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東京学芸大副学長インタビュー ~ Explay! を合言葉に教育を変える(上)

2019年4月、Explaygroundは本格スタートしました。遊びと学びをシームレスにつなげることで公教育にイノベーションを起こそうとする新たな取り組みは、どのような問題意識と思想にもとづいて運営され、どのようなチャレンジを展開していくのか。東京学芸大学の副学長であり、Explaygroundの旗振り役でもある松田恵示氏に話を伺いました

■教育でイノベーションが起きにくい理由

- 初めにExplaygroundの事業を推進するにあたっての問題意識からお聞かせ願えますか。

まず、大学の教員養成系学部における産学共同研究があまりにも進んでいないのではないかという問題意識が背景にあります。
近年、日本の大学を取り巻く環境は非常に厳しくなっていて、特に財務面において経費の削減が図られるなか、国立大学は研究費を外部から獲得してくる必要性に迫られています。
教育学部はその点でかなり遅れているんです。例えば、教員養成系の国立単科大学は全国に11ありますが、産学共同研究の1年間の実績でいうと、ありがたいことに東京学芸大学が1番で、2番以降の10大学の実績を足した額を大きく上回るぐらい飛び抜けて多いんです。けれども、その東京学芸大学を、電気通信大学や東京農工大学など近隣の国立単科大学と比べると、それは本当に微々たるものなんです。

- それはどうしてでしょうか。

学芸大は2009年という早い段階でNPO法人「東京学芸大こども未来研究所」を設立していて、そこが企業との間に入る形で取り組みを進めてきたことが、教員養成系大学としては大きいと思います。
ところが、その学芸大でさえ、教育系以外の大学と比べると実績はかなり少ない。現在、国立大学は予算編成上「世界水準型」「特定分野型」「地域貢献型」の三つに分かれていて、学芸大は「特定分野型」を選んでいるんですが、このグループに属する全15校の中ではほとんどビリです。教育に関する研究や教育は、産学共同研究になかなか結びつきにくかったというのが現状だと思います。

- なぜ教育系の大学・学部では産学共同研究が進みづらいのですか。

一般的に教育はお金になりにくいと企業から見られている、ということが一つあるでしょうね。一方で、教育界の側も公共性の観点から民間と安易に結びついていいものかと足踏みしている。営利企業に対するアレルギーがあるといってもいいかもしれません。
それと、私たちは学校教育を中心とする公教育の領域でイノベーションを起こしたいと思っているんですが、公教育には改革を難しくする「去年通り」いう文化があります。
わかりやすく言うと、ある家に兄弟のお子さんがいて、お兄さんが修学旅行に行ったのと同じ学年、同じ場所に弟さんも修学旅行に行けば、親御さんは納得するでしょうけど、弟さんのときに修学旅行が突然廃止されたら、「なんで?」という話に必ずなりますよね。
だから去年通りが重んじられるわけで、公教育では既存のものを踏襲していくことに一定の価値が見いだされます。「日本の教育はこのままでいいのか」ということは、ご家庭のお父さん、お母さんたちも、あるいは教育を終えた人材を受け入れる企業の方々も口をそろえておっしゃるんですけど、いざ改革するとなるとなかなか難しい。
もう一つ、教育って、何をもって成功したといえるのかという明確な基準がわかりにくい営みです。計算がとても素早くできる子どもが育ったら、そのときは「すごいですね」と評価してもらえるかもしれないけれども、社会に出た後は、そういう人よりも、時間をゆっくりかけてでも素晴らしい解答を導き出せる人の方が評価されるかもしれないわけで、「何がいいのか」を一概には決定しづらい。
もちろん、私たちが研究している公教育は社会の維持や発展に密接にかかわってきますから、子どもたちはどんなことを学ぶべきかという共通解をある程度は持っていないといけなんですけど、個々の研究者や教育者の間にはいろいろな価値観があるから、「これがいい!」という形でサッと変えていくのが難しい。そういうことも新たな研究が起こりづらい一因になっていると思いますね。

■なぜ変わらなければいけないのか

- 一時期、子どもたちの学力低下が指摘されましたが、現在はどうなのでしょうか。

経済協力開発機構(OECD)の「生徒の学習到達度調査(PISA)」の結果などを見る限り、最近は戻ってきています。けれども、やはり危うい面がたくさんあります。他方で、学力についての考え方そのものが変わってきていて、よく言われるのは、知識習得型の「コンテンツベース」から、様々な課題の解決を行うことができる活きた力として働く資質や能力、つまり「コンピテンシーベース」に移行していくべきだといったことですね。実際、公教育の現場でも、子どもたちが主体的、能動的に課題に取り組むアクティブラーニングがすでに取り入れられています。だから、「変わらなくてはいけない」という意識は教育界にも広がってきてはいるんですよ。

- なぜ変わらなくてはいけないのでしょう。

教育にきしみが生じているからです。不登校やいじめの問題はよく話題になりますし、産業界が求めている人材と新入社員として企業に入っていく人材の能力のギャップについてもしばしば指摘を受けます。今とこれからをめぐって求められる教育のあり方と、現状の教育の仕組みが明らかに乖離し始めています。
それから、やはり大きいのは時代の変化でしょう。人工知能(AI)やモノのインターネット(IoT)などによる技術革新が進む「第4次産業革命」の時代が到来しつつあり、社会や人間のあり方が抜本的に変わっていくという予感を多くの人が抱いていますし、これからの社会を生きる子どもたちを支える教育界が本当に変わらなくてはいけないことはもう目に見えている。

- 東京学芸大学が抱えている課題はありますか。

教育系の大学としては中心をなす最大規模の大学なので、それゆえに学内がセクト化してしまっているところがあります。しかも各セクションが相応の規模を持っているため、組織を超えて共同で何かに取り組むといった横の連携が、これまでは弱かったということがあります。

- 学生同士の横の連携も薄いのですか。

薄いですね。学芸大には大きく分けて、教員を目指す学生のコースと非教員だけど教育に携わりたいと考えている学生のコースの二つがあるのですが、それぞれの学生が一緒に学ぶ場は少ないですし。同じ教員コースの中でも、たとえば「小学校の算数」を専攻する学生と「中学校の保健体育」を専攻する学生は、受験のときから分かれて入学してきているので、お互いに自分たちが学ぶ分野について語り合うような機会はほとんどありません。もちろん、専門の異なる学生たちが教養課程の授業やサークル活動で出会うといったことはありますが、研究活動においても、みんなで共通の課題に向き合ってみるような機会をもっと多くつくっていく必要があります。

■遊びや面白さが価値創造への跳躍力を生み出す

- 先生からみて、教育系の学生はどんな感じの人が多いのですか。

真面目すぎると思います。私自身は逆に「いい加減だ」とよく言われるんですが(笑)、やっぱり教育を志向する人って、気持ちが先にあって勉強しているし、とってもいい人が多いんです。だけど、真面目さというのは、いったん計画を立てたら絶対にそこから外れないとか、ある視野を定めたら、それ以外のものは見ないといった態度にもつながりかねません。「出たとこ勝負」とか「やってみないとわからない」という姿勢に欠けるし、そうすると自由な発想が出てこなくなる。

- Explaygroundのメンバー間では、所属や役職に関係なく、ニックネームで呼びあっていると聞きました。

そうです。自由な発想を出すという部分にも通じる取り組みなのですが、Explayground全体がティール組織的に動ける場になるのが理想と考えています。そしてすべてのリソースを総有と考え、お互いに上下関係無く融通し合う。私も松田先生ではなく、まっちゃんと呼ばれています。

- まっちゃんは、遊びや面白さを通して社会や文化を理解しようとする「遊び学」を提唱されています。

「遊び学」を提唱しているから、あまり教育学部の研究者としては認めてもらえていただけていないところがあるかもしれません(笑)。ただ、学問をやっている人は誰でも、もともとは面白いからやっているんだと思うんですよね。
本で読んだ話なんですが、カメムシの研究をしている先生がいらっしゃって、学術名として自分の名前がついているカメムシがいることがその方のご自慢だそうなんです。カメムシの種の違いは尾っぽの角度によるらしくて、その先生は何年も世界各地に出かけていってカメムシの尾っぽの角度を測り続けたそうなんです。それって、やっぱり本人にとって面白いからですよね。そういうことがきっと学問の世界の根底にはあるはずだし、面白さというのは、だからこそゼロイチの価値創造への跳躍力を生み出すのだと私は思っています。

- 「Explayground」の「playground」も「遊び場」という意味ですね。

遊びを研究する有名なフランスの学者でロジェ・カイヨワという人がいて、「対角線の科学」という方法論を提示しています。その中で彼は、遠く離れているように見える事象同士が実は関係し合っていると想像することの重要性を説いていて。カマキリって、メスが交尾中にオスを食べますよね。一方で、人類が語り継いできた神話の中にも、女性が男性を食い殺すみたいな話が結構あるみたいで、だから、メスがオスを食べるのは生物が共通して持つ原理なんじゃないかと述べるわけです。面白いですよね。こんなふうに質的に跳躍した考えを生み出していくのも遊びの面白さじゃないかなと思うんですよ。

- 真面目すぎる学生や研究者に、Explaygroundの取り組みを通じて、もっと遊びや面白さに気づいてもらおうと?

 あまりそういう上から目線的なニュアンスではとらえていません(笑)。もうちょっと柔軟になればいいねというか、研究の本質や原動力は面白さにありますよね、ということを思い起こしてもらえればいいし、そういうことに没頭しにくくなっている現状にあって、少しでもそういうことが叶う場になればいいなという感じなんです。

■遊ぶように学び、学ぶように遊べる場を

- Explaygroundで提携することになったMistletoeとの出会いは何がきっかけだったのですか。

外部とつながって教育にイノベーションを起こすために、最初に学校のキャンパス内に拠点となる建物を建てようということになったんですね。とはいえ、予算を取るのがなかなか難しかったんですが、先ほど言った東京学芸大こども未来研究所とMistletoeは以前から交流があって、いろいろお話をさせていただいているうちに、「手を組んで動いてみませんか」と声をかけていただきました。

- ファウンダーの孫泰蔵氏の印象は?

話される言葉や出てくるアイデアに力があって、教育に対する強い思いも伝わってきましたね。
ぞっちゃん(孫泰蔵氏)は、教育は子どもを枠にはめてしまうのではないかと危惧しておられて、子どもが自ら主体者になっていくのが教育だし、たとえば「ロケットをつくりたいという子がいたら、おもちゃではなく、本物をつくったらいいじゃないか」と言っていました。そういう話はとても印象に残りましたし、私が「教育とは子どもの自由な学びを支えていくものであって、枠にはめたり何かを教えつけたりするのは教育ではありません」という話をすると、「それは腹にストンと落ちる定義ですね」と同調していただけた。
そういうやりとりを重ねていくうちに、子どもたちが遊ぶように学び、学ぶように遊ぶことで社会課題の解決や社会貢献に向けた動きが出てくるような場をつくろうという話になって、Explayground事業の構想が浮上しました。

- このExplaygroundという名称を提案したのはまっちゃんですか。

いえ、ぞっちゃんです。遊びと学びがシームレスにつながっている環境について話しているとき、「Experiment(実験)」「Expand(広げる、展開する)」「Extreme(極限の、先端の)」といった単語を「Playground(遊び場)」にかけ合わせた造語として、Explaygroundはどうかという提案があって、私も面白いと思いました。

第2回に続く

インタビュー/文=秋山 基 写真=山口 雄太郎


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