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南太平洋共同館構想
協会に入って最初の担当は南太平洋諸国の出展参加支援だった。まずは南太平洋11か国の代表を名古屋に集め、愛知万博について説明をするとともに建設中の開催地見学を実施した。南太平洋の代表者の面々は皆明るくて、最後の打ち上げ会は大いに盛り上がった。マーシャル諸島のカブーア大使は建国の父と言われる独立をリードした初代大統領のカブーア氏の娘さんで駐日大使の中でも一番の古株だったので知日派の彼女の役割は大きかった。
私が協会に入った時に共同館構想が持ち上がっていてリエゾンオフィサー全員共同館の取り纏めに奔走していた。愛知万博の場合、日本側が箱型の建物を用意し、出展国側が外装と内装を施す形式となっている。しかし提供できる建物の数は決まっており、全出展国に割当てられる数が無い。一方で建物一つ外装内装を施すには最低1億円はかかるので発展途上国にとっては予算的に厳しい。そこで地域的に近い国を一つの建物に共同で入ってもらう、これが共同館構想であった。共同館は全部で6つ、アフリカ・中米・アンデス・中央アジア・コーカサス、そして私が担当する南太平洋共同館であった。この構想は調整が結構難しく、例えばジョージア・アゼルバイジャン・アルメニアの3国が同居するコーカサス共同館では実際アゼルバイジャンとアルメニアは国境紛争で戦争状態にあったし、中央アジア共同館は歴史的文化的にはこの地域の中心であったウズベキスタンと資源が豊富で経済的に豊かなカザフスタンとイニシアテイブ争いがあったり、どちらの面子も立てながらうまく協調できる体制を作るのは難しかった。その点、パプアニューギニア・パラオ・マーシャル諸島・ミクロネシア・ソロモン・バヌアツ・ツバル・キリバス・サモア・フィジー・トンガの11か国で構成する南太平洋共同館は国境紛争などある訳はなく、島国気質で各国代表もおおらかで穏やかで比較的調整はやりやすかった。新入りのリエゾンオフィサーに担当が割り当てられたのもそういった理由もあったらしい。一方で各国出展予算は少なく、リーダーシップを主張できるほどの経済力がある国も無く、逆に他人任せの傾向の方が強かった。この11か国で唯一比較的大国なのはパプアニューギニアでニューギニア政府は当初単独館での出展を希望していた。その為、何とかパプアニューギニアに南太平洋共同館のメンバーに入ってもらう様説得すべく、パプアニューギニアに初めて出張する事となった。