
読書「惑星」木原音瀬
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▷あらすじ
「ジブンは地球の人間じゃない。早く宇宙の星に帰りたい」
自称「宇宙人」の男・ムラは、ドヤ街でホームレス生活を送っていた。空腹に耐え、過酷な日雇い労働をし、ある時には金をだまし取られながらも淡々と日々を過ごすなかで、ひとりの芸術家の青年に出会う。そんなある日、「星」にいるはずの父親の遺体が解体現場から発見される――。
貧困、暴力、搾取、死。
自らを「宇宙人」と呼ぶ男の人生は、はたして“絶望”なのか――。
木原音瀬が挑む新境地。
漫画家・平庫ワカ氏によるカバーイラストにも注目!
▷感想(⚠️ネタばれあり)
感想を書くと暗くなるのでその前に装丁イラストの話をしたい。マイ・ブロークン・マリコでこのマンガがすごい!6位を受賞した平庫ワカさんが描く主人公のムラ。イケメンすぎますね。実はカバーを取るともう1枚絵が隠れているのだ。

良い。とても良い。好み。
それはそれとして、内容は非常にしんどかった。元々スタエフの第一芸人文芸部ラジオでピストジャムさんが「ダンサーインザダークの見た後のような読後感」と仰っていて、ダンサーインザダークしんどいけど好きだったし大丈夫だろと思ったのが運のつきだった。
この小説は最後までムラの一人称で語られる。作中で明記されていないため勝手に決めつけるのは躊躇われるだが、おそらく主人公は知的障害を抱えていると思われる。そして彼を生んだ母親も。彼自身はそれに気づかない。周りの人の感情の機微がまるでわからない。
読んでいる私のエゴが暴れる。「教えたい」「救いたい」「搾取」「違う」「そうじゃない」と。そしてそう思うこと自体が差別的なんじゃないかという声が自分の中から湧き上がる。
私が病んでいるときも漫画を読むことができるのは、ほとんどの漫画が一人称のカメラで最後まで進むことがないからだとこの作品を読んではっきりわかった。不適合を起こして何度もページを閉じた。
手に持って「あちっ、あち」って言いながら、はしっこにガッてかみつく。お腹の空いた犬みたいだ。
それでも読み進めるために私が取った方法は「ムラを愛犬の生まれ変わりだと思うこと」だった。
昨年15歳半で死んだ愛犬はいわゆる噛み犬だった。彼の考えていることをわかりたくて、わからなくて、それでも彼じゃなきゃダメで愛していた。犬は目の前のことしか考えない、引きずらない、今を全力で生きている、そう教えられた。

人間を犬として捉えて「それならしかたない」と思うなんて、差別的、侮辱的だとわかっていてムラと一緒にこの物語を乗り切るにはそれしかなかった。理解できないことや変えられないことを受け止められない小さくてずるいどうしようもない人間なんだお前は、と遠回しに言われたみたいで、「なんでこんな話を書くんだ!」と途中で作者に怒りすら湧いた。完全に逆恨みである。
そんな私を見透かしたようにムラに恋する若き芸術家カンくんが、ペットについてこう言った。
「彼らの自由を拘束するかわりに、身の安全と食事を保証するんです。そして自分たちには彼らに、一方的に癒しを求める。彼らの意思を確認する機会は、永遠にない。そのシステムに気づいた時に、グロテスクだなって感じました」
後半からはグッと読みやすくなった。ムラとのシンクロ率が上がったのもそうかもしれないが、おそらく恋愛の話にシフトしたからだ。不幸なことが多々起こるのは変わらないのだが、大体恋愛なんてものはみんな馬鹿になる。理屈は通らない。それを知っていたから大丈夫だった。
読み終えた後、作者のインタビューを読んだ。
作者の木原さんはインタビューの中でこう言っている。
木原 最初にふっと、「四角い箱の中に入っている人」というイメージが浮かんだんです。そこから、もしその人の思考が、その箱の中だけで確立していたらどうなるんだろう、箱の中で生きる人を内側から書いたら、その人の思考回路やその人がわからない世界がわかるんじゃないだろうか、と思ったんです。
この一文を読んで、昨年天王洲アイルで行われたアートイベントMYAF2024の展覧会「SSS: Super Spectrum Specification」で、森山未來さんが行っていたS∧S∨Sを思い出した。


箱から外を見ている人、その箱(ごと中の人)を見ている人、その全てを見ている人。見る、見られるの境界線。自分と他人のあわい。はっきりと区切られているはずなのに、視点でその境界線が揺らぐ。
パフォーマンスの詳しい内容は以下からどうぞ
しんどい時、「今、ここ、自分」に集中するように言われたことが何度かある。禅の教えだ。最近はやりのマインドフルネスもそうだ。
けれど、ムラを通して世界を見て自分に帰ってきたときに、そんなこと手放しで言えないと思った。ムラが幸せだと、私は言えない。人と比べた先に実感できる幸せを今日も甘んじて享受しつづけている。
「わかる」と「わかりたい」の間には大きな隔たりがある。
それでも、手を伸ばす。何のためかはわからない。私が知っているのは、体温はいつも温かいということ。意味や愛があってもなくても。
「俺はずっと海溝をテーマに彫ってました。あんまり海っぽくないって言われるけど。光の届かない深い海の底に、どれだけのものが堆積しているのかって、底知れない感じに惹かれてます。けど実際を見たことはない。見たことがないから、どういう形を想像しようと、自由です。俺はムラさんはよくわからない、海溝みたいだなって思ったんです」