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Photo by
cherabby
誇り(PROUD)のない時代
「すごいだろー」という態度をしていると
「かっこつけやがって」「ドヤ顔してる」と思う人がいて
そう思われることが嫌だから「すごいだろー」とは言わない
そういうことが積み重なって、突出するものが無くなる。
誇りというのは「ブランド」に似ていて、他と比べて突出した部分をアピールすること。
誇りがないということは、ブランドがないことと同様で、みな押しなべて同じになることを意味する。
SNSは個を引き立てる方向に作用しながら、個をつぶす方向にも作用する。
使うのは、その社会に住む人。コミュニティの住人。
誇りとお金
日本の場合は、封建時代の夕暮れ時に、武士より商人が偉くなった。
武士は誇りの象徴で、商人は富の象徴。
武士の世が終わったと同時に、誇りも失った。
焦った武士階級は、武力先導の世の中を作ろうとして、最終的には挫折し、商人の世の中になった。
お金が、お金以上の価値を持つようになった。
お金 = PROUD
ゆえにお金を失うと、誇りも失う。
日本の場合は。
誇り(PROUD)
本来、誇りというのはそういうものだったのだろうか?
外国人に訊いてみたい気はする。
誇りというのは、たとえば星条旗をコップに描くようなものではなかったか。
苦労して作り上げたものを称賛し愛することではなかったか。
成果を強調するものではなかったか。
成果とは、お金ではなく満足する心そのもの。
その表現が誇り(PROUD)なのではないだろうか。