琉球の時代から癒しの音を奏で続ける「三線」の魅力
〈目次〉
1.三線とは
2.三弦から始まった三線の歴史
3.心地よい音にこだわった三線の特徴
4.三線の現在
1.三線とは
三線(さんしん)は、沖縄県に古くから伝わる伝統的な弦楽器です。
主に那覇市で生産されており、見た目が三味線に似ていることから、「沖縄三味線」と呼ばれることもあります。
素朴な優しい音色を奏でる三線は、多くのアーティストから愛されており、沖縄音楽以外のジャンルでも幅広く活躍しています。
2018年、経済産業大臣から日本の伝統的工芸品に指定されました。
2.三弦から始まった三線の歴史
三線の歴史は、沖縄が琉球王国と呼ばれていた時代まで遡ります。中国から琉球王国に持ち込まれた三弦(さんすぇん)という楽器が、現在の三線の原型です。
当時は、三弦を演奏できる久米三十六姓(くめさんじゅうろくせい)と呼ばれる人々も、多く訪れていました。
船の操縦にも長けていた久米三十六姓は、琉球王国で要職に就くようになり、三弦の魅力もどんどん広まっていきました。
1400年代末からの尚真王(しょうしんおう)の時代では、三弦が宮廷音楽の演奏で活躍しました。
孔子(こうし)の礼楽(れいがく)の教えを大切にしていた尚真王は、音楽の持つ力に注目しており、三弦の魅力をさらに広めていったのです。
1600年代になると、三弦は正式な宮廷楽器になり、中国からの使者を歓待する宴などで重宝されました。
宮廷音楽に欠かせない存在となった三弦は、徐々に進化し、三線へと変化したと言われています。
当時の宮廷には、三線にまつわる役職があり、「三線打」と呼ばれる腕利きの職人が製作を担当しました。
その中で優れた製品が多数生産され、日本における三線の製作技術は、大きく向上していきました。
江戸時代中期になると、三線の需要はさらに増えていきました。
宮廷の役人にしか作ることができず、材料も高価だった三線は、裕福な商人たちから高級品として好まれるようになったのです。
この頃から、床の間に三線を飾る風習が根付き始めました。
2つの三線を飾る「夫婦(みーとぅー)三線)」や、漆塗りの箱に入った「飾り三線」が人気であり、単なる楽器ではなく、特別な意味を持つ製品として扱われていました。
三線の需要は、貴族の家へ奉公に出ていた村人が魅力を伝えたことで、庶民の間にも拡大しました。
奉公先で見かけた三線を見よう見まねで作り、民謡などを楽しむ村人が増えていったのです。
こうした需要の変化には、放浪しながら三線を広めていた赤犬子(あかいんこ)と呼ばれる人物の存在も、大きく影響していたと考えられています。
また、1879年に琉球藩が沖縄県へ変わった際、三線の作り手たちが地位を失ったことは、大きな契機となった出来事です。
地方へ下った職人たちが、各地で三線を広めることになりました。結果的に、三線はより広く普及していったのです。
1945年の沖縄戦では多くの三線が失われましたが、1955年以降は、残った貴重な製品が重要文化財に指定されます。
琉球の時代から長く続いてきた三線の文化は、国の保護を受け、現在もしっかりと受け継がれているのです。
3.心地よい音にこだわった三線の特徴
三線の特徴は、心に優しく響き渡るような柔らかい音色です。聞いていると温かい気持ちになる三線の音は、人の声や自然の音によく馴染みます。
魅力的な音の秘密は、短く太めの弦。人差し指につけた爪やピックを使い、その太い弦をはじくことで、音も太く柔らかいものになるのです。
3本の弦は、男絃(をぅーぢる)、中絃(なかぢる)、女絃(みーぢる)と呼ばれており、それぞれ音の高低や太さが違います。
かつては絹糸が使われていましたが、音のバランスや耐久性に問題があり、現在はナイロン製の弦が普及しました。異なる音をうまく調和させることで、より美しい音が出るようになったのです。
形は三味線に似ていますが、三線の方が少し小ぶりであり、胴(ちーが)の色にも違いがあります。
三味線の胴は白くなっていますが、三線は蛇柄。ニシキヘビの皮を張ることが伝統となっており、現在は養殖したビルマニシキヘビが使われています。
ニシキヘビの皮には、振動することで音を増幅する役割があり、深みのある強い音を出すためには欠かせないものです。
艶のある皮を厳選して使うため、美しい見た目が人気で、鑑賞する楽しさもあります。
胴の周囲に巻かれている「胴巻き(てぃーがー)」という布も、三線の美しさを構成する要素のひとつです。
さまざまなデザインの胴巻きがあり、好みに合わせて取り替えることができます。
琉球王家の紋章がついた「左三つ巴(ひだりみつともえ)」は、定番の胴巻きとして親しまれています。
4.三線の現在
現在の三線は、琉球古典音楽や民謡のほかにも、ポップスやクラブミュージックなど、幅広いジャンルで演奏されるようになりました。
活躍の場が増えたことで、若い世代からも人気を獲得しました。沖縄県立美術大学の琉球芸能専攻では、多くの学生が三線について学んでいます。
実は現在、三線を演奏する人口は、戦後の頃よりも大幅に増加しており、心地よい音色に多くの人が癒されています。
沖縄民謡 安理屋ユンタさん
YouTube
参照元: 「BECOS」Webサイト
以上