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【解説】赤とんぼ(アカギツネ)が絶滅の危機に?

赤とんぼのいる風景を取り戻したい


古くから日本人が親しんだ「赤とんぼ」が群れ飛ぶ秋の風景。多くの人が、自分の原風景と重ね合わせる懐かしい景色ですが、近年、全国的にアキアカネの数が激減。秋の風景が失われつつあります。

〈目次〉
1.アキアカネの生態
2.水田がつくった秋の風景
3.全国で赤とんぼが飛び交う光景が消えつつある
4.福井県勝山市の「赤とんぼと共に生きるプロジェクト」

1.アキアカネの生態
日本には、ナツアカネやノシメトンボなど20種ほどのアカネ属のトンボがいます。いわゆる「赤とんぼ」です。アキアカネはその代表的な種です。

赤とんぼと言えば秋を連想しますが、実は、アキアカネは梅雨のころに水田などから羽化します。その後すぐに1000m級の高地へ移動してしまうため、私たちの目に触れる機会はほとんどありません。

高地へ移動した後は盛んに餌を食べ、体重が2倍から3倍に増加し、体の色も赤くなります。そして、秋になると再び平地に降りてきて繁殖活動を行います。

秋まで繁殖を始めないのは、卵で越冬することと関係しています。早く産卵を始めると冬前に卵から幼虫がかえってしまい、冬を越すことができなくなります。そのため繁殖を秋まで遅らせ、それまでの長く暑い夏を高地で過ごしているのです。


2.水田がつくった秋の風景
アキアカネは、1回に1000個ほどの卵を産みます。一生に何度も産みますからずいぶん多産です。多産は、産まれた卵や幼虫のほとんどが死んでしまう不安定な環境にすむ生物の特徴です。もともとアキアカネは、短期間で干上がってしまう危険性があるような浅い水たまりを利用していました。

しかし、そのような場所に人間が水田をつくり、アキアカネも利用するようになりました。水田は人間が稲の栽培のために水を管理するので、途中で干上がる危険性は小さく、卵や幼虫の多くが生き残るようになりました。その結果、「空が真っ赤になるほど」と形容されるような数の多いトンボになったのです。


3.全国で赤とんぼが飛び交う光景が消えつつある
しかし今、その赤とんぼが飛び交う光景が各地から消えつつあります。

また、日本各地のトンボ研究者へのアンケート結果では、2000年頃から急激に減少し始めたという印象を持っている人が多いことが分かりました。

原因として、水田の乾田化や中干し、耕作方法の変化などが指摘されましたが、アキアカネの目立った減少が2000年ごろから始まり、極めて急激であること、そして減少程度に地域差があることを考えると、そのような理由では説明できません。そこで浮上してきた原因が、90年代後半から普及しはじめた、稲の育苗箱に用いられる殺虫剤です。

宮城大学で、ライシメータという水田に模した装置で、育苗箱用殺虫剤のアキアカネ幼虫への影響を調査が行われてました。

その結果、プリンスという殺虫剤を用いた場合は、まったく羽化が見られませんでした。ネオニコチノイド系の殺虫剤(アドマイヤーとスタークル)も、使用しなかった場合の30%ほどの羽化にとどまりました。

一方、古くから使われている「パダン」は使用しなかった場合と差がなく、ほとんど影響がないことが分かりました。


4. 福井県勝山市の「赤とんぼと共に生きるプロジェクト」
全国的に激減したアキアカネですが、主に「パダン」を使っている福井県勝山市ではまだ普通に見られます。

そして2011年、勝山市の「赤とんぼと共に生きるプロジェクト」がスタートしました。

プロジェクトの中心は、市内の小学生による赤とんぼの羽化数調査です。毎朝学校の周りの田んぼで羽化する赤とんぼの数を調べ、それをもとに勝山市全体で発生する赤とんぼの数を計算し、その多さを実感することが目的です。

調査の結果、水田1ha当たり平均2万4000匹程度のアキアカネが羽化したことが分かりました。勝山市全体では3000万から6000万匹という試算になります。

赤とんぼ調査を行った小学校の子どもたちや先生には、大きな変化が表れました。赤とんぼだけでなく、ほかの生きものへの関心も急速に高まっていったのです。調査結果は、2012年5月に開催された「環境自治体会議かつやま会議」で子どもたちが発表し、会場に居合わせた多くの人に感銘を与えました。

プロジェクトは、一般市民も調査に参加する活動に広がっています。

日本人にとってアキアカネは単なる「虫」ではなく、ひとつの「風景」であると考えています。また、アカアカネの減少は「生物多様性」の保全にかかわる問題にも関係すると思います。


以上

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