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能力主義()と子供の自殺

今日、勅使河原真衣さんの本をちょこと読み、非常に膝を打つ内容でした。

しかも、偶然ピーター・ティールに関する新しい本が出ているのを見つけて、それをチラ見した後だったから余計に味わいが増しました。AIバブルが弾けた後は、人体改造・人格改造バブルなのかもしれないです。実際、勅使河原氏の本でも、人材開発と絡めてメンタルヘルス業界の活況について記述あり、すでにメンタルヘルスバブルやと、あたしも思います。最終、懲罰的カウンセリングというものに繋がると思ってます

存在価値削り合いの源流

私は、個人の存在価値を削り合う価値観は、ゆとり世代が始めてZ世代で激化してると思ってたけど、勅使河原氏によると中曾根康弘首相時代の電電公社、国鉄民営化を転換点とする、日本における新・自由主義の始まりに遡り、プロパガンダとして始まっていた事だそうです。

それで、皆で、個人の能力()主義やってみて、世の中豊かになったのかというと、皆、限界まですごい頑張ってるのに、なぜか何も結果を生み出せない…というのが現状なのではないですか。

それで、ずーっと、他人に向かってもっと頑張れよってお互いに思ってる。

能力主義()と子供の自殺

能力主義()の歪が子供を直撃し、これこそが異様に子供が自殺する理由なのではという勅使河原さんの見方に私も賛成です。これが、いじめではなく「学業不振」が自殺理由の上位にくる事と以下略。

そして世間行政が未だにいじめだけにフォーカスするのは、自分達こそが加害者であること認めずに済むからです。いじめの加害者は子供だけど、能力主義の普及は大人だし。

「人と比べなくて良いんだよ」なんて大嘘、よく言うよね〜

能力主義()と少子化と子供ぎらい

子供の自殺と、少子化の原因はある程度共通してると思いました。個人の能力()を削り合う事が公平なルールで、秩序だとされている世の中では、妊娠・出産・子育てのダウンタイムを背負うのは大変なリスクです。ダウンタイムの最中に切り捨てられたら、その後追いつけなかったら?

職場の理解がとかいう問題ではなく、世の中全部に追いつけない気がします。だって、社会がカタログ的に要求してる能力()と、妊娠・出産・子育てに費やすものは全然違っているもの。

お金じゃなくて、秩序がないと思います。

見捨て切り捨てが、能力()を理由に行われたら言い返す事は出来ないし、唯一「マタハラ」といって職場を断罪する事は出来るかもしれないけど、誰も幸せにならない。きっとその職場は、その後女性を採用しなくなるでしょう。

子供を生み育てる設計になっている秩序がないです。

その上、能力()の上では無価値である子供を、なぜ自分と周りの資源を搾取しながらわざわざ生むのか。命は素晴らしいから なんて言わないでください。素晴らしいはずの命が、なぜここまで削り合わされるのか。矛盾してるよ。

メンタリストが炎上したあの発言を、誰も本当に批判は出来ないはずですよ。(しかし、私は当時から思ってたけど、彼が言いたかったのは「人間が嫌いだ」という事じゃないかしら。)

能力主義()を言う人の能力は?そしてZ世代がパワハラの加害者になる日

能力主義()を大所高所から他人に向かって言った人達は、自分の事はどう思ってるだろう。団塊世代・バブル世代への「無能なくせに態度がでかい。結果を出していないのにもらい過ぎている。」という批判についてはどう思ってる?

能力主義()ですごく思い当たるのは、「ゆとり世代はコミュニケーション能力がない」から、新卒採用市場で不利を味わうのは仕方ないと正当化した事。不況を棚に上げて、人格まで深々と侮辱してくださった。

ところで、↑こういうのが老害として、コンプラ文脈で刎ねられていっている今、次は私達の「タイパ・コスパ・個人主義能力主義マッチング主義」がパワハラだとして次世代に断罪されるのだろうなとうっすら思います。

特に20代後半から30前半の人達の様子は、能力主義()の恩恵を受け、それを内面化しているけど実際は時代が良かっただけの事でバブル世代と相似だけど、能力主義()=「能力があって、人の役に立つ自分」を内面化してる分たちが悪いんじゃないですか。

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