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信長と慶喜だと信長のほうが人気あるけど、慶喜のほうが賢くて社会のためになった。

素人の歴史考です。

室町幕府の体制が崩壊したあとの日本は、フセインが居なくなったあとのアフガンみたいなものだったかもしれません。(そんなにすごい幕府という印象はないけど)

織田信長

そのような混乱の中で台頭したのが織田信長。
歴史上の人物で、人気がある人の上位に来る人ですね。戦国武将では一番人気があるんじゃないでしょうか。

たしかに楽市楽座とか、領主としての民衆に対しての政策は画期的なものがあったのかもしれませんが、武士としては強硬な戦略家でしたね。
人を殺すことはなんとも思わない、古い宗教を嫌って、天皇も敵に回そうとする。まるで実力主義の権化みたいな人でした。

結果、部下に殺されてしまいます。光秀にね。
「違和感は取り除かれる」典型だと思います。

光秀は優秀な部下だったのに、信長がすでに居ないのに殺されてしまいました。あとに秀吉を残したことだけが、最終的な信長の功績だったかもしれません。(極論)
今はお城も残っていません。

徳川慶喜

徳川幕府を終わらせた人として、残念なイメージがある慶喜なので、歴史上の人物としてはあまり人気がない方の人だと思います。

でも徳川幕府の終焉は、歴史の必然でした。
慶喜は、そこに居合わせただけです。

世の中の移り変わりを理解していた慶喜はきっと「なるようになればいいじゃん!」と内心、思っていたのでしょう。(想像)
そのために、無理をして沢山の命を失うこともないと考えていたのかもしれません。

プライドにこだわらず、事実を素直に見つめて、最善の策をとる。
そういう頭の良さが、慶喜にはあったと思います。
世の中を見て、人々が最終的に幸せになれる方法を模索していたのではないかと思います。

結果、部分的な闘争はあったものの、平和に政権は明治に移りました。慶喜は引退して平和に暮らしました。
武士は職を失ったけど、殺されたわけでもなく、それぞれの道を自分で選択できました。明治政府に入った人もいたと思います。

時代に合った人がなぜか出てきただけ

重要な歴史の局面で、その場に合った人が出てきただけだと思うこともできます。人は歴史を作るけど、歴史もまた人を作る。
時代の雰囲気の中で、象徴的な出来事が起こる。

ただ、僕はどういう人が尊敬されるかということが、その国の民度であると考えているし、民度は時代によっても変わってくると思います。

昭和の昔は、信長は上司で、光秀は部下であり、部下が上司に歯向かうなどもってのほか!という一般認識でした。
入社試験で光秀を尊敬していると言うと都合が悪い時代でした。

でも今は違う。
その次代の勇者が、どのような社会的功績を残したか、ということも評価の基準になっていると思います。
生き方がカッコいいと思うのは好き好きで、尊敬するのも自由だけど、人物の評価というのは、それだけではない部分の方が圧倒的に多いでしょう。

賢い人というのは、必ずしもカッコよくはないのです。最終的にうまくやった人が、賢い人なのです。信長は、まわりの先輩たちが言っていたとおり「うつけ」だったのです。

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