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価値観を一つに決めてしまわない

写真は引き算

絵画は足し算、写真は引き算、と言われたりします。
写真をする人は、ファインダーの中からできるだけ要らないものを省いて、被写体つまり自分が表現したいものに迫りたいという欲求があったりします。

写真の世界ではモノクロは一つの分野になっていて、例えば森山大道はひたすらモノクロで攻めています。若い時、彼がどんな作品を作っていたのか、どんな仕事をしていたのか、僕は知らないのですが、きっといろんな仕事をして、カラーも含めて様々なことを試したんだろうと推測します。

人は自分の世界である程度長くやっていると、何となく自分のカラーというものが見えてきて、うまく行っている人は今後もそのカラーで突き進めば、自分も楽しいし安心できると思うだろうし、そうじゃない人はイメチェンとか、視点を変えて出直した方がいいんじゃないかと立ち止まるかもしれませんね。

人生まで引き算にするなかれ

引き算的思考になっていると、往々にして身の回りのあらゆるものにそれを適用してしまいます。

  • 今使わないものは処分してスッキリ快適生活!

  • 仕事忙しいしスキーしてる場合じゃないから用具は処分しよう。
    (仕事忙しいし彼女との結婚は先に伸ばそう)

  • (意味もなく)僕はモノクロで行く!

  • 僕はミニマリストなんだ。

  • 世の中が嫌になったから人間関係リセットしてやり直そう。

だけど、人間って時が経てば変わるんです。自分でも信じられないぐらい変わる時もあります。その時になって初めて、あーあの時、捨てなければ良かった。諦めなければ良かった。と思っても覆水盆に返らず。戻ってこないし戻れない。

嫌われても人間関係を断ち切らない

きょうタイムラインを見ていたら、コシノジュンコさんへのインタービュー記事が流れてきて、その中に興味深い話がいくつかありましたが、その中の「嫌われても人間関係を断ち切らない」という言葉に興味を持ちました。
一方では「過ぎたことは全部ゴミ」と言っているようなドライな人が、もう一方で人間関係だけはゴミにしないということを言っている・・

僕自身、今まで仕事を中心に、何度かリセットをしました。その後、持っていたものはある程度処分したし、知り合いとの交流もしなくなりました。(もっとも、会社だけの付き合いだと自然にそうなります)
だけど、歳が行ってくると、寂しさを覚えるようになるのです。誰か相談相手がいたら悩まずに済むのにな、話し相手がいたら気持ちも紛れるのに。世界が狭くならなくていいのにと。

何もかも嫌になっても人間関係だけはリセットしたらダメ(それが本来、良い人間関係だったとしたら)

写真の世界の価値観

話がそれて行きそうなので元に戻しますが、写真の世界では作品上、一つの価値観やイメージを大事にすることはあると思います。
モノクロの展示ではカラーは絶対入れないとか、人工物が映ったネイチャーは選ばないとか、写真のサイズやフォーマットは統一するとか。

だけど僕が若い人に希望するのは、自分の価値観、立ち位置、表現手法、興味対象、などを最初から固定化しないで欲しいということです。
写真を始めてから、少なくとも3年ぐらいは色んなものを撮り、色んな表現をし、色んな作品を見て欲しいと思います。写真自体が楽しければそれは簡単にできるはず。

その中から、この被写体と、この表現手法が自分に合ってる。あるいは自分の仕事上必要なやり方だ。と思えたときに初めてそこにフォーカスして追求していくのが自然だと思います。

それでも、他者から見たらその道が絶対というわけではないので、いつでも他の価値観にスイッチできる精神的なゆとりは、持っていればきっと表現の幅も広がるし、心も豊かになるでしょう。

心の豊かさが全てではない

最後に「心の豊かさ」とは、心だけが豊かであることを意味しません。人間、心だけあっても何も出来ないし何も感じられません。
体が健康、生活していけるだけのお金がある、家族とのいざこざがない、人間関係も悪くない、誰かの役に立っている、そういった自分を取り巻く世界との関係がうまくいっていること全てが豊かさを構成しているのです。

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