見出し画像

自分の世界は「取捨選択」して創る

SNSのアカウントを運用していくということは、自分(自社)の世界を創ることなのです。(世界観)
でも自分の世界を創ることは、意外に難しいですね。自分を分かっていないとできないから。

「自分」といっても、自分で気がつかないぐらい沢山のものが詰まっています。色々な自分を潜在的に知っているから、いざ「自分」と考えたときにいくつものイメージが出てきて迷ってしまいますね。

「どれが自分なんだろう?全部自分なんだけど・・」

で、その自分すべてをSNSで見せてしまうと、他人は「この人って一体・・(?)」ということになりかねません。
みんな、自分のなかにさまざまな自分が居ることを知っているくせに、他人を認識するときは、どれかに固定されていないと認識できないのです。

自分の世界なんて、ほんの小さな断片

地球規模の世界と比べると、自分の世界などは小さな「埃」みたいなものです。べつに地球にとってみれば、どうでもいいような断片に過ぎません。

そんな小さな断片ですので、どんな風に見せようと、自分の勝手です。

自分を切り取って、盛って、見せる

例えば花見で写真を撮るときに、なんて綺麗な桜なんだろう?と思ってその全体を撮ったとしても、写真を見た人は同じだけの感動を得ることができません。
花びらに寄ってみたり、背景に青空を入れてみたり、いろんなことをしながら自分が感動した桜のイメージに近いものを作らないといけません。
さらには、少しピンク色を強調してみたり、全体に彩度を上げてみたりして、鮮やかな印象を作ります。

自分を他人に見せるときも同様で、そのまんま見せても相手はよく分からないということがあります。
もちろん、長く同じ人を見ていれば、その人の魅力や素敵な横顔を伺えるようになる(悪いところも見えるようになる)と思いますが、SNSのように一瞬が連続する社会では、そのような関係はフォローして長く経ってみないと成立しないのです。
でも、最初に出会ってフォローするときは、何か一つの横顔を見て素敵だなと思ったからフォローするのだと思います。

仕事に寄せるか、自分に寄せるか

SNSを仕事のために使っている人も多いと思います。
仕事の自分と本来の自分が明らかに違う人と、一体化している人がいると思います。それはその人のキャラであり、嗜好ですね。

仕事の自分と本来の自分が違う場合、
そしてSNSの目的が仕事の場合は、
SNSアカウントは仕事色に染めなければなりません。自分を入れてしまうとイメージが変わってしまうから。
とはいっても個人として仕事をする以上、自分のキャラは入ってしまうし、それが個性として認識されることもあるとは思います。

仮に仕事用のアカウントだったとしても「自分らしくありたい」という欲求はあると思います。
もし自分らしいSNSアカウントにしようと思ったら、仕事に役に立つかどうかを考えるより先に、自分のなかの素敵な部分を抽出することに専念してもいいと思います。

活動するときに必要なもの

仕事に限らず、何かの活動をするときに、他人の存在というのは切り離せないでしょう。
SNSで直接、仕事や活動を見せるという方向性はもちろんありますが、人を集めるということも大切だと思います。人が周りに沢山いるということは、いろんな意味で心強いし、チャンスも増えるから。
チャンスというのは、どこにどのような形で転がっているか、分からないからです。

仕事そのものを見せて、たくさん人が寄ってくるような魅力的な仕事をしている人は、それだけで十分かもしれません。
しかしそうでない人は、まず自分をうまく見せることに注力して、自分の人間性、考え方、嗜好を明確にして「魅力的に」見せることが必要でしょう。

そうすれば、仕事は来ないかもしれないけれど、人は集まってきます。

人が集まってから仕事を考えてみてもよいのではないか?という考え方もあります。Meta のマーク・ザッカーバーグは Threads について「ユーザー数が10億人になれば収益化を考える」と言っています。

個人の小さな世界でも、それと同じようなことは言えるのではないでしょうか。

いいなと思ったら応援しよう!