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山の生業


ずいぶんと日が短くなった、6時には暗い、それともあれか、最近雨で曇りで現場は霧に包まれているからかな、雨だ。

ずっとふっている多分おとついくらいから降っている気がする。

ワークマンプラスで買ったちょっといいカッパが素晴らしい、アマゾンで買ったスパイク長靴も素晴らしい、去年までの3年間くらい破れた長靴を履き続け、破れたカッパを着続けていたから雨は濡れるものだと思っていた。

軽トラの荷台にシートが被さってるだけでそこに水も溜まるから、完全に防水というわけじゃないから長靴とかカッパも湿っていたりはするけれど、それでも体はそこそこさらさらで現場で作業ができている、考えてみれば当たり前なことでも視野が狭くなっていると、こんなものかと辛抱していることが当たり前になっていて日が短くなって気がつけば数年経っているなんてことはざらにある。

今もまだ草刈り作業をしている、まだ2つも年内に草刈りの現場の予定がある、半年以上も草刈りを続ける、毎年のように、みんな嫌な草刈り、僕はもう慣れた、仕事中の気分は?と問われたら無であると答えるかもしれない。

無、僕は現場でほとんど自動人形になっている、たまに獣がまろびでて驚いて僕も動物になったような気になって目が覚めてスマホを向けたりする、今日は草の陰からウサギが飛び出てきた、丸っこいふさふさのお尻が愛らしくてたまらない、ちょっと待ってほしかったけど作業道に出たウサギは全速力で駆け抜けていって、それはそれで能力の本気を垣間見せてくれたので嬉しいかった。

この仕事が体にかける負担の多くは振動と音であるということに気がついたのは5年ほど前だろうか、僕は肩紐の長さをものすごく重視していて、この肩紐に草刈機の重さをかけることによって、草刈機を握り込まないようにする、それによって手のひらに食う振動を軽減することができる。

現場での動きはすべて統計的経験の収集である、左右の反復と前後の足の動き、そしてあらゆる現場のコンディション、それらが織りなすパターンは多くないように思えて、その実ほぼ無限の状況が生じる、こう振ればこう、ここにヒットすればこう、ツルが巻いていたらこう、足と草刈機との距離、握らないことは振動の軽減につながるけれど、ちょっと太い枝木を切る時にはある程度把持してキックバックに備えないと危険だ。

せっかくの文章にまで書くことじゃないけれど、今日はそんなことも少し書いてみようという気になった、昨日スズメバチに2箇所刺されて寝る時も痛くてうずいたけれど今朝起きたら痛みはなかった、午前から雨降る現場に入ってカッパきて草刈機を振り回していた、疲れてくると目にくる、集中力が削がれる、いや、だいぶ集中していても失敗はつきものだ、今はクヌギを植えた山で作業をしているけれど、深い薮に包まれてしまっている明らかに苗が雑木に成長負けしていて、全てが雑木の草木の陰でぴょろりんと生えている、多くが枯れてしまっている、涙が出そうになる、ここは何せ自分が植えた現場なんだ、自分が植えた現場なのに苗が枯れちまっている。

一年めの草刈りは大事なのだが、経費削減なのか一年目の草刈りに入ることができなかった、おそらくそれが原因だと思う、正直この地にきてからの造林はかなり納得いく仕事ができていない、それは自分の実力不足もあるんだろうと思う、1人でできる作業の限界も感じる、草刈りは時期が大事でやっぱり7、8、9月にはやっておきたい、1番成長が激しい時期に苗以外の雑木を刈り払って苗を有利なところに持っていく、すると翌年には苗が勝って3年もしたら優位な苗たちの周りの劣勢な雑木を刈るだけでいい、成長がよければ5年目の草刈りは立派に成長した苗たちの陰に生える草を刈るだけの作業になっているはずだ。

それが理想で、現実は泣きそうになる、1年目で劣勢になった苗はよく年も負け、翌年も負ける、これはなんなんだ、草刈りがずっと楽にならない、いや、年々雑木が優位になってより大変になっていくじゃないか、1年目の草刈りがどれほど大切で、草刈りの時期もどれほど大切か思い知らされる、けども身がひとつしかない、から7、8、9月にやれる量は限られている、それに暑さがはんぱではない、正直この時期にできる作業量が減っている、きつすぎて、

けれど弱音ばかり吐いてはいられない、少しずつ意見も通るように関係も構築できてきた気がする、時期を現場ごとに変えることでうまく苗の成長を促せるようにがんばってみる、いろいろな側面で課題がおおい、だいたいにおいて手遅れな現場が僕に回ってくるから厳しいんだよ、泣き言なら無限に吐ける自信がある。でもそんなことでこの文字を埋めるのはもったいない。

現実はあらゆる系列に伸びて錯綜する交差点に立つ、けれども文につむげるのはいつだって1列の系列でしかなくて、難しい、子供達の可愛らしさ成長の面白さ妻と僕のファイトの数々、学校行事、家事育児、出稼ぎ、運転だらけの日々、現場の進捗、テトリスハードモードで降ってくるアクシデントの数々。消せども消せども次のブロックが複雑にからまっていて、1列ずつしか消せないんだ。

ゴーストドッグの葉隠で示されていた一文を思い出す

「大事においては心軽やかにかかるべし、小事においては心重くかかるべし」

ひとますしか空間がないところに長棒突っ込んだところで消せるのは1列で残りの部分が次に消すべきものとして残ってしまうから、少しずつ集中して消せるものから消していくしかない。

昔先生がゲームをクリアすることを消すって言ってたのを思い出す、クリア、確かに消すだけれどもなんだか情緒がないな、クリア、乗り越えるって感じが良いんだけど。

もはや抽象的に書く事しか、僕には文字を操ることができない、ばかみたいに出来事を書いていると面白くもない、常に向き合っていることを文字にしてまた向き合うなんてまっぴらごめんだ。

ここでは好きなことを書くんだ、林業なんて仕事なんてどうだっていい。

草刈りのスイングの中でカマキリの腹を切ってしまった、カマキリがそれでも動いていて、僕は殺してやるべきか、悩んだ、そのあとでも何度も自分が植えた、枯れかけて弱った苗を切ってしまった、頭を抱えて叫んだ、何度も、刈ってはいけない弱々しくなった苗ほど雑木に埋もれてまったくわからないんだ、ましてやクヌギで他の草木と見分けがとてつもなくつきにくいし、落葉もするから、どうしろってんだ。

カマキリを思い出す、ごめんなごめんな、でも付き合いきれない、ざっくざっく次々進んでいく僕がいる、僕はカマキリの腹を裂き、植えた苗を刈り、その他の雑木を全て刈り尽くし、いったいどこに向かって急いでいるんだろう、何をやっているんだって気分になる、見上げれば暗い雲、山ごと霧に包まれ、こんな日に仕事してる林業会社なんてない、静寂の中、山にポツリ、しとしと雨の音。

辛酸なめ子が吉田豪と対談してて昔、自作のフォントを作ってフロッピーに入れてコミケで売ってる人たちがいたって話が記憶に強く残っている、それらデータは今では互換性もなくてこの世にはもうないんだろう、今月のMONKEYで柴田元幸さんが訳していたヘザーアルトフェルドの短編「死んだ言語たちを悼む」と共鳴する、失われた言語たちの歴史、そして失われたフォントたちの歴史、どれもこの世を通り過ぎていった。

この仕事もそんなふうに思う、社会の中のひとつの仕事ではある、けれども限りなく忘却に近いところにある仕事だ、僕は霧の山の中でひとり人間界と忘却の狭間で草刈りをしている、さみしくはない、自分の足でここまで来たんだ、帰る家もある、待ってる家族もいる、街の商店街にだって今晩行こうと思えばいける。僕は自由だ、この自由を使って僕は忘却のギリギリのところに自分の足で立っている、叫びたいだろうか、そんな気もあまりない。

振動と音、機械の爆音は無意識に疲労を蓄積させる、だから僕はノイキャン機能のイヤホンをして、YouTubeプレミアムに入ってたくさん保存した動画を聴きながら作業している、もしくは音楽、これによって僕は肉体を山に脳を都市や部屋の空間に置いて作業することができて、だからすごく疲労感が減少したように思う。

正直疲労の原因はもうちょっとある、それは現実に僕は死の回転ノコを振り回すことによってこの現場一面に対して死の絨毯爆撃を加えているという事実だ、これに僕は疲れさせられた、これはひとつの生業の宿命、このカルマを積むことで僕は金を稼ぐ。その現実そのものが蓄積して疲労を生むので耳にイヤホンを突っ込んで作業する

あと、山は人の世界とちがう、それは作業道林道という、ずっといけば都市の心臓に繋がる毛細血管の末端にいてもやっぱり、「遠い」
法や警察や権力や人の世が限りなく希薄なここでは法よりも強力な山のおきてがある、筆舌には尽くせないけども、山のおきては僕の命を管理している、医者や医学や法やギャングではなくて山が僕の命を握っている、現場に入る時には頭を下げて僕はエニタイムの荷物おきにリュックを放り込んでトレーニングを始めるように、命を山の神に一度預けて、帰りに返してもらって帰宅する。

今日も生きていたね山の神にウィンクして帰宅、感謝!

そんな日々の中で、山に肉体をさらして近づきすぎることそのものが疲れる、霊障のようなものがないわけがない、だから耳に蓋をする、良いとか悪いとか言ってくる奴はぶん殴ってやる、これは俺なりの、生きるための一生懸命な結果としてやっていることなんだ。

YouTubeやアニソンに(仕事中はなぜかアニソンがよさげ)現実逃避しながら現実的労働を生きる、そんな感じの日々だ、この日々がまぁ嫌いではない、向上心もくそもないかもしれない一過性の気分の現在にたゆたうだけの労働者の日々かもしれない、それでも僕は自分の自由とそれの因果の結果としてここでこうやって生きているんだ、そんなこんなも人界の忘却ラインの山の神の入り口で誰かが見ていると思っている、その者に一言、、
明日からもよろしくね。





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