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445 今スタートアップに必要なフランシスベーコンの思想「ノウム・オルガヌム」のウィキペディアまとめ


ノヴム・オルガヌム

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『ノヴム・オルガヌム』の表紙

ノヴム・オルガヌム』(: Novum Organum, 「新しい-オルガノン[1])とは、1620年イギリスの哲学者フランシス・ベーコンにより発表された哲学の著作である。

概要[編集]

本書はベーコンが6部作で書き上げる予定であった『大刷新』(『Instauratio Magna』(Great Renewal)、『大復興』『大革新』とも)の第2部としてラテン語で執筆された著作であり、主題はアリストテレスの著作『オルガノン』を考慮して命名したもの。ベーコンは政界での生活の中で得られた哲学的成果をまとめ、本書で新しい帰納法についての哲学的な基礎を示すことを試みており、イギリス国王に「この著作は新しい論理学にほかならず、帰納法によって思考し判断することを教える」ものであるとして本書を捧げている。本書は2巻から構成されており、前巻130章と後巻52章の章立てで成り立っている。

ベーコンはこれまでの学問が素朴な実感や僅かな経験から飛躍して一般原理を設け、そこから論理的な演繹法によって考察を進めるが、それは人間の実際の生活に寄与する学説とはなりえないと批判する。人間の悟性は四種類のイドラ(idola)の観念によって誤って方向付けられていることを指摘する。種族のイドラは人間本性そのものに起因して発生する偏見であり、対象を人間に理解できる形に変化させる傾向があるとする。また洞窟のイドラについては個々人が性格や環境、教育などによって妄想を抱いており、洞窟の中から外界を眺めることで対象の見方がゆがめられていると述べる。市場のイドラについては、人間相互が社会活動の中で接触することによって発生する偏見であり、言語を適切に使用することができないにもかかわらず不適切な言語に支配されてしまう場合があると考える。そして劇場のイドラとは既存の哲学における権威ある学説により生じる偏見であり、このイドラにより学者は先入観を持って自然を観察してしまう。人間の思索はイドラによって支配されており、これを排除することが重要であることをベーコンは主張する。

ベーコンは古代のギリシア哲学や中世のスコラ哲学を批判して具体的な成果を挙げていないと評価する。ベーコンの見解によれば、このような学問の不振の原因とは方法論の問題がある。科学にはコロンブス新大陸を発見したような新しい成果を挙げる余地が多分に残されている。独断を避けて客観的な観察と組織的な実験を行い、そして集められた情報を帰納法によって整理することで正しい解析に到達することができるとする。

構成[編集]

  • 序文

  • 第1巻 「自然解明と人間支配についてのアフォリズム」 - 130の格言から成る。ただし、進むにつれて、説明調の長文も頻出するようになる。

  • 第2巻 「自然解明と人間支配についてのアフォリズム 第2巻」 - 52の格言から成る。

内容[編集]

素手もひとりに任された知性もあまり力をもたず、道具や補助によって事は成しとげられる。それらは知性にとっても、手にとって劣らず必要なのである。そして手の道具が、運動をば或いは与え或いは制御するように、道具の精神も、知性に或いは助言し或いは用心させる。人間の知識と力とはひとつに合一する、原因を知らなくては結果を生ぜしめないから。というのは、自然とは、これに従うことによらなくては征服されないからである。そして、<知的な>考察において原因にあたるものは、<実地の>作業ではルールにあたる。実地の<作業の>ためには、人間は自然の物体を合せたり離したりする以外には何も為し得ない、あとは自然が自らのうちで成しとげるのである[2]

ベーコンは、知識や学問をけっして目的とは考えなかった。それはあくまでも、他の目的を達成するための手段であるとした。また彼は、人間は自然を観察し、自然に親しむことによって自然についての知識を得て、その知識によって自然を支配できるとした。そしてその自然の力を利用することで、人間の生活を改善し、人間に幸福をもたらすことが可能になると主張した。真の知識とは、幸福を実現する力をもつ知識であり、「知は力なり」の真意もここにある[3]

人間の精神を占有する「イドラ」には四つの種類がある。「種族のイドラ」は人間の本性そのもののうちに、そして人間の種族すなわち人類のうちに根ざしている。というのは、人間の感覚が事物の尺度であるという主張は誤っている。それどころか反対に、感官のそれも精神のそれも一切の知覚は、人間に引き合せてのことであって、宇宙の<事物>から見てのことではない。「洞窟のイドラ」とは人間個人のイドラである。というのも、各人は(一般的な人間本性の誤りのほかに)洞窟、すなわち自然の光を遮り損う或る個人的なあなたを持っているから。すなわち、或いは各人に固有の特殊な性質により、或いは教育および他人との談話により、或いは書物を読むことおよび各人が尊敬し嘆賞する人々の権威により、或いはまた、偏見的先入的な心に生ずる……また、いわば人類相互の交わりおよび社会生活から生ずる「イドラ」もあり、これは我々は人間の交渉および交際のゆえに、「市場のイドラ」と称する。最後に、哲学のさまざまな教説ならびに論証の誤った諸規則からも、人間の心に入り込んだ「イドラ」があり、これを我々は「劇場のイドラ」と名付ける[4]

自然を本当に知るためには、人間の陥りやすい先入観偏見を取りのぞく必要がある。ベーコンはそれらの先入観や偏見を「イドラ」(偶像)とよんだ。イドラには4種類あるが、それらを取りのぞいたのちに、観察と実験によっていろいろの事実を確かめ、検証し、そのなかに法則を見出していかなければならないとした。この方法が実験的方法、すなわち「帰納法」とよばれるもので、近代科学を推進させる基本的な方法となった[5]

訳書[編集]

ラテン語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。Novum Organum

英語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。Novum Organum

ウィキメディア・コモンズには、ノヴム・オルガヌムに関連するカテゴリがあります。

脚注[編集]

  1. ^ 英語日本語で表現すると、アリストテレスの『Organon』(オルガノン)にちなんで付けられた点を考慮するならば、そのままに素直に『New Organon』(新オルガノン)と、また、『Organon』(オルガノン)が(真理探求のための論理学という)「道具」という意味であるという点を考慮して意訳すれば、「New Instrument」「New Tool」(新道具)等と表現できる。岩波文庫などの日本語訳によって、「Organum」(Organon)を「機関」と訳した「新機関」という表現も一部では用いられているが、これだと原義がわかりづらくなってしまっている。

  2. ^ 『ノヴム・オルガヌム―新機関』 ベーコン著、桂寿一岩波文庫、1978年

  3. ^ 『最新版 倫理用語集』清水書院編集部編 178ページ、清水書院

  4. ^ 『ノヴム・オルガヌム―新機関』 ベーコン著、桂寿一訳 岩波文庫、1978年

  5. ^ 『最新版 倫理用語集』清水書院編集部編、清水書院 178ページ

関連項目[編集]


知識は力なり

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知識は力なり」(ちしきはちからなり)は、16世紀から17世紀にかけてのイングランド哲学者フランシス・ベーコンの主張に基づく格言である。ラテン語では「scientia est potentia」、英語では「knowledge is power」とあらわす。なお、「知は力なり」と訳されることもあるが、日本語の「」が知識のほかに知恵など広い意味を含むのに対し、ラテン語の scientia および英語の knowledge は知識(あるいは知ること)という狭義に限定される。

出典および正確な主張[編集]

『ノヴム・オルガヌム』表紙
実際には、本項目の格言が一字一句そのままにベーコンによって記されたわけではない。しかし、ベーコンは同様の主張を少なくとも2度にわたって叙述している。
第1は、1597年に書かれた随想 "Meditationes Sacræ. De Hæresibus" (『聖なる瞑想。異端の論について』)においてであり、そこでは「そしてそれゆえ、知識そのものが力である」 (Nam et ipsa scientia potestas est.) という文言がある。
第2は、1620年に書かれた彼の主著『ノヴム・オルガヌム』第1巻「警句」においてである。当該箇所を下に示す[1]。なお、強調および[]内の補足は引用者による。

I. 自然の下僕かつ解釈者たる人間は、自然のふるまいに対する事実または思考の中に観測できた分だけを、実行・理解可能だ。これを超えては、何も知ることがないし、何も行うことができない。II. 人間の素手にせよ、理解力にせよ、それだけでは、十分な結果をもたらすことは不可能だ。道具や補助器具を利用してこそ、[人間の手によって]仕事は成されるのだが、それら[助けとなる道具]は手だけではなく理解力にも必要とされている。手のうちにある道具が機能をもたらし手を導くように、精神の道具も理解力と注意力を補強する。III. 人間の知識と力は一致する、というのも、原因を知らなければ、結果を生み出すこともできないからだ (Scientia et potentia humana in idem coincidunt, quia ignoratio causae destituit effectum.)。自然を支配するためには、自然に仕えなければならない。思索における原因は、作業における規則に対応する。IV. 仕事を成し遂げるために、人間ができる唯一のことは、自然の実体を、まとめたり、ばらばらにしたりすることだけだ。残りは、自然の性質によって、自然の内部でなされる。(第5項以下は省略)

要約すると、ベーコンは、自然のふるまい(因果性でいう「結果」)を観察・思索し、そこから推測できた知識(因果性でいう「原因」)を、精神の道具として実利に用いる(人間が意図する「結果」を生み出す)ことを主張している。ベーコンは、彼以前の西洋哲学(とくにスコラ哲学)で主に用いられた演繹法ではなく、自然のしもべとして、自然に対する真摯な観測を重視した帰納法を提言しているのである。

起源[編集]

類似の格言は、既に『旧約聖書』「箴言」24章5節においてみられる。「知恵ある男は勇敢にふるまい、…知識ある男は力を発揮する」(新共同訳)が、それである。しかし、知識だけではなく知恵も同様に称揚している点でベーコンの主張とは異なる。

後世への影響[編集]

アメリカ情報認知局(IAO)のシンボルマーク
この格言に代表されるフランシス・ベーコンの思想は経験論を生み出し、現在の科学的方法の土台の1つとなった。なお、現代英語で「科学」を意味する science は、ラテン語の「知識」 scientia を語源としている。
なお、近現代の戦争において、いっそう重要性を高めつつある情報戦を示す標語として用いられることがある。たとえば、アメリカDARPA管轄下でテロリストの発する信号の傍受やテロリズムの活動を監視を行うアメリカ情報認知局英語版)(IAO)のロゴにこの格言 (Scientia est potentia) が示されている[2]
ラクイラ大学 応用科学生物学科(Dipartimento di Scienze Cliniche Applicate e Biotecnologiche)のモットーはこの格言に由来する。

パロディ[編集]

ジョージ・オーウェルディストピア小説1984年』では、作中の政府は「無知は力である」 (Ignorance is strength) をスローガンとしている。

脚注[編集]

[脚注の使い方]

  1. ^ "Instauratio Magna"(James Spedding 他による英訳、1858年)からの重訳(Wikisource:Novum_Organum)。ラテン語原文は、Instauratio Magna (2012-04-14閲覧)から。

  2. ^ Information Awareness Office, 2010-10-30 閲覧

関連項目[編集]

ウィキクォートにフランシス・ベーコン_(哲学者)に関する引用句集があります。


経験論

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経験論(けいけんろん)、あるいは、経験主義(けいけんしゅぎ、(: empiricism)とは、「人間の全ての知識は我々の経験に由来する」とする哲学上または心理学上の立場である。中でも感覚知覚的経験を強調する立場は特に感覚論と呼ぶ。

概要[編集]

この語彙概念自体は、元々は17世紀から18世紀にかけて生じた近代哲学認識論において、イギリスを中心とする経験主義的傾向が強い議論(イギリス経験論)と、欧州大陸を中心とする理性主義合理主義)的性格が強い議論(大陸合理論)を区別するために生み出されたものだが、現在では遡って古代ギリシア以来の西洋哲学の傾向・系譜を大別する際にも用いられる[1]

経験論は哲学的唯物論実証主義と緊密に結びついており、知識の源泉を理性に求めて依拠する理性主義合理主義)や、認識は直観的に得られるとする直観主義神秘主義、あるいは超経験的なものについて語ろうとする形而上学と対立する。

経験論における「経験」という語は、「私的ないし個人的な経験や体験」というよりもむしろ、「客観的で公的な実験、観察」といった風な意味合いが強い。したがって、「個人的な経験や体験に基づいて物事を判断する」という態度が経験論的と言われることがあるが、それは誤解である。

沿革[編集]

古代[編集]

古代ギリシア哲学においては、イオニア学派に始まる自然哲学をはじめとして、ソフィスト達、デモクリトス原子論者、そしてキュレネ派キュニコス派エピクロス派などが、知覚経験を重視した経験論に分類される[1]

これに真っ向から対立したのがピタゴラス学派エレア派、またその影響を受けたプラトンであった。彼の主張したイデアは、仮象の現象界を超越したものであり、単に経験を積み重ねるだけでは認識し得ず、物の本質は、物のイデアを「心の眼」で直視し、「想起」することによって初めて認識することができるものであった。

プラトンの弟子アリストテレスは、その学問体系において両者を調停させ、統合することに成功した[2]

中世[編集]

13世紀のオックスフォード学派は、スコラ学を批判して経験を重視し、数学や自然哲学の発展に寄与した。先駆的な研究はロバート・グロステストの「光の形而上学」であるが、その弟子のロジャー・ベーコンは、「無知の四原因」を挙げて数学の意義を強調し、実験を用いることの重要性を説いた。14世紀オッカムは、内的な反省的直観のみならず、「具体的個別的な感性的経験をも認識の起源」として重視して「普遍は単に思考上の単なる記号にすぎない」として、スコラ学内の普遍論争において唯名論を主張し、近世の経験論を準備した。

近世[編集]

フランシス・ベーコンは、ロジャー・ベーコンの「無知の四原因」を発展させ、四つのイドラを示し、イドラを取り除くことが正しい知識に必要だと考え、従来のスコラ哲学で重視されてきた演繹と対比して、感覚的観察を無条件で信頼せず、実験という方法を駆使して少しずつ肯定的な法則命題へと上っていく帰納法を明示した。帰納法は、自然科学の発展を促したが、のちにデイヴィッド・ヒュームの懐疑主義を生むことになった。

近代経験論の成立[編集]

ロックは、人間は観念を生まれつき持っているという生得説を批判して観念は経験を通して得られると主張し、いわば人間は生まれた時は「タブラ・ラーサ」(白紙)であり、経験によって知識が書き込まれる、と主張した。アイルランドジョージ・バークリースコットランドのヒューム、そしてフランスではエティエンヌ・ボノ・ドゥ・コンディヤックが観念、知識は経験によって得られるという考えをロックから受け継いだ。

功利主義[編集]

ジェレミー・ベンサムは、経験を重視し、快楽と苦痛に支配される人間という冷厳な事実を直視し、倫理学において、功利性の原理を基礎に「最大多数の最大幸福」を主張した。「ある行為が道徳的に善いか悪いかの判断基準は、その行為が人々の幸福を全体として増大させるか否かにある」としたのである。

現代[編集]

ヘーゲル学派の台頭[編集]

ベーコンやロックによって打ち立てられた経験論の考えはバークリーを経てヒュームに流れ込み、ヒュームは経験論的な発想を極限まで推し進めてその帰結として懐疑論に陥り、そしてカント批判哲学によって大陸合理論と総合された。経験論は、ドイツ観念論の成立によって衰退し、ヘーゲル学派の台頭を招き、イギリスではケンブリッチヘーゲル学派を形成した。

現代経験論[編集]

近代以降においては、現象主義、実証主義、論理実証主義(論理経験主義とも)などが経験論の一種として生まれ、特に論理実証主義は、経験に基かず経験的に検証や確証ができない形而上学的な概念や理論を痛烈に批判した。経験論は、我々の理論命題そしてそれらの真偽や確実性の判断などは、直観信仰よりむしろ世界についての我々の観察を基礎に置くべきだ、とする近代の科学的方法の核心であると一般にみなされている。その方法とは、実験による調査研究、帰納的推論演繹論証である。

現代の科学哲学における経験論の重要な批判者はカール・ポパーである。ポパーは「理論はしばしば誤ることがある経験的・帰納的な仕方(cf. 帰納自然の斉一性)で検証されるべきではなく、むしろ反証のテストを経てその信頼性が高められるべき」として反証主義を唱えた。

主な論者[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]

出典[編集]

  1. ^ a b 経験論とは - ブリタニカ国際大百科事典/日本大百科全書/コトバンク

  2. ^ 杖下隆英「経験論」(Yahoo!百科事典)

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

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