IT社会でも真実は分からない
調べれば何でも出てくるように見えるインターネットだけど、そこに真実があるかどうかは分かりません。
たとえば・・
他人の家の中
情報化が進むほど、プライバシーの保護がうるさく言われるようになります。
自分の家の中を「どうぞ見ていってください」という人も、稀にはいそうですが、普通は見られるのは嫌ですね。一人暮らしなら問題なくても、同居人がいる場合は、それらの許可なしに見せることはできないですから。
よって、他人の家の中、家庭の真実を知ることは、この先もずっと出来ないでしょう。
実際、隣の家の家庭の状況さえ、ほとんど分からない現代です。
知りたくない情報
情報化によって、知りたい情報はかなり詳しく知ることが出来るようになりました。
けれども知りたくない情報は、そもそも調べないから知る由もありません。
テレビや動画配信でニュースやドキュメンタリーを見ていれば、知りたくない情報も勝手に流れてくるので知ることが出来ます。
でもそれは基本的に制作されたものなので、真実があるかどうか分かりません。
悲惨な光景は、多くの人が真実だと思うだろうけど、その先にもっとも悲惨な真実があっても、踏み込めない一線があるのですね。
だからそれ以上は知ることが出来ません。
中には悲惨なものや、悪い情報が好きな人もいるでしょう。そういう人だけがかなり詳しく事実を知ることが出来ます。
想像の先にある真実
真実が知りたいと思わない人は、一生知らなくても生きていける世の中です。それはIT社会以前の社会でもそうでしたし、もっと世間知らずでも生きられました。
もし真実が知りたいと思ったら
「もしかしたらこういう事実があるのではないか?」
という興味を持つ必要があります。それはあくまで想像です。
そこから「調べる」という行動が始まって、真実への道筋が出来るのです。
唯一つ、煩わしいことがあるのは、想像の先にあくまで想像でしかない世界が存在しているということもあるのです。「そう思いたい」という気持ちが具現化したフィクションの世界です。それを真実だと思わないように気をつけなければなりません。
想像力や自発的な行動が必要な時代に増える面倒くさがり
楽しいことをするのも、危険から身を守るのも、何をするにも想像力や行動が必要な時代になってきていますが、一方で、居ながらにして出来ることも多く、行動しない「面倒くさがり」が増えているかもしれません。
どんなことを実現するにも、自分から動くことを意識しないとIT社会に埋もれてしまうか、弾き飛ばされてしまうでしょうね。