音楽は聴いた人の癒しになり、記事は読んだ人の糧となる
音楽を聴いていい気持ちになるのは聴いた人ですが、演奏している人もおそらくいい気持ちなのでしょうね。
記事も同様で、参考になったり、ためになったり、何かを発見したりというように、読んだ人の糧になるんだと思います。
そして書いている人も、楽しかったり、それで少しは収入を得たりします。
嫌な気持ちをぶつけるように記事に書くと、読んだ人もなんだか嫌な気持ちになるでしょう。
そのことで読んだ人が、自分の持っている嫌な感情に気づくというメリットはあるかもしれませんが、お互いに嫌な気持ちにはなると思います。
記事を読みなさい
「本を読みなさい」とよく言われますが「記事を読みなさい」と言われたことは、僕はないですね。
でも、本を読むのと記事を読むのとの、決定的な違いってあるのでしょうか?あまり無いような気がしますね。
せいぜい、長くまとまった一連のものであるか、短く切れた情報の断片であるかの違いぐらいでしょう?
本の良いところは、背景から何から全部書かれていて、一冊読めば大体のことが分かるように作られているという点ですね。
「色々書かれていると期待して読んだのに、大したことは書かれていなかった。お金を返してくれ!」
と残念になるのは本の特徴かもしれませんね。
記事の特徴
記事にはあまりそういうことはないでしょう。
note の記事で、損をしたとしても100円とか300円とかです。
記事を読んで、少しずつの情報を集めて、組み立てるのは読んだ人になります。
記事は断片的な性質を持っていて、1つのおすすめ記事で全てが分かるわけではありません。
そこからまとまった何かの見解を得ようと思ったら、いろんな記事を読んで、自分のなかで組み立てる必要があります。
記事を読むことは、本を読むよりも能動的な行為で、読む人の主体性が問われるものだといえそうですね。
うまく組み立てられた人にとって、それらの記事は「糧」になるのでしょう。