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不動産や食糧を売って手元に残るもの
「売る」という行為は、かけがえのないものを手放して、お金を得ることなんですよね。
今風な感覚だと、それはお金じゃなくてコンピュータ上の「数値」です。
かけがえのないもの(資産)を手放して → 数値を得る = 売ること
なんです。
外国人に不動産を売る
海外に食糧を売る
これらも、かけがえのないものを手放して、数値を得ることです。
売って得た数値を何に替えるか
得た数値でもって、海外の不動産を買ったり、海外の食糧をゲットするならば、元の資産の形は守られますが、
例えば娯楽やゲームに使ったりすると、物理的なものは何も残りません。
ひたすら不動産や食糧を売って得た数値を元手にして、娯楽やゲームをすると、形あるものは何も残りません。
失われた不動産や食糧は、戻ってきません。
食糧はまだ、作れば生まれますが、不動産は生まれません。売った分だけ生活エリアは狭くなります。
売り続けると何もなくなる
当たり前ですが、形あるものを売り続けると、やがてなくなります。
作り続けられるなら、なくなることはないかもしれません。
売って得た膨大な数値は手元にいくらでもあるけど、形あるものは何もなくなる。
街角の変容
今の若い人は、リアルな街にあまり興味がないかもしれませんが、みんながサイバー空間に行っているうちに、リアル市街は変貌を遂げています。
昔から町の景観を作ってきた「お店」が
→ コンビニやドラッグストアに入れ替わっているその街にしかなかったものが壊され
→ どこにでもあるような建造物ができる豪邸がなくなり
→ 細かくて安い分譲住宅が並ぶ
→ マンションに建て替わる
こんなようなことが、現在、進行中です。
全国の街は均質化し、金太郎飴のように、どこに行っても同じ街並みです。
経営が苦しいから
経営が苦しいから → かけがえのないものを手放して → 数値を得る
という構図です。
もっともではありますが、これを繰り返して、数値ばかりが増え、新たな資産を購入しなかったらどうなるでしょうか。
やはり何も手元には残らないでしょう。
だから、何かを手放すときは、将来のこともよく考えて手放すべきです。
個人的なこと
断捨離で、過去の持ち物を、メルカリで売っています。
でも、売ったあと、ちょっぴり寂しいときもあります。
だから売るときに、よーく考えて、よくよく考えて、これはもう売っても大丈だ!と思うようなものを売っています。
例えばカメラを売るとき、
売って得た数値で、新たに最新のカメラを買おうとか、スマホを買おうとかします。
そしたら、そういうものは無くならないので、喪失感はありません。
でも売って得た数値で、なんかのチケットを買って(買っちゃダメなことが多いけど)それを持ってイベントに行ったら、もうカメラは手元にありません。
寂しいですよね。
そういうことを僕は言いたくて、
日本がそうなって寂しくなるのは嫌だな〜ということを言いたかったのですね。
売り渡した数値で快楽を得るだけの消費大国で終わってしまうのは哀しいと思いました。