いろんな思い込み・既成概念
きょうは土曜日なのに午前中は仕事をしてしまいました。
ていうか「土曜日は仕事しない」というのは自分で決めているだけなのですが。
ま、仕事が遅れても切羽詰まらないように土日を空けているだけなのですが。
で、さっき少しタイムラインを眺めながら、いろんな noter さんのタイトルを見たりしていると、やっぱり知らず知らずのうちに思い込み、決めつけ、既成概念があるなーという印象です。
ま、それは仕方ないというか、常識というのはそのような日常の認識が積み重なったもの、または日常の認識の背景にあるものなんですよね。
男女の思い込み
男の子は収入を得たり家族を養う能力を持たせなければならない
女の子は変な男に引っかからないように育てなければならない
こういうのも思い込みですね。
僕は結婚してませんが、もし結婚するとしたら(これは昔から思っていることですが)男女は平等・対等でいたいと思います。
家のなかでの役割分担はあるでしょうが、絶対この役割はこっち、と決めてしまう必要もないと思っています。
できる方ができることをして、できない方ができる人に頼ればいいと思います。
食事なんかも、一緒に作ればいいと思います。
片方が下ごしらえをして、片方が煮たり焼いたりしてもいいし、
片方がメインを作って、片方が周りのアイテムを揃えるようにしてもいいと。
僕の知り合いに主夫は二人いる
僕自身は外に行きたい方だし、社会のなかに存在したいと思うほうだから価値観は違うのですが、僕の知り合いの男性二人は、どちらも常時家にいて家事をしています。
一人は、奥さんがバリバリの管理職です。旦那さんは工芸作家みたいな感じで、知り合いからたまに仕事をもらって自宅工房で作業し、あとは家事全般をやっています。
もう一人は、奥さんがバリバリの通訳です。旦那さんは精神障害があってどうしても仕事に行けず、家事とペットの世話をしています。
ま、なんというか、役割分担というのは自然に出来るもので、最初にあるべき姿を考えていても、実際にはなかなかその通りにはならず、最終的にはある程度の形で落ち着くのですね。
基本的には人間は「独り」だから、本当は独りでも生きていける手段を持っておく必要はあると思うのですが、それも、そういう環境になって初めて出来ることなのかなあと思ったりします。
なんかこの話、長くなりそう(笑)
親子の思い込み
うちの親父なんか「子供は実家を支えて同居して大黒柱になるべき!」みたいな考えがありました。
でもそれは年寄りになってから初めて分かったことです。
だからずっと僕は、別に暮らしていて、一時期は遠く離れた場所で生活していました。
でも諸事情あって実家に戻ったときに「なんで今まで戻ってこなかった??」と言われてびっくりしました😲
一人気ままにしたい放題していい調子、みたいに言われました。
でもねぇ、小さな実家に自分が持ってた家財はまったく入りませんよね。
入らないところに入れと言う(笑)
物理的に不可能なのに精神で克服しようとするのが僕の父でした。
でも最終的には僕は母と二人暮らしで、お互いに支え合って生きています。
べつに、人間こう在らなけらばならないなんてことは、ないと思います。
そのときそのときで、最もよいと思われる選択をすればいいだけだと思います。
人生にはいろんな計画変更があります。
だから「絶対こうあるべき」と考えていたら、生きていけなくなりますよ。
そう言うのは、いろんな意味で恵まれた人でないと、成立しないのです。
会社と個人の思い込み
アメリカ合衆国は移民の集まりで出来ており、民衆が立てたリーダーに政治を委ねる仕組みが生まれました。
カンパニーは、有志が集まって立ち上げて、出資して分配してもらう仕組みですね。
そう、会社はみんなで作るものだったのです。たぶんアメリカではね。一人では不可能なことは、会社にすれば可能になるのです。
日本とか中国とかは違いますよね。
トップダウンです。
豪族が集まって熾烈な戦いののちに土地を治めたように、一人の神がかった権力者が統治する仕組みです。
それが政治にも会社にも反映しているのです。
だから、会社に応募する人は、へりくだって、ともすれば卑屈になって、自分の言いたいことも満足に言えず、囚われの身となっていくのです。
ま、こういうことも僕の思い込みかもしれませんが。
すべては人間が考えたもの
世の中の「概念」は、例えそれが自然現象であっても、人間が考え定義したものなのです。
人間の捉え方がすべて反映しています。
赤い色が「赤」「Red」だと言っているのも認識や概念の話で、実際それがどんな色か本当は分からないはずなんです。
波長というものを測定すれば、一定の値が出るだけなんですね。
波長でさえ、何メートルとかいうそのメートルも人間が定義した単位です。
ということで、ここで僕が言いたいことは、
絶対はない
ということなんですね。
なんとなく決まってきた常識の上にみな生きているだけです。常識のほとんどはガイドラインのようなもの。
常識を逸脱しているから社会人失格とかいうことも、本来はないはずなのですよね。その常識にどんな根拠があるのか、実は誰も分かっていないことも多いのです。
戦争が起きたら常識なんて180度変わってしまう。
戦争に負けたらその常識、勝ったらその常識に染まるだけなんです。
すべては相対的で、絶対はあり得ないということです。
人間の都合のよい認識によって、すべてがなんとなく決まっているだけです。