーム等も採用されている。
出典[編集]
^ 寒川恒夫;岸野雄三;山下晋司;大林太良(編)『民族遊戯大事典』大修館書店(1998/07)ISBN 978-4-469-01260-6、増川宏一『盤上遊戯』法政大学出版局(1978/07)、増川宏一『ゲームの系統と変遷』INAX(1994/06)
^ Hooper, David; Whyld, Kenneth (1992). The Oxford Companion to Chess, Second edition. Oxford; New York: Oxford University
^ “ボードゲーム『街コロ』が“ドイツ年間ゲーム大賞 2015”にノミネート! 日本作品の快挙”. 電撃オンライン. 株式会社KADOKAWA (2015年5月19日). 2016年5月7日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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アナログゲーム
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出典検索?: "アナログゲーム" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2014年4月)
アナログゲームとは、コンピュータを使わないゲーム全般の名称。コンピュータゲームとの対比として使われる言葉である。
概要[編集]
アナログゲームという言葉は「デジタル式コンピュータを使用しないゲーム→デジタルではないゲーム→デジタルの逆はアナログである」という意味で使われ始めたのが発端で、スペースインベーダーを代表する電源を必要とするコンピュータゲームが流行り始めた1970年代末には既存のボードゲームなどにこの言葉が使われており、それからは電源を必要としないゲーム全般を示すものとして使われている[1]。
アナログゲームは日本で独自に生まれた言葉で、日本では電源を必要としないゲーム全般を示す。古くからゲーム雑誌やカルチャー雑誌やインターネットのゲームサイトなどを含め、日常的に広く頻繁に使われている[2][3]。
基本的には、将棋、チェス、囲碁、リバーシなどのボードゲームやトランプなどのカードゲーム、麻雀など卓上で行われるタイプのものがそれと言われるが、日本古来から遊ばれている福笑いやすごろく等もそれに含まれ、広義では電源を必要としないという意味から鬼ごっこやドッジボール等のテーブルを必要としないゲームもそれに含まれ、その幅は多岐にわたる。
ウォー・シミュレーションゲームなどで、人手で扱うには煩雑に過ぎ、誤りの可能性が高い判定などの処理を、小規模の論理回路等を使用して一部の自動化したようなものもあるが、そういったものもこのカテゴリに含める(複雑であることの他、軍人将棋の類の不完全情報ゲームで対戦者以外の第三者による判定が必要なものについて、第三者の役割を任せるため、といったものもある)。
1995年夏のコミックマーケットのジャンルコードの再編成の際に「ゲーム(電源不要)」というジャンル分類が加わり、コミックマーケットでは2011年現在もアナログゲームに関する同人作品はこのジャンル名で扱われている。
脚注[編集]
[脚注の使い方]
^ “「ゲーム」はいつから当たり前に「テレビゲーム」などを指すようになった? 「デジタルゲーム」という言葉の歴史から調べてみた”. 電ファミニコゲーマー (マレ). (2020年10月8日) 2020年10月30日閲覧。
関連項目[編集]
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カードゲーム
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かるたをする女性ら(1900年頃)
マジック:ザ・ギャザリングのプレイ風景
カードゲーム(Card Game)は、広義にはカードを使って行うゲームの総称。狭義にはいわゆるトランプを使ったゲームのこと。歴史的には麻雀やドミノなどのタイル(牌)を使うゲーム(タイルゲーム)と起源を同じくしており、タイルゲーム・カードゲームは手札(手牌)という要素によって、囲碁、リバーシ、将棋といったボードゲームと区別される[1]。以下では、タイルゲームを除くカードゲームについて解説する。
ヨーロッパにこの種のゲームが現れたのは、14世紀のイタリアではないかと推測されている。その後、遊びの範囲を広くするため、ある特定のゲームを遊びやすくするため、今までの形式とは違った遊びをするため等の理由で専門のカードデッキが生まれた。
1993年発売のマジック:ザ・ギャザリングの流行以降、個人ごとに決められた範囲内で自由にカードデッキを作り、その内容を元に勝負に臨むトレーディングカードゲームが生まれ、独自の分化が築かれている。
方式[編集]
人数[編集]
カードゲームは大別して、1人で遊ぶもの(ソリティア)と、2人以上で遊ぶものに分けられる。また2人用のゲームは3人以上のゲームとくらべて特殊な構造をしていることが多い。たとえばすべてのカードを手札として配ってしまうと、2人の場合は相手が何を持っているのかが完全にわかってしまうので、カードの一部を配らないなどの工夫が必要になる。
3人以上のゲームでは、中心になる競技者(あるいは競技者のチーム)に対して、それ以外の競技者が協力して対抗するゲームと、各競技者がそれぞれ独立して戦うゲーム(カットスロート)がある。
4人以上のゲームでは、複数の競技者がチームを組んで競技するゲームもある。4人では向かい合った2人ずつが固定したチームを組み、5人では中心になるひとりの競技者がパートナーを指名するなどの方法が一般的に行われる。
カードを配る[編集]
多くのゲームではカードを各競技者に配る。カジノゲームなど、誰が配るかがあらかじめ決まっていることもあるが、何らかの方法でゲーム参加者の中からディーラー(配り手)を決める必要がある場合も多い。ディーラーはじゃんけんなどで決めることも可能だが、より本格的には、カットによる方法が用いられる。すなわち、カードを裏向きに積んであるカードを、各競技者が適当なところで上下に二分し、その上半分の一番下のカードを見せてから元に戻す。一番高い(ゲームによっては一番低い)ランクのカードを選んだ競技者がディーラーになる。複数の競技者が同じランクのカードを選んだ場合は、該当する競技者だけでもう一度カットを行う。
ディーラーをこの方法で決定しなければならないのは最初の一回だけで、以降はディーラーが順番に次の競技者に移動するのが普通である。
通常はディーラーはカードをシャッフルし、ディーラー以外の競技者がカットしてからカードを配る。ゲームによってはシャッフルを禁止しているものや、配り方が細かく定められているものもある。
競技方向[編集]
カードゲームではしばしば各競技者が(あるいは各競技者に対して)順番にある行動をする場合がある(カードを1枚ずつ出すなど)。このとき、最初に行動した競技者から見て左へ左へと行われるのを「時計回り(または右回り)」といい、逆に右へ右へと行われるのを「反時計回り(または左回り)」という。
アジアでは全般的に反時計回りが多い。日本では時計回りはしばしば「泥棒回り」と言って嫌われる。
これに対して、イギリス・フランス・ドイツ・ロシアなどでは時計回りが多い。同じヨーロッパでもイタリア・スペイン・ポルトガル・スイス・バルカン半島などでは反時計回りが多い。北アメリカとオーストラリア・ニュージーランドでは時計回り、ラテンアメリカでは反時計回りが普通である。近代の日本は時計回りの国の影響が強かったため、トランプの場合は時計回りに競技することも多い。
トランプゲーム[編集]
「Category:トランプ」も参照
専用カードゲーム[編集]
ア行[編集]
カ行[編集]
サ行[編集]
タ行[編集]
ダイナマイト・ナース
「たべちゃうぞ!!」陸のなかまたち
「たべちゃうぞ!!」海のなかまたち
電車でGOゲーム
ドブル
ナ行[編集]
ハ行[編集]
バカカード
バケツくずし
バトルライン
ハリガリ、ハリガリジュニア
ビッグチーズ
フリンケピンケ
フロカティサーカス
ペンギンパーティー
北海道旅人ゲーム
マ行[編集]
ラ行[編集]
ランドウンター(ブクブク)
リミッツ
ロストシティー
ロッカ
ワ行[編集]
エクスプレインザワード
トレーディングカードゲーム[編集]
詳細は「トレーディングカードゲームのタイトル一覧」および「トレーディングカードゲーム」を参照
脚注[編集]
[脚注の使い方]
^ 増川宏一 (1978). 盤上遊戯. ものと人間の文化史 29. 法政大学出版
関連項目[編集]
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バックギャモン
89の言語版
ツール
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バックギャモン
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1枚のボードと15個の駒2組、2個のサイコロ2組、1個のダブリングキューブ、2個のダイスカップからなるバックギャモンセット
期間約5千年前から現在ジャンルボードゲーム
レースゲーム
サイコロゲームプレイ人数2準備時間10 - 30秒プレイ時間5 - 60分運要素中程度(サイコロ)必要技能ストラテジーゲーム、戦術、数え上げ[要曖昧さ回避]、確率
バックギャモン(Backgammon)は、基本的に2人で遊ぶボードゲームの一種。盤上に配置された双方15個の駒をどちらが先に全てゴールさせることができるかを競う。世界最古のボードゲームとされるテーブルズ(英語版)の一種である。日本には飛鳥時代に伝来し、雙六・盤双六の名で流行したが、賭博の一種であるとして朝廷に禁止されている。
サイコロを使用するため、運が結果に対する決定因子の一つであるものの、長期的には戦略がより重要な役割を果たす[1]。プレイヤーはサイコロを振るたびに着手可能な選択肢の中から、相手の次の可能性のある手を予測しながら自手を選択し、自分の駒を移動させる。現代のルールは20世紀初頭のニューヨークを起源とするとされ、ゲーム中に勝ち点の点数(後述)をレイズする(上げる)ことができる(ダブリングキューブを参照)。
チェスと同様に、計算機科学者の興味の対象として研究がなされ、それにより作り出されたソフトウェアは、人間の世界チャンピオンを破る程に発展している。
![](https://assets.st-note.com/img/1686318178806-vgU8Ntjghr.jpg)
バックギャモンのボード
遊び方[編集]
![](https://assets.st-note.com/img/1686318178840-t2kJr69h7d.png)
駒の初期配置と進行方向
盤[編集]
盤は、24箇所の地点(ポイント)と、一時的にゲームから取り除かれた駒を置く場所(バー)、ゴールからなる。各ポイントは、1から24までの番号を付けて呼ばれる。駒の進行においてゴールに最も近いものが第1ポイント、最も遠いものが第24ポイントである。双方のプレイヤーにとって、駒の進む向きは逆であるため、自分と相手ではポイントの番号も異なるものとなり、例えば自分の第1ポイントは相手の第24ポイントである。第5ポイント(相手にとっての第20ポイント)はゴールデンポイントといい、ここのポイントの確保(後述)はゲームの流れを左右することが多い。
駒の配置[編集]
各プレイヤーは、第6ポイントに5つ、第8ポイントに3つ、第13ポイントに5つ、第24ポイントに2つの駒を初期配置する。第24ポイント(相手側にとっての第1ポイント)に配置された駒をバックマンという。
先手の決定[編集]
日本では、まず、最初に双方が1つずつのサイコロを振り、大きい目が出た方が先手となる。このとき出た目はそのまま先手の最初の出目として使われる。双方が同じ目の場合には再び振りなおす。米国などでは、コイントスで決めるのが習慣になっている州もある。ただし、コイントス法は一部の団体が批判している[要出典]。
駒の移動[編集]
2つのサイコロを振り、出た目の数だけ前方(ポイントが少ない方向)に駒を動かす(ポイントが多い方向には動かせない)。同じ駒を2回動かしても、それぞれのサイコロで異なる駒を動かしても構わない。また原則として出た目は最大限使わなければならない(例えば4と5の目の際にある駒を3つ進めることはできない、ただし、後述のように駒をゴールさせる場合に限り例外がある)
ぞろ目が出た場合には、通常の2倍(すなわち、ぞろ目となっている数の4回分)駒を動かすことができる。この場合も4つの駒をそれぞれ動かすことも、1つの駒を目の4倍分進めることも可能である。
同じポイントに敵と味方の駒が同時に存在することはない。
移動しようとするポイントに敵の駒が2つ以上存在する場合、そのポイントには移動できない(これをブロックという)。ブロックを作ることを、ポイントを作る、あるいはポイントを確保するという。なお1つの駒を2つのサイコロの目で動かすときは、サイコロの目が合計されるのではなく、2回の動きを続けて行うとみなされるところに注意しなくてはならない。例えば3と5の目が出たときに、ある駒の8つ先のポイントが空いていたとしても、3つ先と5つ先にともに敵のブロックがあればその駒は動かせない。
敵の駒が1つだけあるポイント(これをブロットという)に駒を移動した場合、それまであった敵の駒を一時的にゲームから取り除かれる。これをヒットという。
ヒットされた駒はバーに移動させる。次回以降の駒移動のサイコロの目を使って、相手の第1〜6ポイント(自分の第24〜19ポイント)に再配置する。すなわち、バーは自分の第25ポイントと考えてよい。
バーにある自分の駒は最優先で動かさなければならない。バーにある駒を動かすことをエンターという。
すべての駒の移動先がブロックされている場合、その回には全く移動できない。これをダンスという。特に、バーに駒があり、相手インナー(第19〜24ポイント)がすべてブロックされていて駒を動かせない状態をクローズアウトと呼び、この場合サイコロを振ることもできない(いかなる目が出てもダンスになってしまう)
ルールに従った移動が可能な限り、サイコロの目を可能な限り多く使わなければならない。目の両方が動かせるが、片方を使った場合に他方が使えない場合には、大きい目で動かさなければならない。
駒がゴールするためには、自分の駒がすべてが第1〜6ポイント(自分のインナー)になければならない。自分の駒を第6ポイント以内に全て集めることをベアリングインという。
ベアリングインが完了すると、自分の駒をゴールさせることができる。これをベアリングオフという。ベアリングオフした駒は、盤上から取り除かれ、その後ゲーム中で使用することはない。
一部の駒がベアリングオフした状態であっても、自分の駒がヒットされた場合、その駒が自分のインナーに戻る(つまり再度ベアリングインが完了する)まで、駒をゴールさせることはできない。
サイコロの目の数通りに移動できる駒がない場合は、より大きな数の目であってもゴールが可能である。たとえば、自分の駒が第2ポイントに2つ、第3ポイントに1つ、第4ポイントに2つある場合で、出た目が5と6であった場合は第3ポイントと第4ポイントの駒をゴールさせることができる。
基本的なゲームポイント[編集]
ここで言うポイントとは、勝ち点のことである。このゲームのポイントはその勝ち方によって3通りに分かれる。
相手の駒がゴールし始めている状態で勝利した場合、勝者は1ポイントを獲得する。これをシングルという。
相手の駒が1つもゴールしていない状態で勝利した場合、勝者は2ポイントを獲得する。これをギャモンという。
上記の場合でさらに相手の駒がバーもしくは勝者側のインナーに残っていた場合、勝者は3ポイントを獲得する。これをバックギャモンと呼ぶ。
ダブル(後述)がなされている場合には、ダブリングキューブが表示する倍率をこれに乗じたものとなる。
競技会ルールでは、5以上の奇数ポイントを統一して設定し、そのポイントを先取した者の勝利としてゲームを行うことが普通である。ただし、ダブルがあるために、一度のゲームで勝敗が決まることもある。なお、デュースのルールは一般的でない。
ダブルおよびダブリングキューブ[編集]
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ダブリングキューブ
手番プレイヤーは、試合中移動のサイコロを振る前にそのゲームの得点を倍にする「ダブル」を提案できる。相手プレイヤーがダブルを拒否した場合はゲームは終了となり、ダブルの提案をした側が1点勝ちとなる。ダブルの提案を受けることをテイク、断ることをパスという。
ダブルには2つの意義があり、ポイントを2倍にするという意義と、大勢が決しているゲームを終わらせるという意義がある。
特に後者について、ダブルが導入される以前は、勝敗が完全に確定するまで、優勢な側は単なる作業として、劣勢な側はわずかな逆転の望みに懸けて、ただダイスを振り続けるという実質的にほとんど意味のない行動を双方がしなければならなかった。ダブルの導入は、前述の状況を解消し、ゲームのスピーディー化をもたらしたという意味で重要であり、ダブルがこのゲームを絶滅から救ったとまで言われるほどである。
ダブルは通常優勢な側のプレイヤーが提案するため、ダブルが導入されたことで的確な形勢判断を行なうことがプレーヤーに求められるようになり、ある局面においてダブルをかけるか否か、ダブルをかけられた際に受けるか否かの判断をキューブアクションと言い、駒の正しい動かし方(チェッカープレイという)とは異なる能力が求められるようになったことが本ゲームの複雑性を増し、より奥が深くなることとなった。
双方がダブルをかけていない状態においては、どちらのプレイヤーがかけてもよいが、2回目以降のダブル(リダブル)は前回ダブルを受け入れた側のプレイヤーにだけかける権利がある。すなわちダブルを提案して同意された場合、相手にだけリダブルの権利が生じることに注意が必要である。リダブルを拒否した場合、拒否した側の2点差負けとなる。双方がダブルをかけ合った場合、得点率は4倍、8倍、16倍、……と倍々で増加してゆくことになる。
ダブリングキューブと呼ぶ2、4、8、16、32、64の記されたサイコロを使って現在の倍率を表示し、そのキューブの置かれた位置によって次にダブルをかける権利のあるプレイヤーを示す。初期状態ではキューブは中央に置かれ、また通常のダブリングキューブには1の面がないため、64の面を上にしてその代わりとする。
ダブルを交互にかけ合い続けた場合、理論的には倍率は際限なく上がることになるが、実際にはそこまでダブルをかけ合うほどの連続逆転は起こりがたく、また競技会ルールでの必要得点などの面からもそのようなダブルには意味のないことが多い。これ以上ダブルの倍率を上げることが無意味になった状態や、クロフォードルール(後述)が適用されているゲームのことをキューブデッドという。128倍以上の高倍率が記された特殊なダブリングキューブも存在するが一般的ではないため、このような倍率が実際に発生した場合には、少なくとも競技者双方にとって紛らわしくないような表示を適宜決める必要がある。
ダブルに関して、「25%理論」と呼ばれる理論がある。これは、逆転の確率が25%以上ある場合は、ダブルを受け入れた方がよいというものである。
たとえば、逆転確率が25%の全く同じ状況が4回発生したとする。もし、4回ともダブルを受けずに敗北を宣言すると4回とも失点1なので、合計は失点4となる。もし、4回ともダブルを受け入れる場合は4回のうち1回は勝って得点2、残り3回は負けて失点6となり、合計は失点4となる。よって、逆転の確率が25%の場合、失点の合計はダブルを受けても受けなくても変わらない。このため、勝率が50%を超える場合はダブルをかけるほうが有利であり、またダブルをかけられたほうは逆転の可能性が25%を超えるならばダブルを受け入れる方がよいという、興味深い設定となっている。
ただし、これは盤面の特殊な状況(例えば、負ける場合はギャモン負けとなる可能性が高い状態など)を考慮せず、また持ち点が無限にあると仮定した場合の戦略であり、実際にはそのときの盤面や、競技会ルールの場合には現在の持ち点を考慮してダブルの是非を決めることになる。また、ダブルをかけるということは、相手が受け入れた場合、次にダブルを提案する権利が相手にだけある状態になることでもあり、これによって戦略上の不利が生じる場合もあるので注意が必要である。
ダブルに関して、以下のような変則ルールが存在する。
クロフォードルール競技会ルールで、どちらかのプレイヤーが先にマッチポイント(あと1点で勝利を得る状態)になった場合、次の1ゲームに限りダブルをかけられない、というルール。マッチポイントを得たプレイヤーの優位性を保護するためのルールであり、ほとんどの競技会で採用されている。ただし、クロフォードルールは1ゲームに限り適用され、そのゲームが終わると解除され、ダブルをかけることができるようになる。例えば、5点先取のマッチで、Aが1点、Bが4点の場合、Aはダブルを提案できないが、そのゲームでAがシングル勝ちし、Aが2点、Bが4点となると依然BのマッチポイントであるがAはダブルを提案できる。オートマチックダブル先手を決める最初のサイコロが双方同じ目となった場合、ダブルの倍率を2倍にしてから振り直す、というルール。先手が決まるまで、同じ目が出続ければさらに倍々となってゆく。上がるのは倍率のみで、最初のダブルをかける権利は変わらず双方にある。競技会では通常採用されないが、米国の一部地域では一般的なルールであり、この地域を経由して日本に伝えられたことにより、書籍によっては一般的なルールであると解説されていることがある。ビーバーダブルを提案されたプレイヤーが通常のダブルを受ける選択の他に、そのさらに2倍の倍率を逆提案できるルール。すなわち倍率はダブルをかける前の4倍となり、次のダブルをかける権利はビーバーで受けた、すなわち最初にダブルを提案した側が持つ。前述の25%理論と同様の設定では、双方が勝率を正しく判断しているならばビーバーで受けるべきダブルがかけられることはありえないので、ビーバーで受けるのは主に、相手の勝率計算が誤っていると考えた場合になる[注釈 1]。ビーバーを逆提案された場合、当初ダブルを提案した側が拒否することも可能であり、この場合はビーバーを逆提案したプレイヤーの1点差勝ちとなる。競技会では通常採用されない。ジャコビーダブルがかけられていない場合、ギャモン勝ちやバックギャモン勝ちも1点勝ちするルール(ダブルがかけられると、ギャモン勝ちは4点、バックギャモン勝ちは6点となる)。ダブルをかけて降りられては1点しか得られないため、ギャモン勝ちが見えている場合(このような状況をトゥーグッドトゥーダブルという)ダブルをかけずに進行することになり、ダブルの趣旨であるゲームの迅速化が果たされないので、このようなギャモンを認めずにさらなる迅速化を図る目的がある。ただし、勝敗がほぼ決してからのギャモンの成否も戦術のうち(次項のギャモントライを参照)といえるため、競技会では通常採用されないが一定の得点で勝敗を決しない方法(マネーゲームという)ではほぼ確実に採用される。
基本的な戦略[編集]
基本的なゲーム戦略としては、
相手からのヒットを避ける(ブロットを作らない)ようにして駒を進めること
ヒットした相手の駒を再配置させない、または再配置後の移動が困難になるよう自分の駒を移動させることにある。
ただし、サイコロの目によって採りうる戦略は左右されるため、状況により随時その戦略を変えなくてはならない。 そのため以下のような戦術がある()内は別名。
プライミング:連続した6つのポイントをブロック(これをプライムという)し、その先にある相手の駒を進めないようになった状態もしくは、4~5個連続したブロックポイント(これをセミプライムという)をつくることで相手のバックマンを捉えて、動きを阻み、相手がインナーの防御を壊さざるを得ない状況(動かせる駒がある場合は動かさなければならないため)を作る。この結果としてインナーの駒が進み過ぎてしまった状態をナッシングボードという。
ブロッキング(ホールディング):相手インナーに複数のポイントを確保し、ベアリングイン途中で生じたブロットをヒットする。自分のインナーにセミプライムを形成できていると効果的である。
アタッキング(ブリッツ):序盤から積極的に相手をヒットし、プライム・クローズアウトにより相手をねじ伏せる。相手のコマを連続してヒットし続けることで、相手のバックマン2個をバーの上に載せ続け、相手の行動を完全に封殺する戦法である。勝つときは大抵ギャモン勝ちとなるという決まると爽快な戦法である。ただし、一度失敗すると取り返しがつかないこともよくあり、細心の注意が必要とされる。
バックゲーム:不利な状況において相手インナーの深いポイントを複数確保し、逆転を狙う。失敗すればギャモン負け必至の背水の陣の戦略であるが、それだけに成功したときはアタッキングとは違う意味での快感がある。
ランニング:序盤から大きい目やゾロ目が連続して出てピップカウントの優位を確保した場合、早々に双方の駒が完全にすれ違いヒットされる可能性のない状態(これをノーコンタクトという)に持ち込んで、安全勝ちを目指す。ギャモン勝ちは狙いにくいが優勢を確保してから、逆転される可能性が低く安全性の高い戦略である。
ギャモントライ:勝利が確実な状況になった際に、ダブルを提案せずギャモン勝ちを目指す戦略。逆に敗北が確実な状況でギャモン負けを回避する戦略をギャモンセーブという。ギャモントライやギャモンセーブは勝負結果自体は見えているため副次的なものと考えられがちであるが、その成否は0.5ゲーム分に相当する価値を持つため、これらも重要な戦略である。
形勢判断[編集]
形勢判断の材料として一般的に用いられるのがピップカウントである。これは、自身のコマのゴールからの距離の合計値であり、通常は小さい方が有利とされる。また一般にインナーまで多くの駒を進めている側は優勢であるが、上記の通り相手インナーにブロックポイントを作る戦術もあり、またサイコロの目次第での大逆転が有り得るためチェスのような明白な優劣がついている状態は起こりにくい。大逆転につながるようなサイコロの目をジョーカーという。
対コンピュータ[編集]
ルールが比較的シンプルなこともあり、コンピュータの黎明期からさまざまなプログラムが作成され、およそ2000年前後に人間超えを果たした[2]。さらに、解析ソフトウェアの進歩により戦略に革命を起こした。
有名なのはSnowie[3]、GNU Backgammon[4](略称gnubg)、eXtreme Gammon[5](略称XG)である。eXtreme Gammonは日本では日本バックギャモン協会から有償で販売されている。GNU Backgammonは自由ソフトウェアであり無償である。ネット上での対戦も容易であり、PlayOKやBackgammon GalaxyやBackgammon Studio Heroesなどが活発にプレイされている。
サイコロを使う偶然性があり、ある局面の有利不利、あるいはある局面での動かし方についてその局面から何度もプレイしてみても正確な評価が非常に難しいことがあるが、Variance Reduction[6](分散低減)という手法を用いられるようになり、解析ソフトウェアは非常に精度の高い局面評価、最善手の検索が可能となった。
解析ソフトウェアを使用すると、ある局面の有利不利の評価、最善手が分かるようになる。しかし何故その局面がそう評価されるのか、何故それが最善手なのかは教えてくれない。教えてくれるのは「この局面の勝率は63%だ」とか、「最善手はこの動かし方で、勝率が3%下がる次善手はこれ」といった情報である。そのため、人間がその情報を元に上達するためには局面の解析結果から人間的思考手順を導き出さなければならない。
歴史[編集]
古代[編集]
セネト[編集]
アメンホテプ3世の墓から出土したセネト。ニューヨーク市ブルックリン美術館蔵
原型は紀元前3,500年頃の古代エジプトでプレイされたセネトと呼ばれる10枡3列の遊戯盤ではないかという説があるが、現代のものとは見た目もルールも大きく異なる[7]。ツタンカーメン王の墓からもセネトの道具が発掘されている[8]。元々は古代エジプト人にとって最大の関心事であった「死と再生」の過程が盤上に描かれるなど、セネトはエジプト神話及び宗教と結びついたものであった。だが、エジプト文明の衰退とともに宗教色が薄れ、エジプト末期王朝には宗教的な絵やヒエログリフが外されていった。これがかえってギリシアやローマに受け入れられていく素地となっていった[9]。
ドゥオデキム・スクリプタ[編集]
ローマ帝国では12枡3列のドゥオデキム・スクリプタ(英語版)(「12本の線」という意味)[10] というゲームが盛んに行われていた[11]。
12枡2列化[編集]
タブラ[編集]
![](https://assets.st-note.com/img/1686318178784-Z3Agqgfla1.png)
5世紀後半、東ローマ帝国皇帝ゼノンが遊んだタブラの棋譜。この時期にはタブラが12枡2列化していたことを示している[12]
ドゥオデキム・スクリプタは遅くとも5世紀頃までに現在のものと同じ様に12枡2列となり、タブラと呼ばれ中世ヨーロッパで広く遊ばれるようになった[13]。13世紀頃からはタブラの他に各地域独特の呼称が生まれ、ドイツではプッフ、フランスではトリックトラックなどと呼ばれるようになった[14]。だが、賭博のための遊戯としての色彩が強まるとともにキリスト教的な観点から批判する声も高まり、15世紀にはタブラの廃絶運動が起こった[15]。だが、聖俗問わずタブラを好む人が多かったために完全な廃絶には至らなかった。
ナルド[編集]
中近東方面でもギリシア・ローマの影響を受けて、このゲームはナルド(英語版)(Nard)の名前で広がった。ナルドは12枡2列であるため、ローマなどの西方から伝えられたと考えられているが、一方でナルドが西方ヨーロッパに伝えられ、トリックトラックとして遊ばれるようになったとの説も存在している[16]。ナルドは賭博と深い関係があったためにイスラム法学者からはたびたび強い非難を浴びたものの、それにもかかわらずイスラム化した中近東全域で盛んに遊ばれていた[17]。ナルドはさらに東に伝播したものの、インドでは他のゲームに押されてほとんど広がらなかった[18]。
雙陸[編集]
ナルドは北にも伝播し、中央アジアで普及したあと、シルクロードを伝って中国でも6世紀には雙陸(中国語版)(シュアンルー)の名前で広がった[19]。雙陸は伝来以降賭博や遊技として親しまれてきたが、清の時代になると豪華な雙陸盤が作られる一方で、他のゲームに押されてゲームとしては衰退していった[20]。
雙六[編集]
盤双六の盤
日本への伝来は7世紀で、持統天皇の治世に早くも雙六(盤双六)賭博禁止令が出されている[21]。盤双六は古代・中世を通じ賭博として非常に人気があり、広く遊ばれたものの、賭博の一つとしてしばしば禁令が出されている。西洋型は戦国時代に初めて伝来したが、盤双六に馴染んだ日本人には受け入れられなかった[22]。
一方戦国期には碁や将棋の隆盛が目立つようになり、賭博性を強めた盤双六の地位と人気は緩やかに低下し始めた[23]。それでも18世紀末までは盤双六のプレイヤーは多かったものの、この時期に盤双六の賭博としての人気は弱まり、各地の賭博禁令から盤双六の指定が外されるようになっていく[24]。双六盤そのものは江戸期を通じ嫁入り道具の一つとして婚姻の際に持参されることが多かったものの[25]、19世紀に入ると盤双六はかなり衰退し、実際の遊技方法を知らないものが大半となっていた[26]。明治維新を迎えると衰退はさらに顕著になり、明治末年から大正期頃にはプレイヤーの不在によりほぼ消滅した[27]。
バックギャモン[編集]
イギリスでは、16世紀にタブラが禁止されたが、密かにプレイされていた。1650年にイギリス版のタブラはbackとgamen(中英語でgameの意味)の2つの単語を組み合わせてバックギャモン (Backgammon) と命名された[28]。18世紀に入るとバックギャモンはほぼ現代のものと同一のものとなっており、1753年にはエドモンド・ホイルによってルールが整理・確立された[29]。
賭博としてのバックギャモンは18世紀末には衰退の傾向が見られ、19世紀に入ると、カードなどに取って代わられる形で賭博場では徐々に遊ばれなくなっていき、家庭などで遊ばれる純粋なテーブルゲームとなっていった[30]。その後、ヨーロッパでは20世紀に入ると、停滞の様相を呈していたが、1920年代にアメリカで発明された「ダブリングキューブ」が導入されてゲーム性が高められると、再び盛んになり始めた[31]。今日においてもインド以西のユーラシア大陸全域とアメリカにおいては代表的なボードゲームの一つである。
盤双六の衰退後、日本ではバックギャモンは西洋の珍しいゲームとして知識のみが伝わっている状態が続いていたが、戦後に入ると徐々に競技者が増えはじめ、1970年代には日本バックギャモン協会が設立され[32]、1974年からは日本選手権が毎年開催されるようになった[33]。日本バックギャモン協会によれば、現在、競技人口は欧米を中心に3億人ほどが存在するという。日本の競技者は、推定20万人ほどであるが、世界ランキングの上位者を何人も輩出しており、レッスンや試合の報酬などで生計を立てるプロも存在する[34]。
バックギャモンの大会も各地で開催されており、モナコのモンテカルロでは個人戦の世界バックギャモン選手権が毎年開かれている[35]。2021年までに望月正行、矢澤亜希子、鈴木琢光が優勝している。個人戦のほか、ネット上での国別対抗戦も存在しており、2020年大会では日本が優勝した[36]。
脚注[編集]
[脚注の使い方]
注釈[編集]
^ ただし、このゲームは1ゲームだけで勝敗が決まるものではなく、ポイントマッチであるため得点の状況によっては、ビーバーで受ける方が得になる状況も有り得る。例えば9点先取のマッチでAが7点、Bが5点の状態で、Aがダブルを提案した場合、Bはビーバーで受けるのが絶対優位戦略となる。
出典[編集]
^ “"Backgammon Luck vs Skill"”. backgammon.org. 2014年8月25日閲覧。
^ “Backgammon Snowie - the new software by Snowie Group”. 2014年8月25日閲覧。
^ “GNU Backgammon”. 2014年8月25日閲覧。
^ “eXtreme Gammon, backgammon learning and analyzing program”. 2014年8月25日閲覧。
^ David Montgomery著、仙石祥一郎 訳 (2000年6月30日). “Variance Reduction”. 2014年8月25日閲覧。
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^ 「図説 人類の歴史 別巻 古代の科学と技術 世界を創った70の大発明」p211 ブライアン・M・フェイガン編 西秋良宏監訳 朝倉書店 2012年5月30日初版第1刷
^ 「すごろくⅠ」(ものと人間の文化史79-Ⅰ)p66-67 増川宏一 法政大学出版局 1995年7月7日初版第1刷発行
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^ 「すごろくⅠ」(ものと人間の文化史79-Ⅰ)p101-105 増川宏一 法政大学出版局 1995年7月7日初版第1刷発行
^ 「すごろくⅠ」(ものと人間の文化史79-Ⅰ)p108 増川宏一 法政大学出版局 1995年7月7日初版第1刷発行
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^ 「すごろくⅠ」(ものと人間の文化史79-Ⅰ)p87 増川宏一 法政大学出版局 1995年7月7日初版第1刷発行
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^ 「バックギャモン・ブック」p206 日本バックギャモン協会編著 2002年10月20日初版発行
^ “今から世界一も夢じゃない? 日本はバックギャモン強豪”. 朝日新聞. (2021年3月13日) 2021年3月14日閲覧。
^ 「バックギャモン・ブック」p91 日本バックギャモン協会編著 2002年10月20日初版発行
^ https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202101250000145.html 「「バックギャモン」国別対抗戦、日本8年ぶり優勝」日刊スポーツ 2021年1月25日 2021年6月23日閲覧
参考文献[編集]
増川宏一『すごろく ものと人間の文化史79』(法政大学出版局、1995年) ISBN 4-588-20791-1
日本バックギャモン協会『バックギャモン・ブック』(河出書房新社、2002年) ISBN 978-4-309-26597-1
日本バックギャモン協会『改訂新版 バックギャモン・ブック』(河出書房新社、2017年) ISBN 978-4-309-27841-4
関連項目[編集]
矢澤亜希子…プロフェッショナルバックギャモンプレイヤー。日本人女性初、2014年および2018年の世界チャンピオン。
望月正行…日本人初の世界チャンピオン。
森雪之丞…バックギャモンファン、スラップスティックの楽曲でダックを組んだ大瀧詠一と初対面時、バックギャモン好きと言う事からバックギャモンの置いてある喫茶店で会い、大瀧もバックギャモンファンである事から意気投合している。
外部リンク[編集]
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Backgammon Snowie (英語)
eXtreme Gammon (英語)
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