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ルナルナのハートマークも二人の思い出にしたかった


妊活のタイミング法では、婦人科に通い、
内診を定期的にしながら排卵を予測した。

途中、排卵検査薬を使ってみた時期もあったけれど、
少し濃くなった、、これからもっと濃くなる?みたいなところからまた薄くなったりして結局曖昧なままなケースが多かった。

結局内診でも、排卵が分かりづらいようではあったけれど、恐らくの日にちを教えてもらう感じ。

生理周期が乱れていたので、ルナルナの排卵予測や生理日予測も中々役立てられなかった。


“タイミングをとるべき日”を教えてもらい、
その日にちを大切な収穫物として持ち帰り、夫に伝える。

仕事の忙しい夫が、該当日は泊まりの仕事や遅くなる予定であることが分かると、浅く絶望した。 

その日の特定のために、婦人科に通って、
結局その日が役立たないなんて、何のための努力だろうか、と。


勿論、該当日前後も可能性はある訳だし、そもそも排卵が分かりづらいケースの私はその該当日が絶対ではないのだけれど。


だから、浅い絶望。
でも、軽く落ち込む、ではなく絶望なのは、
生理周期が長めに乱れている分、1年間に手にするはずのチャンスは12回では無かったから。

12分の1じゃなくて、下手したら5分の1、6分の1の機会を逃したかも知れないと。

そうこうしていると、1歳年をとってしまう訳。



タイミングをとる夜、あるいは朝。
夫に抱き締められながら、ふと考えてしまう。

この人は今、 

“今日しなくちゃいけない”という使命感と
“したいからする”という純粋な気持ち

どの位の比率なんだろう。


例えば今日が妊娠可能性0%でも、
私を抱き締めているんだろうか、と。


ルナルナのハートマークは、すぐには付けない。
なんだか事務的だから。

翌朝に、あるいは数日後に、
そういえば、と付けたかった。


幾度にも及び、いつしか特筆すべき夜じゃなくなっても、ただただ“妊活”という言葉に埋め尽くされるのは嫌だった。

タイミングとか、確率とか、あくせくして、身体の感覚さえも失いそうになる自分も、嫌だった。


今なら分かる。

ルナルナのハートマーク。
どれも同じに見えて、どれも違う。
二人の交わした言葉も、表情も、気持ちも。


頑なに抵抗する必要は無かった、
当たり前に二人の思い出になった。


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おとみ@noteworld
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