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死ぬ時はプッって感じ

死ぬ時は、きっと電源が消える様にプッって感じなんだろう。
白仏のプロローグと結末で描かれた臨終はどちらが本当なのか。

死ぬ事の理不尽なログアウト味に対抗し抜いた男の物語だと思った。私にとっての骨仏とは何だろう。何に骨仏を見出していけるのだろう。 

この小説の最初の方、○○な○○、○○(形容詞)な○○(名詞)という安易さを感じさせる文章表現が並んで、小説世界に没入していく事がちょっと難しい。その分気軽に読みやすいとも言える。稔は「神経質で青白い秀才」ではないから、とても感情移入出来る。稔は漁船の舳先で海風を受け、生きている実感を得た。和田稔も追躡艇に立って、思わず男の本懐を怒鳴りたくなった

それから、こんな感想を見つけて、本当だなあ!って膝を打った。

だれもが自分自身に対して変わらぬ気持ちを抱き続けているにも関わらず、自分以外の人間と接するときは外見なり実年齢をもとにした対応ととるのはなぜだろう。

https://note.com/chiisanashima/n/nd7bc06368585

最近、周りの人が子供に見えるという現象に悩んでいて、それはふるまいや精神性を揶揄しているという事では全くなく、文字通り、見た目について大人も子供もみんな子供に見えるんだ。
みんな子供なのかもしれない。子供の気持ちのまま年をとって、その気持ちが時代とそぐわなくなった分だけ、自分も周りもそれを「老い」だと思ってるかもしれない。
いやもっと、そぐわないって気付いた時に、老いに気付く?
いやもっと、、、みんなきっと、子供のままだけど、そぐわなさにぶつかる度に、足掻いて大人に、老いを足掻いているのかもしれない。そういう心許なさは私だけではなくて、
みんな、自分の手の届かない自分の顔に合わせて足掻いている。


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