プールに金魚を放つ
はじめまして
この一文から始めさせていただきます。
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2012年夏、埼玉県にある中学校のプールに大量の金魚が放流されているのが見つかる事件があった。
私がこの事件を知ったのはごくごく最近のことだ。"にしな"というアーティストの楽曲に「青藍遊泳」というものがある。この楽曲についてインタビューで次のように語っている。
このように、仲間とのポジティブな決別の意志を込めて作られた楽曲だ。このような意思であることは多くのインタビューで答えている。
そんな中、ある音楽雑誌でライターの方が金魚放流事件について触れていた。その時までその事件のことを知らなかった。当時テレビで見ていたのかもしれないが、なにも覚えていない。しかし、その事件について少し調べてから「青藍遊泳」の歌詞を見ると、そのことについて歌っているとしか思えないのだ。
金魚をプールに放流した理由はネット上で様々書かれている。「金魚が好きだったのでもらったが、多すぎて飼えず、プールに放した」「プールに金魚を放して一緒に泳げば楽しいと思った」「水面に大量の金魚が泳いでいたら、きれいに違いない」「こんな大騒ぎになると思わなかった」全ての発言が嘘かもしれないし、全ての発言が本当かもしれない。当時の本当の心境が分かるのは当人達だけだ。
この事件について調べているとすぐにショートフィルムが見つかった。当時の事件を参考にしつつ、女子中学生というものを描いたものだ。そもそもショートフィルムというものを見たことがなかったので、興味本意で見てみた。正直、女子中学生の本当の気持ちを20代半ばのオッサンが完全に理解するのは不可能なのだろう。
それでも、ショートフィルムならではのコミカルさとスピード感はたまらなかった。ドキュメンタリーではなく、あくまで監督の想像による事件当時のため、これで事件の真相が分かる!というものではない。それでも、見ていて爽快なショートフィルムに仕上がっている。
クリエイターというのは自分がこだわった部分を全て視聴者(客や消費者)に伝えるということはしない。そもそもこだわり全部について語るほどの時間や場所がないというのもあるのだろう。しかし、1番の理由は余白を作ることにある。
余白も何も無く全て語ってしまったら、クリエイターが思い描いたもの以上になることはありえない。視聴者が推測・考察し、勝手に解釈することによる豊かさも存在するのだ。そういった意味では、にしなが多くのインタビューで金魚放流事件について触れなかったのは余白のためだろう。
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手の届く範囲にいるあなたが
幸せでいることを願います