2025年国際博覧会(大阪・関西万博)の登録申請書を6月開かれるパリのBIE総会に提出し承認を得るスケジュールだったが、どうやらコロナの影響でBIE総会は延期になってしまった。ドバイ万博も1年延期が決定したので、今後の招請活動は大幅に遅れ心配だ。 大きな万博は2025年の大阪関西万博で日本での開催は3回目となった。大阪関西万博のテーマ・サブテーマ・コンセプトは テーマ :いのち輝く未来社会のデザイン “Designing Future Society for Our L
博覧会協会に入って最初に話があったのは「協会職員は準公務員に準ずる立場なので認識して欲しい」という事であった。つまり公人として行動しなければならないし、私的利益の為に公的立場を利用する事は汚職にあたるという事だ。 それは意外に早い段階で認識する事ができた。万博会場はに出入りできる業者は限られるので、協会として入札や選考審査で指定業者を選んでいた。私はそういった選考プロセスに関与する立場ではまったくなかったが、もともとは食料ビジネスをやっていたので愛知の食品卸などをやって
南太平洋11か国のうち、一番の大国であるパプアニューギニア(PNG)に単独館での出展でなく、南太平洋共同館への参加を説得すべく、パプアニューギニアに飛んだ。既に外務省ルートから同国政府の単独館出展の強い要望は聞いていた。 首都ポートモレスビーに到着し、すぐに万博出展の担当省庁の経済産業省に向かった。面談は次官クラスが対応してくれた。私は下記の論理で共同館への出展をお願いした。 1)単独出展には非常にお金がかかる。単独パビリオンの場合、建設費がかかる。共同館の場合は、各
協会に入って最初の担当は南太平洋諸国の出展参加支援だった。まずは南太平洋11か国の代表を名古屋に集め、愛知万博について説明をするとともに建設中の開催地見学を実施した。南太平洋の代表者の面々は皆明るくて、最後の打ち上げ会は大いに盛り上がった。マーシャル諸島のカブーア大使は建国の父と言われる独立をリードした初代大統領のカブーア氏の娘さんで駐日大使の中でも一番の古株だったので知日派の彼女の役割は大きかった。 私が協会に入った時に共同館構想が持ち上がっていてリエゾンオフィサー全
米国駐在も約7年になった。希望して行った米国駐在だったし、仕事もプライベートも充実していた。子供達もアメリカの社会、学校生活にもすっかり馴染んではいるものの、日本語も危うくなっているし、今後日本人として、日本の社会で生活できるようになるのか不安もあった。そろそろ両親の事も心配になってきた事もあり、そろそろ日本に帰任する事も考え、会社にも意向を伝えていた。 そんな時、帰任・異動の辞令がでた。「財団法人日本国際博覧会協会への出向を命ず」。入社以来食料畑を歩み、米国でも食料部
2025年大阪での万博開催が決まった。 会 期 2025年5月3日~11月3日 開催地 大阪府大阪市夢洲地区 テーマ いのち輝く未来社会のデザイン Designing Future Society for Our Lives サブテーマ 多様で心身共に健康な生き方、 持続可能な社会・経済システム 想定入場者数 約2,800万人 こういうイベントは必ず「開催の意味・意義が感じられない」「今時万博によって経済効果は期待できない」云々といった批判がでるが、愛知万博のど真ん中に居た
人生既に半世紀以上生きてきたが、最も活き活きとして最高の日々を送ったのは2004年‐2005年の2年間だった。 この2年間、私は勤務する総合商社から、2005年愛・地球博(愛知万博)を主催する財団法人2005年日本国際博覧会協会に出向していた。協会での肩書は財務国際本部の上席調査役、万博の世界では通称「リエゾンオフィサー」と呼ばれていた。 リエゾンオフィサーとは言わば海外からの参加される各国の皆さんを接遇する「ホスト役」であり、開催中は担当国の数多くのVIPの接遇