今年のアクロバット
今年は何をしてたんだろう、そう考えてみると今年はSNSをやっていたと言える年かと思う。今年の初めから僕は手当たり次第に様々なSNSの世界に自分を誕生させた。
ネット世界に自分というタネをまいた。
10年ほど四国の山奥で半分自給自足のような生活を営んでいた、蟻のように山の斜面に這いつくばって地面を舐めるように生きてきた僕が、あらゆるSNS上にタネをまき、恥じらいもなく自画像を拡散させている。
そこの恥ずかしさ、ネットなどと小馬鹿にするラインはとおの昔に越えた。バカにするだけで回避できるのならしている、けどもバカにしながらもその影響下で生きることほど恥ずかしいことはない。
いろいろな葛藤をかなぐり捨てて、自分という商材だけでどこまでやれるか試して見たいと思った。
Twitter、Instagram、YouTube、TikTok、Facebook、note、ふわっち。
短文、写真、写真+一文、動画、動画編集、ショート動画、文章、ライブ配信。
それぞれの中の自分がいる、決して同様ではない自分の様々なバージョンを試すことで僕は自分の世の中に対する需要と供給の勉強をする、そして僕はどこまで自分を切り売りすることができて、どこからができないのか。その線引きを模索する期間だったようにも思う。
今年5月後半くらいからは、ふわっちでの生配信にとてつもない時間を注いできた。今確認してみると912時間配信していたらしい、途方もない時間だ。
その配信で、一切、人脈や、コラボや、フォロワーを増やす姑息な手は使わず、ほぼ自分の配信だけで現在763人のフォローをいただいている。これがどれだけの数字かはわからないけれども、どうやらそれなりには需要があるように感じている。
配信内での有料課金アイテムを乞うためのイベントには出ず、最初は配信で自分の全力を出していった、色々な料理、雑談、トレーニング、絶景、仕事、とか実験的に楽しみながらいろんな配信をしてたら、応援してくれる人が出てきてくれたりしたので、たまにイベントに出て、それなりに結果にもつながった。
さて。
さて、と思う。
今年も気がつけば冬至を迎えた、あとは坂道を転げ落ちるように年末年始確定申告くらいまでのタイムラインを転げ落ちるだろう、来年3月には赤ちゃんが産まれる予定だ。すげぇ。待ったなしだ。
子供ってば究極のSMだよな、親の時間をモコモコ笑顔で根こそぎ持っていく、それが快感でもあるのだ。可愛さにつられて、俺の大事な時間ちゃんを献上したくなる、子供ってばすごいな。
親として、、なんて言葉を俺は知らないし教えられるつもりもないが、親らしさなんてものは微塵もないように思う。
ただ心中はものすごくクリアですっきりとしたものがあって、みんなが健康で笑顔で過ごせたらそれで良いのだ。
さて子供たちよ、妻ちゃんよ、父ちゃんはどうやって生きようか?笑
ふっと師走に思う、収拾がつかない程にSNSにばら撒いた自分、どの自分に水を注いだら良いのかいまいちわからない、わからないが、それなりに俺の本能に学習したことは色々あるんだ。さっき言ったように俺の需要と供給とか、、なんというか、<センスのようなもの>を磨き、向き合う時間ではあったように思う。
けどな、まだまだまだまだ俺は自分を出せていないと感じている、自分を曝け出すために始めたものなのに新たな厚皮を被った気分なんだよ、うむ。それでも良し、厚着であればあるほど脱がす喜びがある、十二ひとえのエロさ。
コロナなんて言葉入力するのも馬鹿らしいが、あれのせいで、68億総引きこもりになった。
この期間にみんなそれぞれの精神と時の部屋に入った、その中で何をしてた?
修行や勉強してる人も多いだろう、これを機に語学の勉強を、本棚に引っ込めてたあの分厚い本を読んでみようとか、トレーニング始めてみようとか。俺は、配信とかSNSを多くしてた、あともちろん1年を通して山には通っていた。
夏場2ヶ月妻がつわり地獄で、僕は仕事を丸々休んで、2人の子供の育児と妻の看護と家事をワンオペでやってた、その期間中にたくさん配信もした、毎日寝不足で息子に朝飯を食わせて小学校に送り出して、下の子と遊んで暮らした、涙が出そうになるくらいハッピーな日々だった、大変だけど、子供たちと向き合える時間がたくさんあるのは素晴らしいことだ。
父ちゃんにはまだまだ枯れない夢や活力がある、さぁ子供たちもそうだが、俺はこの自分の魂に住まう活力にも水をやらねばなるまい。いまだに35とかいうええ歳こいて、子供たちの成長と、いやそれ以上に自分の成長にあたたかい視線を向けている俺がいる。自分の未来にワクワクしてる自分がいる。
けども、これは内面の話かもしれないな、本当は表面では、現実、社会の側面では、超絶アンバランスなアクロバティックなワークスタイルで、水面ぎりぎりの低空飛行で生計を営んでいたんだ。
山仕事、突然1人になって、それでも作業も工期も決まってて、誰にも相談できなくて、会社にバレないようにひとり、死と危険のコロンに鳥肌立てながら山に入っていく心細さよ。わかるか?怖いのに、自分の足を操縦して怖いところに自分を行かせるんだよ、結構キツイぜ、獣も怖いが、いきなり抜き打ちで来るかもしれない担当官に出会ったらなんて言い訳しようなんてそんな言い訳考えなきゃいけない状況自体が毎日逃げ出したくなるくらいに怖いのよ。それでもなお、1人で仕事する方がマシだって思っちまうくらい、人を雇うことにうんざりしたってことよ。
そんなわけで俺は日々戦場に立ちながらも現実逃避するというアクロバットを編み出した。それが配信だ、知らねぇ不特定多数に笑顔でベラベラ喋りながら、自分の喉元に刀の切っ先突きつけながら猪が威嚇してくる現場に自分を追い立てる。現場では耳にイヤホン突っ込んで楽しい音楽なんて聴きながら作業する。やかましいエンジン音よりかましだ。
過酷な現実を生きながら現実逃避する、歴代の父ちゃんが編み出してきたサバイバル技術なんだろ。あぶねぇアクロバットなのはもちろん俺自身が誰よりも知ってるから、誰も忠告もしないし、心配するだけ無駄だ、それでもそれでも家族やリスナーや親はマシンガン飛び交う丘の上で裸踊りをやめようとしない俺の心配をしてくれている。
もっと良い方法があるなら飛びつくんだが、まぁ多分差し当たってはこれが最適解なんだろうと俺は腹くくってはいる。ここで運命ってやつと鍔迫り合いしながらさ、何かの到来を待ってる、チャンスを待ってる、自分の内側からやってくるジャンプしたいような気概が沸々と湧いてくるのを待っている。
栄養を拾い集め、無差別になんでも食って、俺のバカになった腰が癒えて、またホップステップでジャンプできる日が来ないはずはないと思って、十全に準備しつつできることをやりつつ待ってる。
思いつくことはなんでもやってる、実験はいつだってやっている、いつだって経験がもたらす細かな失敗のデータは引き継がれてる、全て未来の肥やしだ、大丈夫だ、冬至を超えた、あとは師走を走り抜けるだけだ。
俺の体も、精神も。家族の健康も精神も。今年も生きることができそうだ、全てに感謝ありがたい。
俺が生きるために死んでくれた全ての食い物たちよ、、
これから死んでくれる食い物たちよ、、
もうちょっとわがままを聞いてもらう。
この世に生まれて、できることだけは模索し続けて生きていくよ。
差し当たって広げた風呂敷の中で何が必要か考えて断捨離していくことも大切だろう、結局風呂敷ごと全部なくなるようなことになっても別にいいかもしれない、読書に割く時間はいちじるしく減った、文章を書く時間も減った、家族との時間はどうだろう、それはわからないな配信するために子供と海に行ったりもするから一概には言えない、妻との時間はもうちょっと欲しいところだな、結婚からこっち、ろくにデートもしてないもんな。夫婦での楽しみを先延ばしにするのも、長くうまくやっていくことの秘訣かもしれないな。こうやって手持ちのカードで考え事することも楽しいな。
人生は旅だ、現場から現場渡り歩く一人親方の足跡だって旅路だ、子供が増えることだって旅だ、家庭を支えるだけでも旅だ、子供の成長を見守ることも旅だ、配信だって、登録者数を増やすことだって、フォロワー増やすことだって、筋肥大だって、向上する身体機能だって旅だ。
変わりゆく文体だって旅だ、一期一会のリスナーの移り変わりも旅だ、別の配信で孤軍奮闘また野ざらしの晒し者になって足掻くのも旅だ。お。これ好きだな、俺の人生って、それの連続な気がする。孤軍奮闘野ざらしの晒し者になってる時ってなんかパワー湧いて来るんだよね。街で地べた座って詩を書いてる時とか、外国の夜中の空港から出て当てもなく不安な気持ちで歩き回る寝静まった街路とかさ。
久しぶりの喫茶店だよ。
便所の壁のタイルがパウルクレーの絵みたいで好きだったから自撮りした。
今日は朝、現場に車で到着してくそ眠かったから、13分のタイマーセットして仮眠した、起きたら昼やった。
気分がぐるぐる巡って結局仕事を一ミリもすることなく帰ることにした。車運転しながら配信して宇宙だのパースペクティヴな話をゴリゴリした。前澤さんが宇宙から帰ってきたってさ。小馬鹿にしようとした自分もいたが、ふっとリスナーのコメントから自分も23歳の時に猛烈に宇宙に夢見てたことを思い出させられた。
金でも富でも権力でもさ、全てを燃料に変えて宇宙まで吹っ飛んでさ、宇宙から地球を眺めたいってワガママ、カタポコには地球その反対には地球以外のくそ広い宇宙が広がってるって、そんな視点。
ワガママのバベルの塔の最上階からの景色をご覧下さいした時に、俺たちの世界観はどう変わるだろう。
たぶん、それには価値がある、そこまでの価値があるよ。俺の好きな人類学者の言葉を借りるなら「人間は酔いから醒めてしまえば人間じゃなくなる」「人間の特徴は何かが過剰にあるということだ」ってさ、納得だよ、どこまでも飛んでいけ、宇宙に発電所でも作れ、帰ってきて反省しろ、そして反省など何も生まぬことを学べ、悟れ。宇宙は真っ白で俺たちパラパラ漫画みたいな存在が何を描いても描きつくせぬほど真っ新だってこと。
今から闇の脳科学って本を読んでから帰ろうか、汚ねぇ車にはトイザらスで買ったキレイキレイに包装されたサンタさんのプレゼントが二つかわいく転がっている、明日はクリスマスイヴ。ケーキは明日家族で買いに行こうか。チキンでも食うか。俺たち家族がこういうイベントに乗っかろうとすると、どうしてもコスプレしてるみたいにしっくりこないんだが、こういう感じもまた嫌いではないな。師走。